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11月からの冬季鬱と親との軋轢の話

私は去年の11月ごろから冬季鬱らしき症状を発症し(一昨年は10月ごろからだった)、外になかなか出られなくなりました。料理、掃除、買い物などができなくなり、小さい頃から虐待されていた親との接触が増えました。インフルなどでどうしても病院に行かなければならず、連れて行ってもらったり、買い物をせめて自分でしなければと、買ってきてもらうのでは無く付き添いという形に無理してしてもらったり、とても回数が多かったです。一昨年は一人暮らしを始めたてで、親は完全にシャットアウトしていたためその分のストレスがなく、また、一人暮らし始めたてブーストで頑張っていたんだと思います。怖く落ち込んだ考えは常に頭にありましたが、何もなく過ごせていました。

私は基本的に親と仲良くなりたいと思っており、親もカウンセリングを長年受け変わりつつあったこともあり自分から会おうとしたことも何度もありました。クリスマスは「普通の、幸せな家庭、食事」に憧れ、帰省しました。しかし、ストレスが強く、帰る直前に睡眠薬で自殺未遂を起こしました。また、IKEAやスーパーマーケットに行った時も、私は体調が悪くめまいやしんどさを感じ、それを母親に伝えると「休む?」と言われたのですが、私は親に迷惑をかけたら何をされるかわからない、休んで迷惑をかけてはいけないと思い、「休む?って言われたら休まないとしか言えない」と言いました。すると「そうだよね、頑張って帰ろう」と引っ張って帰ろうとされました。私はもう頑張れないと思い、父親を呼んで彼の前で泣いてしまいました。

前回の記事の通り、一月始めには自殺未遂を実際に起こし、二週間弱入院していました。

その後、両親は少し変わりました。私は、今回の出来事は冬季鬱によって私が抱えていたたくさんのストレスや困りごとを、全く親に話せていなかったということが原因だと思いました。そしてなぜ話せなかったかというと、彼らが全く私に心配やケアの言葉をかけてくれないからだったと思いました。例えば、「大丈夫?」「不安なことない?」「困ってることあったらいつでも相談してね」などです。入院しているときに、ほかの患者さんや看護師さんは私に対してそういう言葉をたくさんかけてくださいました。でも両親は全くそういう能動的な私へのケアがなく、私も「話したら聞いてくれるだろう」という気持ちがわかなかったのです。

その全てを両親に話しました。すると、両親はわかってくれて、少しずつそういう言葉が増えていきました。また、話はいつでも聞くよ、と言ってくれるようになりました。

よかったです。

読んでくださりありがとうございました。

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