「自分ごと」としての介護環境について①
介護職員は、介護現場において環境の一部である。
環境の一部として自分は機能できているだろうか。
ここで振り返る。
良い介護環境を考えるときは、自分ごととして考えるとイメージが膨らむ。
将来親の生活をそばで支えられなくなり、親が家族以外の方から生活支援を受けなければならなくなった時のことを、例えば、考えてみよう。
どんな支援者・どんな場所であれば、安心して自分の家族を任せられるだろうか。
以下のような要素が頭に浮かぶ。
○綺麗な住環境(整理整頓の行き届いた部屋、よく手入れされた庭木、清潔感のある建物外観・・・etc)
○職員の敬語
○職員だけでなく、先に入居されている方が笑顔
どれも、大切な要素だと思う。
しかし、これらの要素が整っていても満たせない幸福感がある。
人は、例え認知症になって、どんなに周囲のことがわからなくなったとしても、自分が大事にされていることを感じとる。逆に、除け者にされていることもよく、わかる。
共に暮らす他利用者の中には、
ある利用者が職員から丁寧に扱われていない様子を感じ取り、その方を軽く扱ったり、あからさまな拒絶の態度を示すことがある。
一方で
その集団の中にいる一番弱い立場の利用者を職員が大切に扱っていると、同じようにその人を大切に扱うようになることがある。
人は、良くも悪くも置かれた環境に影響を受ける。
その場所で一番弱い立場の人は
周囲からどのように扱われているだろうか。
自分の家族が、親が、弱い立場になった時に
同じように大切にしてもらえるだろうか。
これは、一時的な場の観察だけではつかみにくい部分かもしれない。
だが、長期的には、その場所全体の幸福感に影響を与える。
自分ごととしてとらえると、環境としての介護職員として、もっと配慮できる現状の課題がみえてくる。
不安や混乱から、大きな声を出したり、落ち着かずに歩き続ける利用者を見て
「病気だから仕方がない」
「転ぶと心配だからずっと座っていてほしい」
「自分が勤務の間にトラブルを起こさないでほしい」等々、
その場の平穏と、自らの感情が暴走しないように心の納得をひたすら求め、利用者の背景まで思いが至らず思考停止に陥っていないだろうか。
実はよく陥ることがある。
しかし、その思考停止状態を許してもいいと思っているのか、それとも、その方の背景を知るために情報を集め、現状を評価し、その方に対して戦略的に関わろうとするのか。
わかったふりをせずに、相手を知ろうとする姿勢を持つ人は、相手との境界線を引ける人
弱い人は、外面を人の気にいるように繕うことが難しいかもしれないし、相手のことを考えて自分の行動を変えることが難しい人かもしれない。
そのような人を大切に扱うためには、関わる側が積極的に相手を知ろうとしなければならない。そして、その人のことを理解できない周囲の人々に働きかけなければならない。
その場所で一番弱い立場の人は
周囲からどのように扱われているだろうか。
自分の家族が親が弱い立場になった時に
同じように大切にしてもらえるだろうか。
これが、介護職員が、自らを環境の一部であると自覚し、実際に行動している努力を端的に見て取れる状況に思える。
まずは、ここまで。