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日々ごはん

今朝はよく雨が降る。
冷蔵庫の中には頂き物のトマトや胡瓜。
娘たちが巣立ち、夫婦ふたりの生活になって
昔ほどたくさんは食べられなくなった。
残しては申し訳ないと外食も何となく躊躇する。
でも、ご近所から分けて頂く旬の野菜たちは特別
ちょこちょこっと料理をしている。

実はカレーライスがあまり好きではない。
昔、父と母は小さなテーラーを営んでいて、
私は三人姉妹の長女。
ずっと針を持ち、アイロンをかけ、ミシンを踏んでいた両親は、日が変わるより前に休んだことなどなかった。そのくらい生活するのに必死。
そんな中、
納期が近づくと晩ごはんはカレーライス。
バーモントカレーの甘口なのだけど、
食べながら溶け切っていないルーに当たると
母の忙しさを感じ、
私がもっと手伝いをしなかったからか、と
とても緊張した。
私が家事をすれば、母はその時間仕事ができる。
だから小さい頃から何でも手伝わされた。
夕方は必ず台所に呼ばれて一緒に立つ。
本当は勉強したり遊んだりしたかったけど。
もちろん母の料理に計量などない。
その日の材料に対して「このくらい」と調味料を入れていく。
それを毎日繰り返して
感覚として自分のものにする感じだった。

私は社会人になるとオレンジページが大好きで
あれこれページをめくっては何を作ろうかとワクワク、
そして、レシピ通りにごはんを作ると
「わざわざ買わなくてもある野菜を使ってごはんを作りなさい」と母に言われた。

こんな調子で過ごしていたから
「私、お姉ちゃんじゃなきゃよかったのに」と思うこともあった。でも、いろいろ思い出すと
妹たちとおやつにホットケーキを焼く時には
「私、お姉ちゃんだから焼く係ね」と四の五の言わせない感じでしっかり特権を発動させていた気がする。

母に遊んでもらった記憶はないけれど、
いつも手作りごはんでおなかいっぱい。
小学6年生の時、
友達の誕生日会にお呼ばれして
お昼ごはんに出された『どん兵衛』
私はその時初めてカップ麺を食べて大はしゃぎ。
でも、自分が母になってやっと
どれだけ有り難い食生活だったかを知る。

小さい頃、外食しての洒落たごはんは
夏祭りに浴衣を着せてもらってのお寿司屋さんと、
夏休みのイベントとしてレストランでの
お子様ランチくらい。
嬉しすぎて、夏休みの絵日記に書いていた。
いつも運動会には母が作る立派な三段重のお弁当
お稲荷、海苔巻、おにぎり、何でもあって
仕出し屋さんのお弁当より豪華な感じ。
食いしん坊な私はいつも目をキラキラさせた。
それが当たり前と思っていたけれど、
今思うと、一体何時に起きていたんだろう。
私も母になって最初は頑張ってみたれけど、
運動会で興奮している子どもたちは、
ゆっくりお弁当を食べるより
友達とアイスクリームを買いに行きたがっていることに気づいて、
それから豪華なお弁当はやめにした。

日々のごはんも、到底母の真似はできない。
でもそれでいいと思っている。

家でのごはんは、洒落たものなどないけれど、
何だかいろんな想いが詰まっていて
そんな背景も含めて思い出すから
最近になって
「あれってこういうことだったのかな」と
笑ってしまう。
だから料理はひとりでするのが好き。
ジャンクなものを頬張ったり、
外で手軽に済ませたり、
そんなことをしてもへっちゃらなのは
ゆっくりのんびりした家ごはんのおかげ。

昨日は蕎麦のペペロンチーノ。
バットの太さほどあるズッキーニを千切りにして
パスタの代わりに蕎麦で。
テレビで見た5分でできるレシピだから
大したことはしていないのだけど。

高山なおみさんの本のタイトルにもある
『日々ごはん』
やっぱり私の生活の中心にある。

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