コーチとして活動する私の想い
このnoteでは
僕がコーチとして活動している想いや
これまでの僕のストーリーをお話ししたいと思います。
僕は、某国立大学の教育学部を卒業後、
某大手OA機器会社で法人営業を
約6年間していました。
その後、転職を機に離島へ移住し、会社勤めをしながら、コーチとして活動しています。
安泰といわれる大手企業を退職し、離島へ移住。
僕にとって大きな決断でした。
その決断とともに、どうしても僕の中でコーチとして活動していきたいという
諦められない思いがあって、今ではコーチとして活動する
第一歩を踏み出しています。
その一歩が踏み出せたからこそ、あなたに
僕のことを知ってもらうことができています。
まず、僕と出会ってくれてありがとうございます。
僕は今でこそ、
メンタルコーチとして活動していますが
つい1年ほど前までは
僕はこんな自分が本当に嫌いで仕方なかったです・・。
この症状はいわゆる、うつ病でした。
うつ病と診断されたのは、7年前が最初です。
今であれば、自分の気持ちから逃げることなく
ちゃんと自分と向き合いうつ病と戦っていくことをすればよかったのですが、そこから逃げて逃げて逃げ続ける7年でした。
自己判断で薬を飲むのもやめ、病院に通うこともやめ、普通の生活ができると思ってなんとかそれまで生きていました。
でも実際は、かなり自分の気持ちに無理をして生きていました。
うつ病を最初発症した時のことは
今でも忘れません。8月の暑い時期。
営業の外回りが終わり、会社に戻っている時でした。
「どうしよう。今月は営業成績に届かない。。」
「今月がよくても、来月の数字も担保できてない。。」
当時の会社は9月が決算月なこともあり、会社から高い数字目標を与えられていました。
達成したい気持ちはあるけれど、どうすれば達成できるんだろう。
そんなことをずっと考えていると、ふと目の前に会社のロゴに似ている
マークがプリントされた車が目の前をよぎりました。
その瞬間、、突然吐き気に襲われました。
なんか変なもの食べたかな??ラーメン食べすぎたかな。
その時は、そんな程度でした。
吐き気も落ち着き、会社に戻りエレベーターに乗り込むと
総務課長と一緒になりました。
「なんか、顔色が変だよ???大丈夫??」
「ちょっと吐き気がしただけなので、大丈夫です。」
そんなやりとりをして、別々のフロアで降りて、僕は上司に今日の成果の報告をします。
「今月どうするんだ?」「来月も数字がまだできてないけど、どんなプランを考えているんだ?」
いつもなら、答えられる内容にも答えることができず、
すみません。。。がんばります。。。
この言葉を言うことしかできません。
上司も変に思ったのか、今日はもういい。と、打ち合わせが終わります。
打ち合わせが終わった直後くらいに、総務課長が僕の目の前にきて
「少し話をしようか。ちょっと時間いい??」
何の話だろう?と疑問に思いながら、そのまま応接室に向かいます。
僕だけ先に応接室に入って、少し待ち時間がありました。
何かいけないことやったのかな?なんだろう。。
不安な気持ちと、明日からの営業計画をたてなきゃいけないという焦りが入り混じった状態の中で、総務課長がやってきます。
席に座って、課長が一息ついてから僕に一言。
「本当に大丈夫??なにかあるならいってみて??」
その瞬間、涙が溢れ出しました。。
とまりません。自分でもなぜ泣いているのかわかりません。。
ただただ静かな応接室の中で、社会人になって3年目の大人が響き渡るくらいの
嗚咽をしながら、大号泣してしまいました。
それをみていた、総務課長から
「少し休もうか。うん。休みなさい。」
そこから記憶があまりないのですが、社長を含めた様々な方々に
明日から休むことになることを伝え、病院の予約を入れ、あっという間にその日が終わりました。
次の日、病院にいき、診断テストや先生との話があり、うつ病と診断されました。
診断を受けた夜、また涙で溢れました。
なさけない。なんでうつ病になってるんだ。
こんな状態だから誰とも会いたくない。外にも出たくない。
仕事大丈夫かな。迷惑かけてないかな。
こんな感情が頭を常にめぐり続け、眠れず朝を迎えたのをおぼえています。
その後は1ヶ月以上、外にでることはできず、ベッドからもでることができず
ひたすらアニメやYoutubeを見て過ごす日々。
会社に復帰できたのは、うつ病発症してから3ヶ月後。
営業職ではなく、営業事務からの再スタート。
総務課長が配慮してくれていました。
僕が会社に戻るための場所をつくるために。
今でも思うのは、よく辛くて嫌な職場にもどることができたなということです。
それは、総務課長の存在です。
僕が休んでいる間も、復帰できる場所を作ってくれました。
休んでいる間に僕に定期的に連絡をくれました。
そうやって、僕の帰りを待ってくれている人がいる。
そんなに思ってくれている人がいるのであれば、僕はその人の力になりたい。
そう思いました。だからこそ、その後営業事務を経て、法人営業に戻り改めて頑張ることができたのだと思っています。
次にうつ病を自覚できたのは、2年ほど前。
離島に移住し、結婚もし人生もよく進んでいると思っている時でした。
妻とは職場が同じで、家に帰っても仕事の話。
同じ職場だからこそ、家庭生活では見えないお互いの働き方など、それまでは感じたことのない感情をお互いが感じるようになっていました。
そこで起きたのは、けんかです。
頻繁におきました。
口も聞かない、目も合わさない、どちらからも寄り添おうともしない。
空気は最悪でした。
仲直りができたとしても、またすぐ喧嘩。そんな繰り返しでした。。。
そんな時、今では何がきっかけで喧嘩したのかは覚えていませんが、とてつもない喧嘩をしました。僕は大号泣。言葉にならない声を叫びながら、泣きました。
次の日、会社にいけません。また次の日、会社にいけません。
結果2週間ほど会社にいけませんでした。
その後、病院にいくとうつ病の再発です。
病院の先生からは
「勝手に病院くるのをやめたらダメだよ。ちゃんとこなきゃ。」
「まだ治ってないんだよ。」
そこからは、カウンセリングも始まり本格的な治療が始まります。
先生と話を進めるうちに、やはり思考も整理され考え方も変わってきます。
そこで、僕が根本的に生きるのをやめたいという考え方をやめる思考にいきつきました。
それは
こんな、考え方です。
カウンセリングの先生も、こんな考えにいたった人は初めてだ。と記録を取られました。
これがきっかけとなり今の命を大切にそして幸せに過ごしていくためにはどうしたらいいのかと考えられるようになりました。
その後は、言うまでもありません。
話し合いを重ね、お互いがお互いのできていなかったところを認め、前以上に強い絆で結ばれました。
今でも喧嘩はしますが、しっかり話し合い、向き合うことで、すぐに仲直りすることができるようになりました。
ここまで、長くなりましたが
これまでの7年間のうつとの戦いをお伝えさせていただきました。
このうつ病との戦いが、僕がコーチとして生きていきたいと想う、感情を作りました。
こんな気持ちを沸かせてくれたのは、まちがいなく僕がうつになったからです。
今では、僕にはうつという経験はこれからの人生を大切に生きていくためには必要な経験だったのかもしれません。
でも、うつを他の人に経験してほしいとは、全く思いません。
うつはくるしいです。辛いです。くやしいです。みじめです。
ありとあらゆる負の感情がでてきます。
こんな感情に、誰もなってほしくありません。
特に僕のことをコーチとして選んでくれるひとがいるのであれば、なおさらです。
絶対にメンタルのことで悩んで欲しくないんです。
僕は小さい頃、母親から言われた言葉の影響で、メンタルが弱いと思い続けていました。
今でもなお、思い出すだけで自分の心を苦しめる言葉です。
ですが、いまはメンタルが弱いとは思いません。
いろんなことで、メンタルは落ち込みます。これは仕方のないことなんです。
メンタルが落ち込んでも、いかにフラットな状態もしくはプラスの状態に
自分で戻せるかが大切なんです。
今では、僕はできるようになりました。
うつに7年ほど苦しんだ僕がなれたんです。
だれでも慣れます。
まさか、小さい頃から母に弱いと言われ続けた、メンタルのことを
大人になって、メンタルの支えになる存在になれるとは思っていませんでした。
だからこそ、僕がメンタルコーチとして活動する意味があると思っています。
今、生きづらさを感じている人や、メンタルが落ち込んでいる人に
僕の優しさで、安心感を与えて、寄り添えるコーチとして
あり続けたいと思っています。
もし、一度僕に話だけでも聞いて欲しい、相談したい。
と言う方は、公式LINEに登録してみてください。
無料で個別相談をしています。
少しの時間かもしれませんが、あなたのために全力で向き合います。
このnoteが必要な人に届くことを願っています。
最後までお読みいただきありがとうございました。