
【翻訳】『ユニバーサル・ランゲージ』マシュー・ランキンインタビュー
こんばんは、チェ・ブンブンです。
先日、カイエ・デュ・シネマ2024年12月号を購入した。年間ベスト号なので、編集部のベストや濱口竜介、ロドリゴ・モレノなどのベストが確認できるのだが、扱われる作品や特集記事も興味深い神回となっている。私が昨年のベストに挙げたおっさんが草野球するだけの映画『Eephus』を輩出したOmnes Filmsの特集やポール・シュレイダー新作『Oh,Canada』などの批評が掲載されている。
その中で、マシュー・ランキンのインタビュー記事があった。ガイ・マディンの後継者と囁かれているカナダ・ウィニペグ出身の鬼才マシュー・ランキンは『ユニバーサル・ランゲージ』にて第97回アカデミー賞国際長編映画賞ショートリストに選出され一気に注目されつつある。日本でもクロックワークスが配給権を持っており、昨年末のカンヌ監督週間 in TOKIO2024で上映されるやおおむね好評だったこともあり、一般公開時の盛り上がりに期待が持てる。
私自身、2025年重要の旧作特集であるガイ・マディン特集に向けてウィニペグ映画界の研究を始めているのだが、カイエ・デュ・シネマのインタビュー記事は重要な文献になりそうだ。そこで、今回は研究メモと称し、翻訳することにした。今回のカイエ・デュ・シネマは扱っている内容が熱いので興味持ったら大型書店やAmazonで購入することをオススメする。
ある混合空間/Un espace composite
インタビュアー:あなたの前作『The Twentieth Century』では、既にカナダにおけるアイデンティティを空想的で皮肉的に描いていました。『ユニバーサル・ランゲージ』では、そこからある意味少し進んでいます。つまり、本当の歴史を嘲笑するのではなく、別の歴史を発明しますね。
マシュー・ランキン:実際この映画では、主に映画言語を使っているんだ。1つ目は、ウィニペグ映画の特徴でもある超現実的な不条理。2つ目は、「ケベックのグレーな映画」あるいは「ケベックの自殺リアリズム」と呼ばれるもので、その多くは、帰郷したり、住んでいる場所を離れようとする孤独な男性キャラクターを扱った作品です。3つ目は、イラン映画、特にイランによって製作された映画なんだ。アッバス・キアロスタミ『友だちのうちはどこ?』やジャファル・パナヒ『白い風船』といったカヌン・スタジオ作品(注)のような、子どもたちが大人のジレンマに直面する寓話を直接参照しているのです。だけれど、僕たちはそれを超えてイラン映画という言語に周辺的な視点を関連付けているんだ。西洋の映画では誰が動き、誰が話し、どこで切り返すのかといったアクションが神格化されている。イラン映画では、よくアクションがイメージの方にあります。に興味があるのです。耳を傾けている人に興味があるのです。とても甘美で柔和だと思ってます。西洋の映画ではあまり観られない好奇心があるんだ。本作のアイデアはこの3要素によるベン図のようなもの作成しその結果を観ることにありました。これは『The Twentieth Century』のように人工的な要素を取り入れているけれど、別の領域で、この図を使って物語、感情、人物を作ることができるのか?その中心で何が起こるのだろうか?
インタビュアー:『The Twentieth Century』は、トロントが舞台ですが、表向きはスタジオで撮影されてましたよね。本作では、「ペルシャ化」されており、都市の変容がより過激になっていて、と同時に多くのウィニペグの建物が使われてますね。
マシュー・ランキン:でも、どちらもブルータリスト寄りなんですよね。アクションが行われる形式は似ている。『The Twentieth Century』では自然宇宙のメタファーを作るために幾何学的な建築様式を採用した。『ユニバーサル・ランゲージ』では屋外での撮影だったので、天候に対処しなければならなかったんだ。この経験はもうしないと思う。スタジオ撮影の方が好きなんだ。
インタビュアー:西洋人がペルシャ語を話すのを観るのはとても珍しいので、この映画ではあなたが吹き替えているのではと思いました。あなたとイラン文化との関係について教えてください。
マシュー・ランキン:僕は長年ペルシャ語を勉強しています。内気な子どものように僕は読み、書き、そして話すんだ。あまり面白いことは言えないんだけれどね……。20歳の時にイランで3か月過ごして、巨匠たちと一緒に映画の勉強をしたいと思ったんだ。連絡を取ろうともした……でも、完全に失敗に終わったんだ。でも、イランで一緒に過ごす中でインスピレーションを得るよう勧めてくれた人たちに出会ったんだ。僕の素朴な野心は別の素朴な野心を生み、多くの友情が芽生えた。映画もそこから生まれたんだ。演技している人は知り合いです。僕の知らなかったプロの俳優が数名います。すると、次のようなことに気づかされる。僕たちのアイデンティティは、いくつかのアイデンティティから構成されているってね。僕はいくつかの現実が絡み合うこの空間に興味があるんだ。自分を守る孤独の必要性は理解しているけれど、新型コロナウイルスのパンデミック以降、僕らのいる空間はますます脆弱なものとなり、ベルリンの壁のようなものが積極的に建設されていることに気づたんだ。世界はますます分断されていっている……でも、個人レベルでは、いくつかの現実の出会いが僕たちをいかに完全な存在にするかを知っている。これこそが僕たちがこの映画で作りたかった空間なんだ。
インタビュアー:カナダにおける外国人あるいは外国にルーツを持つ人々の状況にも対処しようとしていましたか?この映画は時事問題にも関連していますか?
マシュー・ランキン:カナダとケベックは定義されるべき空間だと思ってます。そうした二元的小さいところから克服する必要があります。ヨーロッパにおける国民国家は一種の病理であり、カナダのような空間はそれを克服する能力を持っています。それが成功する意味ではないのですが、カナダが前向きな目的を果たすとすれば、それは誰もが歓迎される安全な空間、伝統にとらわれずに作り続けられる共有の場を生み出すことにあります(編集部注:2025年からカナダから外国人受け入れ枠の削減に関するジャスティン・トルドー首相の発表前のインタビューでの発言)。この映画は、国教よりも広い範囲の所有物を求めているので、この観点では政治の範疇を超えてますね。
インタビュアー:あなたとコメディとの関係はなんでしょうか?これは観客にとってのあなたからして重要な形式でしょうか?
マシュー・ランキン:もちろん、これは僕にとっての出発点かもしれませんね。僕は8歳ぐらいの頃、マルクス兄弟の映画が大好きだったんだ。グルーチョに憧れて『ユニバーサル・ランゲージ』のあの子のようにつけヒゲ、つけ眉毛、さらには葉巻を持って学校に通っていたんだ。一種の病気でしたね。結局、精神科医がやってきて、僕をこの強迫観念から解放してくれました。あと、『The Twentieth Century』では、『オペラは踊る 』や『我輩はカモである』からの影響が大きいことにも気づいたんだ。それで、『ユニバーサル・ランゲージ』のフィギュアスケートのシーンではマルクス兄弟のアイデアを融合する方法をとった。彼らの作品では完全にカオスになる場面がよくある。ハーポがハープを演奏する場面では、すべてがとっても柔らかくなるんだ。穏やかな空間を作り出す、それを生み出す変容の効果は魔法のようですね。
注:カヌン・スタジオはイランの教育映画を手掛けている場所(Iran ciné panorama"Le studio Kanoun et les films éducatifs en Iran")
いいなと思ったら応援しよう!
