
成功の中に次の失敗の種がある 百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に立つだね
これはなかなか分かりづらいし、気づかないことだよね。
だけど、実際その通りなんだよ。
例えばプロ野球でも、巨人軍がフリーエージェントでソフトバンクのキャッチャーを即戦力で獲得したよね。
短期的には良い成績が出るかもしれないけれども、若手が育成できなくて、やがて落ち込んでいくからね。
これは国家レベルでも起きることだよ。
明治維新は、尊王攘夷ということで成し遂げられたと言われているけれども、これが裏目に出てきたからね。
尊王思想というのが、やがて政治闘争に利用されていくんだよ。
統帥権干犯問題とか、その後の日本の大失敗の原因になっていくからね。
やっぱり巨大な近代国家を、天皇陛下お一人で判断するというのは、現実的に無理だからね。
だけど、この尊王思想というのは今も続いているんだよ。
これは生まれながらにして尊いという意味だからね。
例えば自民党では2世議員とか、3世議員とかたくさんいるけれども、政治的な実力があるか、能力判定は一切してないからね。
尊王という、本来は、近代化と相容れない思想を大事にしたことで、日本はまだ本当の意味で、民主主義が徹底されていないと思うよ。
民主主義というのは、実力主義のことなんだよ。
戦後アメリカを視察した松下幸之助さんは、民主主義は繁栄主義なんだと言ったよね。
結局実力のある人たちが、その才能を開花できるのが民主主義だからね。
それで、成功の中にある失敗の種をどうやって見つけるかだけれども、やっぱり社会は変化しているからね。
その予兆を見逃さないことだよ。
そして、ドラッカーが言うように、役にたたなくなったものを、体系的に廃棄しないといけないよ。
そのためにも、大事なのは、やっぱり学び続ける姿勢だと思うよ。
例えばドイツのヒットラーは16,000冊の蔵書があったそうだよ。
そして、夜は酒を飲んだりしないで、ひたすら読書をしていたんだよ。
ヒトラーはあれでも13年ぐらい政権を維持したからね。
ドイツが1929年の世界恐慌から抜け出すことができたのも、大胆に国債を発行してアウトバーンという公共工事を行ったヒトラーのアイディアのおかげだよ。
日本はナチスを真似て、革新官僚と言われる人たちが、満州で国家主導経済を実験して、それが戦後の高度経済成長の時の通産省の政策のモデルになっているからね。
やっぱり大事な事は、マンネリになったり、安住しないように、常に新しい挑戦を考えることだと思うよ。
成功しても、さらに難しくて大きな課題を目標として設定し続けることも大事だよね。
そこで、仏教にこういう言葉があるんだよ。
百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)に立つ
百尺竿頭とは、行き着くことの出来る最高の地点だよ。
長さが百尺ある長い竿の先の部分という意味で、 最高の地点からさらに努力して、その先を目指す向上心をいうんだね。
禅の代表的な公案で「無門関」の第46則にある言葉だよ。
原文はこうなっているよ。
「百尺竿頭(ひゃくしゃくかんとう)、坐底(ざてい)の人(ひと)。然(しか)も得入(とくにゅう)すと雖(いえど)も、未(いま)だ真(しん)と為(な)さず。百尺竿頭、すべからく歩(ほ)を進(すす)めて、十方(じっぽう)世界(せかい)に全身(ぜんしん)を現(げん)ずべし」
現代語訳すると、こんな感じだよ。
修行に修行を重ね、悟りの世界に上りつめたとしても、そこに安住したら、本当の悟りとはいえないよ。
そこに執着していることになるからね。
ほんとうの悟りは、更に一歩を進め、身を投げ出し、自由になることだよ。
その身を投げ出し、落ちる所はどこだろう?
それは、苦しみ悩める人々のいる世界だよ。
あらゆる世界(十方世界)にいる人々を救うことが、菩薩としての本来の悟りだからね。
仏教の最終目標は、仏になるということだから、実際には修行に終わりがないんだよ。
そして、菩薩と言われる人たちは、仏を目指して終わりのない無限の修行していて、その修行は、自分を磨きつつ、人を救うということなんだね。
だから成功の中に次の失敗の種があることを事前に知るには、人を愛し続けて、まだ幸せにしきれていない人を幸せにするために、自分に何が欠けているかを考えることが大事だということなんだだね。
仏教の奥深い知恵には、本当に驚かされるね。