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愛されなくても幸せになれるという発見

歪んだ幸せを求める人たちと言う本が最近出たね。ケーキを切れない非行少年たちシリーズの3冊目なんだけれども、とても勉強になる本だよ。

この宮口さんて言う人は、長年少年院で心のケアをしていた人だから、なぜ犯罪に走るかと言うことをリアルによく研究しているよ。

その研究の結果が認知の歪みと言う事なんだけれども、簡単に言うと、愛されたいと言う気持ちがものすごく強すぎて、それが法律の枠を超えてしまうんだね。

それから犯罪に走る子供たちと言うのは、昔だったら不良とか悪いことをしているグループのメンバーとかそういう人たちを想像しがちだけれども、今は全然そんなことがないみたいだね。

外見は普通の子供なんだけれども、ある時殺人未遂みたいなことをしてしまって、結果的に少年院に入る子が多いと言うのには驚いたよ。

例えば、ある女の子が好きで、その女の子が別の男の子と楽しそうに笑っているのを見て、自分を裏切ったと感じて、ある日、ナイフを持って夜中にその女の子の所へ行って、それで殺人未遂で捕まると言うケースがこの中には書いてあるんだよ。

これはどうしたことなんだろうね。そんなことをしたら、警察のご厄介になると言うところに思いがいかないほど、思い込みが激しいわけなんだけれども、これが愛されたいと言う思いが強すぎて歪んでいると言うことらしいよ。

だけど、よく考えてみると、思いが歪んでいると言うのは、少年院にいる人たちだけの問題じゃないよね。多かれ少なかれ認知が歪んでいるというのが、今の人間のほとんどに当てはまることだよね。

それがある時、強すぎて、犯罪者の枠に入れられてしまうわけだけれども、問題としてはどんな人にも当てはまることだよ、これは。

つまり、愛されなくては幸せにならないと言う点では、みんな同じなんだけれども、その度合いが一定のレベルを超えると、犯罪者の枠に入ってしまうと言うことなんだよね。

だから、コロンブスの卵じゃないけれども、愛されなくても幸せになると言うことを発見すれば、問題は解決するわけだよ。

それは、仏教でお釈迦様が言った、執着を去ると言う事でもあろうし、イエス・キリストの言った、隣人を愛せよと言うことだよね。

愛するということがすなわち幸せであり、愛されたいと思うことがすなわち不幸なのだと言う事は、宗教に共通した教えのようだね。この発見をした人、多分悟った人とか、聖人とか言うんだろうね。

そろそろこの、愛されなくても幸せになると言う発見を、もう一度再発見する時が来たようだね。

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