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「人生は一度きり!楽しまなきゃ損!」ピラティスインストラクターYumiさんが語る、仕事と子育て、そして自分らしい生き方
こんにちは!事務局のかすみです。
今回お話を伺ったのは、ピラティスインストラクターとして12年活躍されているYumiさん。明るい笑顔がとっても素敵なYumiさんですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。
東日本大震災を機に、それまで勤めていた会社を辞めて飛び込んだピラティスの世界。インストラクターとして、そして2児の母として、日々進化を続けるYumiさんに、仕事への想いや今後の展望について伺いました!
笑いが大好き!好奇心旺盛な幼少期~学生時代
大阪生まれ大阪育ちの私は、小さい頃から面白いことが大好きで、新喜劇が大好きだったんです。毎週土曜日、昼12時からの放送を楽しみに、学校から走って帰りテレビにかじりついていました。将来は芸人になるんだと、本気で思っていましたね(笑)
面白いことが大好きでしたが、クラスでは決して目立つタイプではありませんでした。どちらかというと、友達とワイワイしながら、そつなく何でもこなしていくタイプ。小学校では担任の先生にも、「ゆみさんは何でも平均以上にこなせるけど、大きな失敗もしないね」と言われていました。3人姉妹の末っ子として育ったこともあって、姉たちの失敗を見て、自然に要領よく生きる術を身につけていたのかもしれません。
高校時代には、幼馴染みの短期ホームステイがきっかけで海外に興味を持つように。英語ができれば世界が広がると信じ、外国人講師に放課後、英語を習ったりもしていました。
大学は外国語大学に進学し、念願だったアメリカ留学を経験。学生寮や大学での1年間を通して、価値観の全く違う世界があることに触れ、「自分の普通が他者の普通ではない。」ということを肌で知りました。刺激的で視野が広がる貴重な時間でした。
大学卒業後、外資系企業へ就職。順風満帆に見えた日々の中、東日本大震災を経験
大学では外国語を専攻していたので、英語を生かせる仕事に就きたいなと考えていました。特にやりたい分野が決まっていたわけではなかったんですけどね。「とりあえず外資系企業!」みたいな(笑)
希望していた外資系企業で働き始め、英語を使い国内外と関わる仕事にも携わり、充実した日々を送っていました。でも、2年が経つ頃、東日本大震災が発生しました。
震災当時は、勤務先のあった神奈川県平塚市でも計画停電が実施され、私の住んでいたエリアも夜間は電気が止まるという状況。道路の向こう側は電気がついているのに、こちら側は真っ暗…ガソリンスタンドには長蛇の列、コンビニからはおにぎりが消えるなど、生活にも影響が出始めました。
それまでどこか遠い世界の話のように感じていた災害を、こんなにも身近に感じることになるとは…と、大きな衝撃を受けました。
そして、それと同時に、「いつ自分の人生が終わるか分からない」という現実を突きつけられ、「今の仕事は、本当に自分がやりたいことなのだろうか?」と自問自答するようになったんです。
震災を機に「本当にやりたいこと」を模索。そしてピラティスインストラクターの道へ
実はピラティス自体は、以前の会社に勤めていた頃に、スポーツジムで体験レッスンを受けたことがあったんです。
その時は、たった1回のレッスンでしたが、とってもリフレッシュできた感覚があり、「続けて通いたいな」と思っていました。けれども、日々の仕事に追われ、なかなか定期的に通えずにいました。
そんな中、震災をきっかけに自問自答の末に退職し、大阪の実家に戻りました。実家での生活は、息苦しさを感じることもありました。でも、時間に余裕ができたことで、改めて「自分が本当にやりたいこと」と向き合えたんす。そして、以前通いきれなかったピラティスを近所のスタジオで始めました。
ピラティスにのめり込む日々。転機は突然に…?
時間に余裕があったということもあり、毎日のようにスタジオに通っていました。2レッスン連続で受講することもしょっちゅうで、スタジオスタッフ以上の週7でいましたね(笑)
そうしてピラティスに夢中になる中で、転機が訪れたのは、スタジオに通い始めてから半年ほど経った頃です。そろそろ仕事を探そうと思い、求人情報を見たりし始めていた矢先、「指導者養成コース」の案内が目に留まりました。
「ピラティスの指導者…?」
最初は、まさか自分が指導する側になるとは想像もしていませんでした。しかし、スタジオのスタッフに相談する中で、「とりあえず受けてみよう!」という気持ちが芽生え、思い切って受講してみることにしたんです。
当時は、ピラティスといえば東京が中心で、大阪では情報も少なく、養成コースを受けること自体が貴重な機会でした。スタジオのスタッフからも、「次のチャンスはいつあるかわからないよ」と背中を押されたこともあり、「これはもうやるしかない!」と腹をくくりました(笑)
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東京での下積み時代。憧れの先輩の姿を追い求めて
大阪で養成コースの初級レベルの資格を取得した後、さらに本格的にピラティスを学びたいという思いが強くなり、東京で養成コースに通うことを決意しました。大阪にいたら得られない情報や技術が、日本の発信源にはたくさんあるからです。
もちろん、家族は心配していました。当時はまだピラティスが今ほどメジャーではなく、安定した収入を得られる保証もありませんでしたから。それでも、「やりたい」という私の気持ちを尊重し、応援し送り出してくれた家族には本当に感謝しています。
東京では、養成コースに通いながら、ピラティススタジオで働き始めました。朝10時から夜10時までスタジオに詰める日々で、練習はもちろん、近隣にチラシを配ったり、スタジオ前で体験レッスンを呼びかけたりと、まさに下積み時代。レッスンを一人前に担当できるようになるまでは、とにかく目の前の仕事をがむしゃらにこなしていました。
休みの日でも、先輩インストラクターが体調不良でレッスンに穴が開きそうになると、「Yumi、来られる?」と電話がかかってきて、飛んでいくこともありました。それでも、憧れの先輩の姿を間近で見ながら、一日でも早く一人前のインストラクターになりたいという一心で頑張っていました。
結婚、出産、そしてアトピー性皮膚炎… 仕事と育児の両立に奮闘する日々
2012年の12月に養成コースを卒業し、晴れてピラティスインストラクターとして本デビュー。その後、結婚を機に神奈川県大和市に引っ越し、横浜のスタジオに勤務することになりました。
横浜のスタジオでは、クライアントも巻き込んだクリスマス会を開催したりと、アットホームな雰囲気だった記憶があります。当時のリーダーが裏表なく真っ直ぐ人付き合いをする方で、人との関わり方、真意をくみとる大切さなど、共に過ごすなかで学びました。
私はみんなを引っ張っていくタイプというよりは、誰かと一緒に何かを作り上げていく方が性に合っていると感じていたので、当時の環境は、とても居心地がよかったですね。また、別の先輩が、通訳として私を抜擢してくれ、海外講師のアテンドやWS通訳なども経験を重ねていきました。
そして2016年4月に長男を出産。妊娠中もつわりなどはほとんどなく、ピラティスのおかげで健康的に過ごせました。産後も、保育園が見つかったタイミングで職場復帰。子育てをしながら、大好きなピラティスを仕事にできる喜びを噛み締めていました。
もちろん、楽しいことばかりではありません。息子が2歳の頃、私がひどい肌荒れに悩まされた時期がありました。手や脇の下など、全身がかゆくて、顔にも症状が広がってしまったんです。人前に立つ仕事なので、とても辛かったですね。
それでも、「仕事を休む」という選択肢は、私の頭にはありませんでした。肌荒れが落ち着くまでの半年間、時には手袋をしながらレッスンすることもありました。「これは、みんなにはうつらないよ!」なんて言いながら(笑)
幸い、肌荒れは半年ほどで治まったのですが、原因は今でもよくわかりません。今思うと、「頑張っていないと存在価値がない、嫌われる。」そんな風に捉えていて、自分を休ませてあげるゴーサインを出せなかったんだと思います。今の自分から「休んだっていいんだよ」と、声をかけてあげたいです。
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分子栄養学との出会い、そして独立へ
そんな日々の中、ずっと意識していたのは「独立」すること。そして、もう一つ。「第二子」を授かりたいという願いがありました。しかし、なかなか思うようにいかず…。そこで、不妊治療にも真剣に向き合うことを決意しました。
世間の情報掻き集めではなく、体系立てて学び、食生活を整えたいと思い、麻央さんの分子栄養学をベースとした講座を受講することにしました。講座では、食生活や生活習慣を見直し、自分の体にとって何を摂る/摂らないが、どう変化を与えるのか日々向き合い、自分の体の変化と真摯に向き合えました。
すると、驚くことに、長年悩んでいた肌荒れが改善され、生理前の不調も軽減されたんです。そして第二子を授かり、無事、胸に抱くことがいま出来ています。
他にも講座で印象的だったのは、「事実と解釈」の話です。過去の出来事に対する「自分の解釈」を変えることで、心が軽くなるという経験をしました。それからは、以前より訳もわからずイライラすることが激減し、心に余裕が生まれたように感じています。
講座を通して、独立への思いがさらに強くなりました。講座で出会った仲間の存在も、私にとって大きな支えとなっています。
そして、2023年6月。
「心身一体の居心地良さを求めにいこうね」という意味を込めて、「LYBS Pilates (リブス) Love Your Body & Soul」という自らの看板を作り独立しました。
ピラティスを通して伝えたい想いとは?
ピラティスインストラクターとして、仕事のやりがいは、お客様とレッスンを通して「変化の瞬間」を共有し立ち会えることです。ピラティスは、身体の奥深くに注意を向ける、とても繊細なエクササイズ。そのため、自分の身体に起きていること、やろうとしていることと向き合い、深い集中状態になります。
レッスンを通して、お客様がご自身の変化に気づき、「ここが動く感覚、初めて!」「体が軽くなった!」「脚が伸びた!」と喜ぶ、透みきった瞬間は、私にとっても至福の時間です。
もちろん、大変なこともありますが、それ以上に、お客様の笑顔や「ありがとう」の言葉に励まされながら、日々楽しく仕事をしています。
これからの目標は、ピラティスを通して「在りたい自分でいる」人を増やしていくこと
ピラティスを通して、一人でも多くの方に、「心身一体の居心地良さを堂々と求めにいこう」「体感覚やマインドのベストを更新していこう」と伝えていきたいと思っています。
そして、息子たちには、「仕事は楽しいもの」と思ってもらえるような、そんな働き方を見せていきたいですね!
仕事が「魂が削られる時間」でなくて、「魂が悦ぶ時間」だったら素敵ですよね。
日々色々やることは多いかもしれないけど、「どれも自分で納得してやっている。やりたいことも、やりたくないことも、自分で決めてやっている。」という姿勢を見せていけたらいいなと思っています。