死の意味 消えてなくなるわけじゃないよ
死ぬということは、肉体が動かなくなることだとか、消えてなくなることだぐらいにしか思ってない人は意外に多いよ。
だけど、死の意味について考えることは、人生の豊かさにつながると思うよ。
最近、CMで鬼が「心の豊かさってなんだ」と聞くものがあるよね。
鬼に死ぬことがあるのかわからないけど、人生に限りがあるからこそ、濃密に生きようと思うし、それが豊かさにつながっていくよね。
典型的なのはやっぱりイエス・キリストだよ。33歳で犯罪者扱いされて死んでしまったんだよ。
もしこれが犯罪者だということで、それを受け入れたら、それまでだよ。
宗教になんかなってないよ。
だけど、キリストは復活したということになっているし、そう信じるのがクリスチャンだからね。
じゃあ、キリストが死んだ意味は何なんだっていうところに行くわけだよね。
スイスの哲学者でヒルティという人がいるけれども、復活こそキリスト教信仰の中心の教えだと言ってるね。
イエスは十字架で死んでから、3日目に再び現れたと言われているね。
この三日の間、何をやっていたのかというと、地獄に行って、悪魔と戦って勝利したという説もあるらしいね。
これはギリシャ正教とか、ロシア正教の考えらしいよ。
キリストは復活して、その後、天に昇っていったけれども、黙示録なんかでは、再び降臨することになっているんだよね。
それで、キリストを信じている者は、再びキリストが現れるまでの間、この世をキリストの支配にふさわしいものにするべく、準備をしなきゃいけないことになっているんだよ。
実はこれが「死の意味」なんだよ。
キリストが死んだということの意味は、再び現れるということであって、それまでの間にキリストの支配にふさわしい世の中を作るべく、コツコツ勤勉に努力しなきゃいけないわけだからね。
聖書には「タラントの例え」というのがあるけど、これもご主人様が遠くに行って、その間にしっかりお金を稼ぐような立派なことをして、ご主人様が帰ってくるのを待つという話だしね。
仏教にも同じような話はあるよ。
それは浄土思想だよ。
浄土教の阿弥陀仏というのは西方浄土といって、どこか遠くの世界にいる仏様だよ。
だけど、浄土教では、阿弥陀仏を信じた人間は死んで西方浄土に行ったら、再び帰ってくるということになってるんだよね。
そしてこの世で苦しんでいる人たちを助ける仕事をするんだよ。いわゆる菩薩だよ。
これはキリスト教と、仕組みとしてはほとんど同じだね。
結局「死の意味」を考えてみると、死んだところで終わりじゃないということなんだよね。
死んでも続きがあって、努力したり、修行したりしてるんだよ。
そしてまた、再びこの世界に帰ってきて、人助けの仕事をするということなんだね。
だから、永遠の別れというのは、実はないんだと思うよ。
人間は生まれ変わりをしてるから、会いたい人とは、またどこかで、ちゃんと会えるんだよ。
だから死の意味を、むなしいものと考えちゃいけないよ。
それは区切りでしかないし、新しい始まりなんだよ。
だから、次の取り組みに向かって、力強く真面目に生きることがやっぱり大事だね。