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生きる、とは?
2022年になってから燃えたあとの薪みたいな干からびた状態が続いて、ずっと考えていた。私はなにがしたいんだっけ?なにを目指してきたんだっけ?
歩きながら、寝ても覚めても、逡巡した。
たいした夢も目標もない。
でも私には「どうしても見過ごせないこと」があった。
それは、世界の負から目を背けることだった。
大学で国際情勢や国際問題を学び、
いろんな国のいろんな景色を見てきた。
そして、世界はどうしてこんなに違うのだろうと思った。
先進国と発展途上国という括りは、
複雑化する世界を単純化するための一種の分類方法でしかない。
けれどその言葉が表す現実は残酷であり、手を差し伸べる、支援を求めるみたいなハートフルな世界ではないと思った。
国にはあらゆる思惑があり明確な意思の境界線が存在する。
つまるところ、国家対国家なのだから双方に利益がある事柄しか成立しないのだ。
だとしたらそれは何か。
①制度構築(貿易協定など)か、②資金と技術のトレード(ODAなど)か、③人的交流(労働者派遣など)か。
私の選ぶ道はきっと②なのだろう、
ということも薄ら学生身分に感じていた。
だけど直視するのが怖くて
一度は目を背けた。
でもやはり直視すべきだった、
と揺らめく世界情勢を見て感じた。
看過できない現実に自ら対峙するとき、
恐怖と期待でいえば9:1ぐらいだ。
それでも私がやらなければ誰がやるのだという一縷の使命感も抱いているのだから、
きっと対峙することを望んでいるのだろう。
私が歩みを進める方向は穏やかな日常とひと匙の幸福感ではなく、
今この時も揺らぎ続ける世界だと思った。
生きる意味なんてものは
ある日は「優しい風に触れるため」だったりするし「愛に生きる人生」だったりする。
ただ私にとっては今のところ
「世界の負を減らす手段を手に入れ、自ら構築すること」だ。
10年後の世界はどうなるのだろう。
フィリピンにいた悲しい目をした男の子が笑って過ごせる世界に近づければいいのだが。。
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