コラージュワークを体験して起こった変化
先日、コラージュワークを体験してきました。
「コラージュ」の意味を調べてみたところ
とありました。
コラージュは大学時代(とは言っても40歳過ぎてから通ったのですが)に1度経験しましたが、何かを切って貼ったなぁ、くらいの記憶しか残っていないけれど・・・・。
私がこの1年でたくさんの学びを得たレッスンを主宰されている先生の妹さんが講師を務められるということで、この日をとても楽しみにしていました。
今回は何十冊とある雑誌の中からピンときた写真を切り取り画用紙に貼っていくという作業。
その時に
①モノや風景だけでなく人の写真も選ぶこと
②文字も選ぶこと
という2つの条件がありました。
まず雑誌からどんどんページを破って、それからハサミで写真をチョキチョキ。四つ切より少し大きめの画用紙に切り取った写真を好きな場所に好きなように貼り、そこに貼ることができなかったり、やっぱり選ばなかったりした写真も脇によせて捨てずに取っておきます。
雑誌を見て直感で選んだ写真を切り取っていく作業をしている間は、本当に無心で、時折「こんな写真をいいな、って思うのか」とか「これを選ぶって、よそ行き顔しちゃってる」なんてことを感じていました。
文字を選ぶ時も「美人生活」だの「充実して過ごそう」といったえぇカッコしいな私が顔を出しましたが、最後にどうにも違和感を感じて
溺愛ねこ
結局これがしたい
パリ
という謎のワードを並べていました。(私にとっては謎ではないのだが)
レッスンの最後には出来上がったコラージュにどのような「私」が浮かび上がっているのかを聞くことができたのですが、これが静かな衝撃でした。
心をぎゅーーーーーーーーっと握られるような、どんどん目が覚めていくような。
でもそれは痛みを感じるものではなく、とてもとても温かな感覚を覚えるもので。
きっと先生はいつも相手をそんなふうに見ているのでしょう。
どの言葉もとてもやさしかった。
たくさんの新たな視点と衝撃を得た中でも一番救われたのは
「そういう自分を変えたいと思っているのなら、このコラージュの上に足りない部分を貼ってしまえばいいの!それで完成!」という先生の一言。
これを聞いた瞬間、昔、島田秀平が「足りない手相はペンで書けばいい」と
言っていたことを思い出してしまったのだけど(自分の思考のしょうもなさに
がっかりした)
え?足してもいいの?そんなことしていいの?そんなことできるの?
・・・それでいいのか!!
出来上がったコラージュにすっかり自分の心を重ね合わせていたことに気がついた私。
どうしても変えることができなかった、どうしても好きになることができない私のある部分のことを「すっかり変えてしまわなくてもいいの。足りないならそこに足せばいいだけのこと!簡単なことだから大丈夫!」と明るく言ってもらえたようで、ずっとうつむいていた自分が許されたような気持ちになりました。
自分には全くなかった視点をサッと取り出して見せてもらえたような感じ。
普段から、こうしなければ、こうあらねば、という思考になりがちな私の心に、すぅっと細い光が差しました。
だれかに自分の心を読解してもらうこと、全く違う「陽の視点を与えてもらうこと」の力を心の底から感じる日になりました。
そして何よりもアートのすばらしさを存分に感じた日でした!
最後の最後に先生がにっこり笑って
絵を描くってどんな気持ちになるんだろう・・・・
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