斉藤元彦氏勝利の要因 変転の中にある本質じゃないかね
兵庫県知事に再当選した斉藤元彦さんの勝利の要因について、SNSがクローズアップされているね。
もちろんその通りなんだけれども、大事な事はSNSを通じて、多くの人々に何が伝わったのかじゃないかと思うんだよ。
それはやっぱり斉藤さんの信念であり、勇気であり、兵庫県民に奉仕する心であり、こういったものが彼の本質だと多くの人は感じ取ったんじゃないのかね。
マスコミはこうした本質的な価値というものをなぜか避けて通るんだよね。
パワハラ疑惑が出れば、一生懸命疑惑を報道するし、再選されればSNSのブームに乗っかったと言うし、とにかく一過性の表面的なものばかり追いかけているんだよね。
これはどちらかと言うと申し訳ないけれども、動物的だと思うよ。
動物というのは、なぜそれがあるのかとか、その本質は何なのかとか一切考えないんだよ。
そして餌に飛びつくように、今起きている事に一生懸命取り取り組んで、その中でどうやって生きるかを必死になっているんだね。
やっぱりこれは、文明国家としてちょっと情けないところがあるよね。
やっぱりもうちょっと本質の探求が必要だと思うよ。
それはギリシャの哲学でもあるし、仏教の悟りを求める仏道修行のようなものだよね。
そういえば、プラトンが国家という晩年に書いた集大成の作品の中で、自分の中にある本質を見いだすには、鍛錬が必要だと言っていたよ。
古代ギリシャでは、軍事教練として運動場で辛い鍛錬をするわけだけれども、プラトンによれば、それは体の強さを目的とするよりは、むしろ、自分の素質の中にある気概という要素に目を向けて、それを目覚めさせるためにこそ行うのだと言っているんだよね。
さすがプラトンだよ。
勝ち負けでもなく、辛さでもなく、それを通じて現れてくる自分の本質こそが大切なものだと教えてくれるから、本当にこういった古典というのはありがたいね。
やっぱり斉藤さんも失職した時は、絶望のどん底に突き落とされるような気持ちになったんだろうけれども、そこで自分の本質というもののに目覚めたところはあるのかもしれないね。
あの人は信念ということをよく言っていたね。
やはり兵庫県民に奉仕して、住んでいて良かったと思えるような県にしたいという信念が、自分の本質そのものだということを改めて発見したんだろうね。
それは自分の価値に目覚めるという事でもあるし、新しく生まれ変わるような素晴らしい体験だよね。
昔の諺で、「艱難汝を玉にする」という言葉があるけれども、逆境の中でこそ「自分とは何か」という自分の本質に目覚めていくんだよね。
それこそが変転するものの中にある本質でもあるし、この本質に目覚めたことが、斉藤元彦さんの勝利の要因じゃないかと思うよ。