包み込むような気持ちの大切さ 奈良の大仏様を思い出したいところだね
よく子供と音信不通状態の人っているよね。
子供の側から見れば勘当されてしまって、何年も家の敷居をまたぐことができないみたいな感じだよ。
大体、激しい怒鳴り合いみたいなことをやって、そこから関係修復ができなくなったまま何年も経っているんだろうけどね。
そのせいで、面倒を見てくれる人がいなくて、孤独になっている人もいるし、何とか円満とは言わないけれども、話ができる位の関係を修復するという事は、社会的にもほんとに大事だよね。
そこで「人を包む人を包み込むような気持ち」を持てるかどうかというのが大事だと思うんだよ。
こういう気持ちになれれば、どんな憎い相手でも、それなりに許してあげられるからね。
相手が悪いと決めつける事は簡単なんだけどね、その善悪を越えていくということが包み込むという気持ちなんだよね。
どうやったらなれるかだけれども、やっぱり人間同士の競争関係から抜け出さないといけないよね。
例えて言えば、奈良の大仏様みたいな気持ちだよ。
そんな気持ちになるためにも、時々大きなお寺や教会に行くと良いのか良いのかもしれないよ。
別に信仰していなくてもいいんだよ。
奈良に行って、大仏さんのあの見下ろすような大きさを実際に感じてみたらいいんだよ。
聖武天皇が発願して建立してくださったものではあるけれども、あの大仏は地球を包み込む位のスケールの大きさがあるからね。
宇宙的な存在なんだよ。
だけど、人間を一人一人、丁寧に見守ってくださるだけのきめ細かさも同時に持っておられるんだね。
仏教と言うのは多仏信仰だから、その部下として観音様とか菩薩様とか、様々な慈悲深い存在がおられるんだよね。
昔は地蔵菩薩信仰なんかもあって、見守ってくださることに対する深い感謝と信仰心が日本人には根付いていたんだよ。
それがギスギスした争いの関係にならないような安全弁になっていたんだと思うけどね。
それと包み込むような気持ちと言う原型は、やっぱりお母さんだろうね。
赤ちゃんがお母さんの腕の中に抱かれているのを見ると、文字通り包み込まれている安心感があるよね。
やっぱり女性の素晴らしさだと思うよ。
そんなお母さんは見ていても、神々しいと言いたくなる位だからね。
どんなに悪たらしい相手でも、やっぱりその人にもお母さんはいるからね。
包み込むような気持ちになれなくなったら、ときには森の中に散歩に行ったり、京都や奈良のお寺を巡るのもいいかもしれないね。