アエロフロート航空 モスクワ⇒成田
アエロフロート航空 成田⇒モスクワは、こちらにまとめた。
今回は、モスクワ⇒成田をまとめてみる。
夏は日没が遅いから、離陸を待つときも明るい。
2015年8月だが、この時は、空港に早く着きすぎた。
あまりにも暇なので、これから乗る飛行機をじっくり見ていた。
荷物を機内に入れる作業もばっちり見ることができた。
そして、写真をまとめて気づいたが、冬は暗いため、写真を撮ったことがない。
この時は、連絡通路から乗ったが、バスで移動して、外から飛行機に乗る場合が、冬は多かったなあと記憶している。
アエロフロート航空95周年の時は、座席のシートにも刺繍があった。
モスクワから成田の場合、エコノミークラスでもメニューが配られる。ロシア語と英語表記。いつだったか、日本語表記のメニューも出るようになった。ロシア語も英語も分からない両親が二人だけで乗る時も安心できた。
紙コップにもアエロフロートのロゴが書かれている。
ロシアの水がスポンサーになったようだ。
1回だけ、7月上旬に乗ったことがあるのだが、白夜の時期だから、フライト中ずっと外が明るくて、景色を楽しめた。
夕ご飯の機内食。
肉か魚を選べる。
この時は、タラだったから、魚にした。
デザートのケーキもボリュームたっぷりだから、満腹になる。
12月31日にモスクワを離陸し、機内で新年を迎えた年があった。
その時は、モスクワ時間が新年になるタイミングでシャンパンとチョコレートが配られた。
このときは、ロンドンの絵が描かれているチョコレートだった。アエロフロート航空の95周年だったから、それもチョコレートの箱に書かれていた。
チョコレートの中身は、「あなたと一緒に95周年」と書いてあった。
さらに、1人1枚ずつ封筒が配られた。
中を開けると、С Новым годом!と書いてあり、1人だけ、この中に無料の航空チケットが入っていた。
私は、残念ながら外れた。
7月上旬に上空から撮った写真。
冬の写真はない。なぜなら、真っ暗で私のカメラではきれいに写真を撮れないから。ただ、星がよく見えて、冬の上空もきれい。
ハバロフスク上空近くになると、朝ご飯が出てくる。
朝ご飯は、オムレツか、ブリヌイ(パンケーキ)、カーシャ(おかゆ)などを選ぶことになる。
この時は、オムレツにした。2014年8月。
また、オムレツ。2015年8月。
この時は、きびのカーシャ(おかゆ)にした。2017年7月。旅行で来ているときは、カーシャを食べたくなくて、オムレツにすることが多かったのだが、ロシアに住むようになって、カーシャを食べられるようになった。
そして、夕ご飯を食べた後、ずっと機内で体を動かしていない時の朝ごはんでオムレツを食べるとお腹がもたれるが、カーシャなら、腹8分目くらいでお腹がもたれないことに気づいて、住むようになってからは、朝ご飯にカーシャをお願いすることが増えた。
ソバの実のカーシャ。2017年10月。分量が多いように見えるが、ソバの実は消化がいいので、お腹がもたれなかった。そして、この杏との相性もばっちりだった。
この時は、ブリヌイ(パンケーキ)にした。2018年1月。このブリヌイはかなりおいしかった。右上に「幸運」と書かれたお菓子があるが、この中には、ロシア語と英語で書かれた紙が入っていて、おみくじみたいになっている。
2019年1月もカーシャにした。
日本に近づいている。
往路と同じように、エコノミークラスを予約していたのだが、ビジネスクラスのチケットを渡されたことが1度だけあった。
この時は、搭乗を待っているときに、元バレリーナの草刈民代さんを見かけた。
NHKで放送された番組のロケに来ていたようだ。草刈民代さんもビジネスクラスで、私の3列前に乗っていた。
さて、私は、初めてのビジネスクラス。大興奮で、座席から写真を撮った。毛布ではなく、布団があり、枕も大きい。
初めてのビジネスシートで興奮しすぎて、離陸体制になっているタイミングで、鼻血が出てきた。私は蓄膿だから、一度鼻血が出たら、止まりにくくなる。客室乗務員は、まだ立って作業をしているときだったから、鼻血が出たことを伝えると、紙ナプキンと、氷を渡された。
そして、鼻血を止めながら離陸した。
鼻血も止まって、少し落ち着いたときに、座席に座って見えた景色はこんな感じ。
シート操作は、ボタンがありすぎて、よく分からなかった。
おしぼりが出てきた。
食事前にトイレに行ったら、ビジネスクラスのトイレには、エコノミークラスのトイレにないアメニティーが常備してあった。
モルス(コケモモのジュース)とお通し。
テーブルクロスも敷かれ、花も置かれた。
前菜にカニが出てきた!
サラダ。
スープ。
メインは羊の肉にした。
デザートはアイスクリーム。飲み物はココア。
夕ご飯の機内食は、興奮していろいろ食べたため、朝ご飯の機内食のときは、食欲がなかった。
そのため、ヨーグルトと紅茶をお願いした。
チョコレートも出てきた。この時は、2013年12月の年末だったから、С Новым годом!と書いてあるチョコレートだった。
外の様子だが、2016年8月の時は、月が見えた。
これは、2016年12月。
福島の上空くらいだったと思う。
雪がなくなってきて、成田に近づいている。
モスクワから成田のフライトでは、草刈民代さんと同じフライトだったのが1度あった。
また、日本でバレーボールのワールドカップが行われるときは、ロシアのバレーボールチームとトルコのバレーボールチームの女子選手と同じフライトだった。
私の隣の席は、イタリア人のコーチで、通路を挟んで隣の座席には、ロシアのバレーボールチームの選手が乗っていた。
1人は機内で刺繍をしながら乗っていた。
バレーボール選手だから体が大きく、エコノミークラスの座席は小さく見えた。
4人掛けを2人で利用していたが、それでも、小さくて、1人は、4つの椅子の上に横になり、もう1人は、座席の前の床に横になった。
それで、日本に午前中に到着し、翌日にロシアチームは日本チームと試合だった。
私は時差ボケでフラフラしている中、ロシアの選手たちは、バレーの試合をしていた。
結果はロシアが負けたが、飛行機に乗ってきてすぐに試合だから、試合をしているだけですごいと思った。
#わたしの旅行記
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