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海のはじまり 第5話感想

「嫌いでいいよ、親だって人だし。」

人と好意。関係と繋がり。どれも絶対ではなくて、どんな関係があろと、全肯定しきらなくったっていい。そう教えてくれる物語だった。そしてそれが、推しの口から語られたことに、どうしようもないくらい救われて情けないくらい号泣してしまった。

「海のはじまり」第5話は、水季と海がふたりで暮らしていた時間から始まる。
第5話では、『髪』がキーワードにある気がする。髪を結わえるシーン、髪を乾かすシーン。冒頭も、水季が忙しなく海の髪を結うシーンがある。「編み込みがいい。」あどけなく言う海に対して、「時間ないから……ボンボンつけるからゆるして? 」こんなときまで海に選択の余地を残していた。「いいよ。」「ありがとう。」
朝食を食べる海の髪を、水季は慣れた手つきで結ぶ。「ママは? 髪可愛くしなくていいの? 時間ないから? 」海はこうやって、あどけない口調で本質を突くところがある。「美容院、高くって。」水季がそう言ったときの海の答えに、水季の表情は固まった。

時間とお金がないから?

「……そういうの聞きたくないよね。」子どもに遠慮させることは、親水季にとって1番避けたいことだったに違いない。でもシングルマザーは、大学を中退して親にも頼らず子どもとふたりで暮らしている水季には、時間とお金の余裕がない。
海に振り向かせ、水季は満面の笑みで力強く約束する。「ママ、全力で時間とお金作るからさ、今度一緒に病院行って可愛くしてもらお? 」その約束が、果たされたのかはわからないが。

「そちらのご家族に挨拶しなきゃね。」場面は、南雲家に移る。南雲家、と言っても、祖父母と海と夏の『南雲家』だが。
朱音と夏は向かい合ってとうもろこしの実を取り、海と翔平はその横に座っていた。
「それが、まだで。」海のことで夏の家族に挨拶したいと言う朱音に、夏は重い口を開く。「こっちの家族に、説明できてなくて。」
ぱちん。朱音の手が、夏の手を叩いた。「さっさと言いなさいよ。時間が経てば経つほど、言われた方はイラッとするんだから。」このときの手を叩く仕草は、だった。虐待や暴力ではなく、じゃれ合いや愛の類だった。
「……思ってたんですけど。」「思ってたとこって水季もすぐ言うの。つもりっていうことはまだ言ってないってことなの。」なんなら私も行くから。朱音は責任にしっかり向き合って、行動できる人だった。
「だって月岡さん、俺のせいだ俺が悪いって、話ややこしくするでしょ。」夏の性格も、もうバレている。俺のせい、俺が悪かった、責任は全部負う。そんな真摯で誠実な姿を見せるくせに、実際に決断したり行動したりするのは彼じゃない。
ずっとそうだった。でも、そんな月岡夏の時間が動きつつある。

「海ちゃんに聞きたいこと代わりに聞いといて。」それはやっぱり、海を通して弥生の気遣いの細かさを目の当たりにするようになったからかもしれない。「会話のネタがあると助かるでしょ? 」

ふたりあれだよね、付き合う前の両思いって感じ。

個人的に、この表現が大好きだった。距離を推し量っているような、ひとつひとつコマを進めている双六のような、たどたどしくも着実で肌をそわつかせる空気感が、海と夏にはある。
そしてそのひとつに夏があげたのが、『髪』だった。「7歳って、髪結べる? 」「ううん……結べないことはないと思うけど、いつも綺麗にしてるからおばあちゃんじゃない? ……なに、夏くん結んで〜って言われた? 」によによしながら訊く弥生の表情は、愛らしかった。
「練習する? 」髪ゴムをほどき、弥生は夏の前に座り、髪を触らせた。が、夏の手は触ると言うよりも撫でるような力でしかなく、三つ編みしているはずなのにゆるゆるですぐほどけそうだった。
「ねぇ! 性格が出過ぎてる。優しすぎ、緩すぎ。」けらけらと笑いながら、鏡に映る真剣な夏の表情を見て、弥生は過去を思った。

……やってもらったなぁ。その言葉だけで、私の心はずきんと傷んだ。毒親育ちで、元虐待児の私の心だった。
「お母さん? 」夏が訊く。「すごい早くて痛いの。作業って感じ。で、お父さんやってって甘えるとお母さん怒るし、お母さん怒るからお父さん嫌がる。」触っていないはずの自分の髪が、ぐいっと引っ張られた気がした。懐かしくて思い出したくない痛みだった。
「だから、ね。自分で自分のことやるのは、どんどん上手になった。」ごめんね。いつも理由つけて親に会わせなくて。
弥生の視線と、夏の視線が、鏡の中で重なっていた。
「嫌いなの。」「好きなタイプは『家族を大切にする人』っていうあれだったら、ごめん。」からかい口調で言う弥生は、涙をごまかして否定を恐れている声だった。
そこへ、夏が救いの言葉をくれる。

嫌いでいいよ。親だって、人だし。

誇張でもなく、恥ずかしげもなくぼろぼろ泣いてしまった。それは私がずっと欲しかった言葉で、自分に言い聞かせてはいたけれど否定し続けてきた言葉だった。
親なんだから分かり合えるよ。それくらいのことで? それも親の愛だよ。愛されてるんだからいいじゃん。
何回言われてきたか、何回私の『嫌い』という感情を否定されてきたか。数え切れなくなって、もうリアルの世界では毒親育ちだということをほとんど言っていない。
それでも毎晩のように親から叱責される悪夢を見るし、逆にドラマの中のような平和な家庭の両親を夢に見ることもある。そのたびに『嫌い』という感情に苦しみ、それでも髪を引っ張られてちぎれる痛みは忘れられないし、名前じゃない豚を意味する呼称で呼ばれ続けた悔しさは消えてくれない。
でも親だから。やっぱり親だから。好きじゃないといけないんじゃないか? それを、月岡夏は、目黒蓮は否定してくれたのだ。推しが否定してくれた。これ以上に強い説得力を持つ言葉はないと言っても、過言ではないだろう。
たしかに、脚本のある世界だ。彼が腹の底ではそう思っていないかもしれないと言われてしまえばそれまで。でもきっとそれは違う。いくら脚本の世界とは言えど、本当に腹の底から理解できなければ声を上げることもできるだろう。そうじゃなくとも、彼の真意が脚本とは違うかもしれないなんて、思えない理由が存在するのである。

脚本家の生方さんがおっしゃってたのですが、家族は素晴らしいものということを伝えたいわけじゃない。
よく家族と仲がいいとか家族っていいものってそれが当たり前、いいことって空気がありますけど、正直それが普通ではない。
色んな形の家族があって、いいものでもあるし、人によってはよくないものでもある。
そこに関しても、物語の中で、描かれてるので家族っていいなって方も、そうじゃない方にも寄り添えられる物語になってると思います。

目黒蓮 Instagramより

目黒蓮のInstagram、通称めめぐらむでの言葉である。正真正銘、目黒蓮の言葉である。彼は『そうじゃない』方にも、寄り添ってくれたのだ。
第1話放送時の言葉が、第5話になって涙腺を緩ませにくるとは思っていなかった。ここまで心を揺さぶられるとは思っていなかった。

そうだよ、痛かったんだよ。

お姉ちゃんみたいな長い髪に憧れて伸ばしてお母さんに結んでもらいたくて、でも結んでもらうと引っ張られて痛くてちぎれて、「お姉ちゃんは自分でできるよ。あんた切れば? 」と言われてそれからずっと髪を伸ばせなかったけれど、それはあの痛みが消えなかったからなんだよ。学生になってからヘアドネーションのためにと言い訳するように伸ばしたときも、汚い醜い、でもやっと女になったんだねなんて言って、私の心を何回も引っ張ってちぎった。そういう人でも、親だから好きでいなきゃと何回も何回も肯定しようとした。そういうことの繰り返しで、心がやつれて鏡に映る自分が豚にしか見えなくて、それでも愛そうとして、愛せなかった自分を後悔していたから。
そんなときの「嫌いでいいよ」は、あまりにも視界をゆがませた。そして親を人と呼んでくれたことで、理解できなかった怪物か神様みたいな何かから「好き嫌いを自由にしていい人間」にしてくれた。ぼろぼろに泣いた。目と鼻と口が全部入れ替わるんじゃないかってくらい泣いた。

そこまでじゃないだろうけれど、弥生も泣きそうだった。「うん。じゃあ、嫌いなままでいる。」きっと弥生は、これまで夏のこういう優しさに救われてきたんだろう。毒親に育てられてきたからこそゆるせなかった自分に向き合えているのは、夏のおかげでもあるんだろう。
「やっぱ月岡くんのご両親すごいわ。どう育てたらこうなるの? 」そんな称賛から、夏がまだ海のことを両親に話していないことが判明するわけだけれど。

本当なら、海も「なんでも自分ひとりでできる子」になっていたかもしれない。それでも彼女は髪を結んでもらっていて、それでいてランドセルの色を選ばせてもらえる『自由』な子どもなのだ。母水季がお金と時間に余裕がなかったと言っていても、それはたしかなのだ。
「海ちゃん、1個だけままに似てないところがある。」そんな自由で天真爛漫に笑う海の表情が、朱音の言葉で小さく固まるシーンがある。「全部似てるよ? 」
「水季はね、大人になっても、嫌なことは嫌って言う子供だったの。海ちゃんも、もっと言っていいの。」海にはきっと、嫌だと言える自由で、一見わがままな未来もあった。でも母ひとりの姿を見て、その母がいなくなって、いや、もしくは夏に似て、言えない子だったのだろう。
「転校やだ。」海が、不満をひねり出す。「うん、やだったね。」「でも、転校しないと無理でしょ? 夏くん。」海は、夏と暮らしたいのだ。パパやらなくていいと言いながらも、パパでいてほしいのだ。
「あのおうちから通うのは難しいかな。」そう海の疑問を反駁しながら、朱音は静かに寄り添った。

夏休みの間にみんなで考えよう。家族みんなで。

家族。それは夏にもいる。血が繋がっていない家族と、血が繋がっている家族。彼にはたくさんいる。
そして血が繋がった母と、血の繋がっていない父と弟と食卓を囲みながら、彼はいよいよ海の報告をするに至った。
当初、彼はたふん「大切な話がある」としか言わなくて、だからこそ家族は「弥生との結婚話」だと思っていたのだろう。だからこそ、浮き足立っていた。
そこへ、夏が現実という冷水をかける。
「子供がいる。」それでも家族の祝福ムードは止まらない。「あ、そっち? 」「お父さん、全然いいと思う。」「おめでとう! 」「それで緊張してた? 怒られると思ったの? 」「予定日いつなの? 」
怒涛のように押し寄せる祝福に、夏はいつだって小間切れにしか言葉を寄越さない。「弥生さんの子じゃない。」いつも通り、自責の色をしていた。
「あんた浮気したの? 」そりゃあそうなるよ。「違うしてない、待って説明するから。」夏、誠実に相手の言葉を待ってから自分の言葉を自分のテンポで話すから、ツッコミどころ満載になるんだよな。そして誤解されやすいんだよな。

そんな彼が、不器用ながらに言葉を紡ぎ出した。
「少し前の葬式で亡くなったのが、大学の時付き合ってた人で。その人が大学の頃、子供を産んでたって知って。……今7歳。」事実を真摯に、でも淡々と語る夏に、母ゆき子は縋るように訊いた。
「何も知らなかったの? その彼女から、何も聞いてなかったの? 」でも、母が思っているよりも息子は残酷だった。
「妊娠は、聞いてた。堕ろしたと思った。」「何それ、お母さん何も聞いてないんだけど。」「心配かけると思って。」「隠したの? 学生の分際で。」ゆき子の怒りは、これまで視聴者が月岡夏というキャラクターに対してやんわりと抱いていたものだったのかもしれない。
「彼女妊娠させて、周りに隠して中絶させたの? 」させたわけじゃ。否定しようとする夏を、ゆき子は制する。「同意してそうしたってことは、あんたがそうさせたってことなの。」夏の責任が、ようやく言葉になって夏の全身に覆いかぶさった。
「中絶が悪いって言ってるんじゃないの。あんたの意思なんてどうでもいいの。でも産むって言われたら? それでも隠した? 」怒りながらも、縋るような、説き伏せるような、母の声だった。「心配かけると思ったんじゃないでしょ? 隠せると思ったのよ。男だから、サインしてお金出して優しい言葉かけて、それで終わり。体が傷つくこともないし。悪意はなかったんだろうけど、でもそういう意味なの。隠したってそういうことなの。

そうだ。月岡夏がやったことは、中身は違えど形は弥生の元彼と同じなのだ。妊娠させて堕ろさせた。自分ひとりの意思で、学生なのに親に相談すらせず。
責任に向き合わない、無責任な行動だった。

「……そうだと思う。隠せるって、思ったんだと思う。」夏の中で、責任が大きく膨らんで、声帯を圧迫した。
そんな夏を、父と弟がフォローする。「隠したのは良くなかったけど。」「うん、ちがうんでしょ? 産んでたんでしょ? 」そう、その『責任』は、中絶して堕ろさせたときの話。産んで命として育てられているのならば、また話は別だ。だがもちろん、夏の責任が消えるわけじゃない。ずっとずっと、罪悪感と責任は付きまとう。
「だから言ってんの! 『あ〜よかった生きてたんだ』って、『罪悪感なくなってすっきり〜』って。そんなのんきなこと思うの、お母さん絶対許さない。」一時期ひとりで夏を育て、血の繋がっていない大和を育てた人の言葉だと思った。命に責任のある、母の言葉だと思った。力強かった。

「弥生ちゃんのことは、任せる。弥生ちゃんの意思に異論はない。でもなにか強要させんのはゆるさない。」夏はそういうのないと思うけど。
この家族は、弥生を想っている。弥生との結婚の報告だと思っていたからこそ浮き足立っていたのだし、スピンオフドラマ『兄とのはじまり』の第3話『弥生』でも、弟大和は「弥生さんを泣かせるのはゆるさない」と言っている。この後のシーンでは、「弥生さんの意思には全面的に賛成。お前(夏)の意思なんてどうでもいいけど、弥生さんの意思は全て尊重する。」と、夏に伝言するよう伝えているほどだ。それくらい、弥生を大切にしているのだ。そしてそれは、夏を信用しているからで。夏が好きになった人だからで。
「名前は? 」ゆき子が訊く。「海。」夏が初めて呼び捨てにした瞬間だった。親の顔をしているようにも、見えた。

お母さんさ、最近ちょうど孫が欲しいなって思ってたとこ。連れてきて、会いたい。

水季は、子宮頸がんで亡くなったらしい。これはゆき子と夏の会話で初めてわかったことだった。子宮頸がんは、性行為しなければ発症しないがんでもある。夏の責任は、より一層重くなるわけだ。
そんな話から、水季と海の生活を思い、ふたりは過去の生活を回顧した。ゆき子が離婚して再婚する前、夏とふたりで暮らしていた頃。ゆき子にとって、一番大変だったのはその頃だったと言う。
「お金と時間ないと、気持ちまでどんどんすり減っていくの。美容院行けないし、行ったら行ったで罪悪感すごいし。」それは冒頭で水季が言っていたことと同じだった。
この後、弥生が美容院に行っているシーンがある。弥生はトリートメントを試す余裕があった。そんな時間も、海にプレゼントするお金もある。でも一方で、その横では忙しない母の客がいた。弥生はどこか寂しそうだった。
実際、私は母になったことはないしこれからもなりたいとは思わないけれど、お金と時間に余裕がないと気持ちがすり減るというのはとてもよくわかってしまう。貧乏人に余裕のある人はいない。そんな理想論は存在しない。でも子どもには自由でいてほしい。ジレンマ、弥生に至っては、ないものねだりなのかもしれない。
でも、そんなジレンマにゆき子は見切りをつけたらしかった。「寂しいこともあったけど、お母さんの友達来てくれたり。」夏が励ますと同時に、それを思い出したらしかった。「早いこと諦めつけて、人の手借りることにしたの。母親ひとりで寂しい思いさせないなんて、無理よ。」ゆき子はやっぱり、夏の母だった。責任感が強くて真摯で誠実で。そしてそのためになりふり構わず行動できる人だった。
「水季ちゃんが、誰にどれくらい助けてもらったか知らないけど、知ろうとした方がいいよ。その人から教わること、多いと思う。」

そこで、津野が映る。海が津野が勤める図書館まで会いに来たのだ。「津野くんに会いに来た! 」天真爛漫にあっけらかんと言う海に、津野は笑う。「うそだぁ。」

「ママが居なくなってから、図書館来ないと会えなくなっちゃったから。」

津野は、水季の生前唯一水季の生活を支えた人だった。支えて、ふたりの生活に介入することはなく、ただ手伝った人だった。
「津野くん元気? 」あどけなく、海は問う。「元気だよ。」頬杖をついて、愛おしそうに何気なく津野は答える。海の日常の話を聴きながら、どこか寂しそうに。「津野くんもくれば? 」そんな残酷で優しい言葉にも、津野は困ったように笑うだけだった。
俺いらないよ。海ちゃんのこと助けてくれる人たくさんいるから、俺居なくて大丈夫だよ。」

ママが元気なときは、津野くんだけだったのに?

津野は当然海本人には言わなかったが、ある抱えていた思いを同僚に打ち明ける。「ママの病気がわかったり、死んでから現れるなんてみんな調子いいよねぇ。」
そして同僚も同意するのだ。「気持ちは分かる。家族でもなんでもないんだけどさ、ずっとそばにいたのって私たちくらいで、支えてたの津野くんくらいで。なのになくなったら急に外野な感じ、ちょっとモヤモヤする。」ふたりの言葉は、紛れもない皮肉で、どうしようもなく寂しげだった。

「血でも法律でも繋がってないですからね、弱いもんですよ。そばに居ただけの他人なんて。」


私はさ、毒親育ちで元虐待児で。散々その話をしてきたけれど、今は親から離れて独り立ちしている。連絡も取っていないし、居場所も伝えていない。そういう道を選ぶ人は大抵、大学時代にアルバイトをして貯金をしておくのだろうけれど、親に禁止されていて通帳すら持てなかった私にはそれすらできず、絶縁直後はまさに一文無しだった。そんな私が今、好きな仕事のそばでひとりで暮らせているのは、『血でも法律でも繋がっていない他人』のおかげだ。これは絶対、言い切れる。

家族って、血なんだろうか、法律なんだろうか。


第5話のラスト、夏は南雲家へ泊まりに来る。たどたどしくも水季が使っていた部屋に入り、水季の病気が発覚してから彼女と海がこの家で暮らしていたことを知る。
「ママなしで寝る練習するんじゃなかったの? ママがいないと寝れない子になっちゃうよ。」水季は、死んだ後の練習をしていた。「ママがずっといればいい。」「……ママいなくなっちゃうんだってば。」「今いるもん。」
自分がいなくなった後の世界で生きる海が不安で、死んだ後の練習をして、慣らしておきたかった。でも、海の泣きそうな声には勝てなかった。「そうだね、今いるんだから、一緒に寝た方がいいよね。ごめんごめん。」水季にとっては、夏の家を教えたのも、死んだ後の練習だったのだろう。


家族を家族たらしめるものは、なんだろう。時間? 絆? 名前? どれもそうで、どれも絶対じゃない。
わからない、私には絶対的な家族がわからない。でもきっと、わかる人はこの世にいない。いない、はずだ。
今回、この感想を書くのは今までで1番辛かった。結構省いたシーンもある。早足になってしまったと自覚するシーンもある。でもそれでも、語りたい、語らなきゃいけないと思った話だった。
でも、感想と言うよりもお気持ち表明文になってしまった。不甲斐ない。それくらい感情をかき乱された。

感情が、ぐちゃぐちゃになった。

第5話を観た日の夜、1時間に1回は目を覚まして涙が流れていることに気付いた。怖かった。夢に誰も出てこなかったから。ずっと毎日夢の中で、夢みたいな家族を演じたり、現実を見せつけてきたりする『家族』が、あの日は出てこなかった。

「嫌いでいいよ、家族なんだから。」あの言葉が、私を幸福な孤独へと放り込んだのだ。

何度も自分を責めた。家族を好きになれず、家族でいられなかった自分を恥じた。この当たりの話はまた別の場所で語るのだけれど、とにかく、とにかく救われたのだ。感情がぐちゃぐちゃになってお得意の文章が書けなくなるくらい、未来が怖く、そして眩しく感じたのだ。

第5話放送の次の日の朝、久しぶりにまじまじと鏡で自分を見た。どこからどう見ても、人間だった。
「ありがとう。」人間だからか、言葉も口から出てきた。推しへの感謝だった。


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