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作品に遺すということ
母は短歌をしていたので、旅に出たときの資料を取っていました。
何年も前に熊野に行ってきたとお土産に八咫烏の根付をもらい使っています。
先日資料を整理していて、熊野本宮大社の熊野牛王符(くまのごおうふ)を見つけました。
それはラミネート加工されていたので、お札だとは気が付きませんでした。
熊野の歌があったかと母の遺した短歌日記を読み返してみましたが、その中には見当たりませんでした。
短歌日記は短歌をはじめてから作った作品の抜粋を自筆で書き改め346ページの一冊の本にしたのです。
それが亡くなる数週間前に出来上がりました。人生これでよかったと締めくくっていったようでした。
金柑・くちなしの花が庭に咲いて楽しんでいる様子が伝わってきます。
今はなくなったラベンダーやイチジクの木などもここでは鮮やかに香りを届けています。
作品はそのときを瞬間保存する力があります。
母もこの中では生きていたわけですから、亡くなったあとも日記を開けばここで生き続けているのですね。
もうすぐ他界して四年になりますが、この日記を残してくれてよかったなと思います。