なぜロシアが好き?文学編⑤

ソルジェニーツィンです。収容所群島を書いた作家です。ロシアが好きになるにつれて、いいことばかりだけでなく、負の遺産も知るべきではないかと私は思うようになりました。

2011年に初めてロシアの大地を踏み、キジ島まで行ったのに、そこは、ソルジェニーツィンのいうソロヴェツキー島とは違う島だったと上陸してから気づくというどんくさいことをした私。

帰国後、収容所群島の本を借り、ソロヴェツキー島のことを調べます。亀山哲郎氏の写真集が図書館にあり、もちろん借りました。また、亀山氏が書いた「やってくれるね、ロシア人」という本にもソロヴェツキー島が出てくるし、ロシアの興味深い内容が盛りだくさんでおもしろかったです。

ソロヴェツキー島のことを知ったものの、どうやっていくかが問題です。夫にこの話をしたら、ソビエトの人からすると、ソルジェニーツィンは裏切者になるらしく、収容所群島の話は、作家の作り話で嘘だということです。だから、夫と一緒に行くというのは無理だと思いました。

結婚するまでに行っておかないとたぶん行けなくなると思いました。ただ、ソロヴェツキー島は白海に浮かぶ北方の島でそんなところへツアーが出ているのは、私が知る限り、当時はユーラシア旅行社とロシア旅行社のみでした。ユーラシア旅行社は6月と9月のみで、仕事を休めない時期で無理です。ロシア旅行社は2012年から8月にソロヴェツキー島へ行くツアーがあり、2012年から毎年、私は申し込みをしました。しかし、2人しか集まらなくて、催行決定にならずというのを4年間繰り返しました。
2016年、結婚前の最後のチャンスの年に奇跡的に2月の時点で3人の申し込みがあるということで、ロシア旅行社は営業を頑張りました。8人参加者を集めて、催行決定になったのです。そして、毎年私ともう一人の申し込み者だったそのもう一人にも会えました。

ベロモルスクから8月でもダウンコートを着るような気温の白海を片道4時間かけて船で渡ります。私たちは大きい船でしたが、囚人や巡礼の人たちは小さい船で渡っただろうから、命がけだったなあと思います。

片道4時間もかかるので、船の中でソロヴェツキー島のビデオを見ました。その時に、島は大きいことが分かり、片道4時間かかるのに日帰りだから、私が行きたいところは行けないかもしれないと思い始めました。
島に到着後、予感は的中し、修道院として使っていた時代の部分しかガイドは説明しませんでした。修道院として建てられたものがスターリン時代は収容所になったはずが、その収容所の部分は一切説明しません。ロシア人向けのツアーではロシア語でその部分も説明しているのに・・・
外国人には説明するなという規定でもあるのかなあと思ってしまいました。5年も待って、やっと行けたのに、ソルジェニーツィンを全否定するガイドを前に本当にがっかりでした。しかし、亀山氏の写真集で見た建物を見つけるたびに写真を撮りました。

大量に虐殺された場所に行くということで、母は般若心経のハンカチを私にもたせました。耳なし芳一のようにお経が守ってくれるかもという母の発想。しかし、仏教でなくロシア正教だからどうかなと私はやや不安。

やや不安な私は、ツアーの途中で立ち寄ったヴァラーム島の「旅を無事に終えることができるマリア」の説明をきき、そのマリアのイコンを迷わず購入しパスポートにはさみました。

考えようによっては、大量に虐殺されたところに行ったら、怨念などをもらってきたかもしれないから、行けなくて残念でしたが、無事に帰国できたのかもしれないと思うようにしました。

ソルジェニーツィンについては、ソクーロフ監督が映画を撮っていて、2012年6月にそれも見ることができました。

ソルジェニーツィンからもまた新たなロシアを知ることができました。


そして、モスクワに住むようになってから、ソルジェニーツィンの家博物館がオープンしたことを知り、見に行きました。

ソルジェニーツィン生誕100年の除幕式にはプーチン大統領も参加しています。

ソルジェニーツィンのお墓もどこにあるか分かったので、それも行きました。

ソルジェニーツィンについては、たびこふれに詳しく書いたので、ご覧ください。



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