あてはまらなくていいじゃないか
カテゴリーは誰かが決めた指標にすぎないという話。
「似合う」を見つける指標の一つとして
パーソナルカラーなるものがあります。
パーソナルカラーとは、生来持っている髪の色、目の色、肌の色など自分という素材を活かす色を見つけるためのものです。
分類分けとしては、春夏秋冬の4タイプあります。
・スプリング(イエローベース)
・サマー(ブルーベース)
・オータム(イエローベース)
・ウィンター(ブルーベース)
自分がどのタイプかどうか、以前、化粧品店の店頭のキャンペーンで診断を受けてみたことがあります。
自分自身、診断を受けて気づいたことがあります。
カテゴリーが全てではないということ。
パーソナルカラー診断そのものを否定してるわけではなく、誰かが決めたカテゴリーに当てはまらない場合もある、という可能性を持っておかなければいけないという意味だからです。
なぜならば、診断を受けてみると、私は「ニュートラル」というタイプたったのです。
つまり、イエローベースもブルーベースもどちらもいけるという意味です。
範囲としては、中間的な色が合うので、極端に黄みが強かったり、青みが強いものは合わないというだけ。
パーソナルカラーに限らず、世の中には、カテゴリーがたくさんあります。
でも、そういうものにハマらない人がいても、そういう人もいるんだと安心してください!
人間、十人十色です!
なぜカテゴライズするのか
なぜ人間はカテゴライズしたがるか
そのルーツをご存知ですか?
そもそも世界(自分も含む)を「カテゴライズして理解する」という文化は、18世紀の博物学から始まっています。
16世紀に始まった大航海時代。
その頃から西洋世界は、新大陸のモノ、自然、動物、資源、ヒトまでありとあらゆるものを収集しました。
収集した未知のアレやこれやに、名前をつけて、分類し始めた。それが博物学です。
私たちにとっても身近な博物学
博物学?て遠い存在に思われるかもしれませんが、現代の人にとって身近なところに名残りがあります。
かつて収集されたものは、色んなコレクションへと分かれていきました。
植物は植物園、生きた動物は動物園、死んだ動物や珍しい鉱物などは博物館へ、美術品は美術館へコレクションされています。
物のコレクションとしてだけではなく、私たちのモノの認識の仕方や、価値観にもに無意識のレベルで浸透しています。
大学院時代の恩師は、こんな例えを出して教えてくれました。
そこにいるみんなが嫌いな虫ってさ
ゴキ◯リよりも、チャバネゴキ◯リって言った方が、なんか詳しく知った気がしない?って。
(お食事中の方、すみません…!)
確かに、同じものでも、細かい表現にした方が、知った気になってします。それが博物学が私たちにもたらしている価値観の影響の一つです。
世界はもっとあいまい
世の中には明確にカテゴライズできるものもあれば、うまくカテゴライズできないものもあります。
それはそうです。あくまでどこかの誰か「人間が」線引きしているだけですから。
人間はもっと色んな人がいると思います。
パーソナルカラーは、あくまで、自分の特性を知る一つの材料として、参考程度にとどめておこうと改めて思うのでした。