ある日のできごとについて思うところを
「今日、もう4回怒られてるよね?
お友達が嫌な顔をしているのが分からないの?
同じ事されたら嫌でしょ?!やられて嫌なことはやらないの!!」
正論と正義感の鎧を着ているかのような(個人の感想です)先生の怒号。
対して怒られている本人は怒られる理由が分からずキョトンとしている。
そりゃそうだ、それが彼の持つ特性なんだから。
先生はイライラして無駄に彼を傷つけるだけの結果しか生んではいないけど、悲しいかなどっちも悪くはない。
先生の言っていることはある方向から見れば正しいけれど、私は特性を持つ子どもにこの言葉はほぼ通用しないと思っていて。
それどころか、彼らにとっては嫌な印象を残すだけだから余計なこと言うな、とまで思っている。
だけれども残念なことに私が働く教育現場では、こういった子どもの心を傷つけない関わり方をする先生は本当に少ないように映る。
1クラス約30人の様々な能力を持つ子どもに対して、国が決めたカリキュラムをキッチリこなすことが求められている先生たちが毎日必死なのは間違いない。
1人1人に細やかに向き合うなんてことは到底無理だと思う。
その上保護者対応や雑務もあるしね。
だから私たちのような支援員や非常勤の先生たちがいるのでは?
と思うのですが、先生たちって(特に校内上位3番くらいまでの先生って)
正規雇用の教員が一番偉い
と思っているふしがある。もちろん素晴らしい先生もいらっしゃいますが!
非常勤の先生たちは蚊帳の外、私のような教員免許を持たない人はただの人という扱い。(社会人経験四半世紀の私< 22歳新卒教師)
※あくまで個人の感想です
教員であろうがなかろうが、協力してやっていくためには?
みんなが疲弊している現状を変えるためには?
知識や経験を共有して子どもにとってよりよい環境をつくるためには?
私は教員免許は持っていないけれど、子どもの心を育てるための知識と経験は彼らより劣っているとは少しも思っていないし、毎日全力でヘトヘトになるまで子どもと向き合っている。
今までは人前に出たくないとか、こんな程度の知識が何になるのかとか
ずっとウジウジ思っていた。
やっぱりこの程度のものかで終わるかもしれないけど、もしかしたら誰かの役に立つ日が来るかもしれない。
そんなことを思えるようになったこの頃の私。
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