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映画と美術#10『ヴァン・ゴッホ~最期の70日~』「オーヴェルの首吊りの家」との意外な関係性について

▷キーワード:フィンセント・ファン・ゴッホ、ポスト印象派、ポール・セザンヌ

新宿にあるSOMPO美術館には5枚存在するゴッホの「ひまわり」のひとつが常設されている。

「ひまわり」「星月夜」など多くの傑作を遺し、ポスト印象派の顔となったフィンセント・ファン・ゴッホ。しかし、彼の活動はたったの10年だといわれている。作風もオランダ時代の5年とフランス時代の5年でガラりと変わっており、我々の知るゴッホのタッチは最期の5年で生まれたものであった。

ゴッホの激動の人生を描いた作品は数多くつくられているが、モーリス・ピアラが発表した『ヴァン・ゴッホ』は一味違う。アルルでゴーギャンと共同生活を送る中で錯乱状態に陥り耳を切り落とし、サン・レミの精神病院へ入るエピソードはカットされ、オーヴェルの村にて療養する最期の2か月に着目している。監督であるモーリス・ピアラ自身、もともと画家であり、また映画監督としては気難しく孤高の存在であった。監督自身の内なる自己とゴッホを共鳴させた本作は、ゴッホの右耳が存在する大胆なウソが介在しつつもテオに養われヒモ同然の存在になったゴッホの葛藤を生々しく描いた傑作といえよう。

まず注目すべきは本作における「絵を描く」アクションにある。モーリス・ピアラは『私たちは一緒に年を取ることはない』が顕著なようにアクションの発生と終わりのショットを捉える傾向がある。過程を省略することで、登場人物の内面に対する導線を引いているように思える。画家を主人公にした映画の場合、「絵を描く」アクションが重要となってくる。しかし、『ヴァン・ゴッホ』では変わったアプローチが行われる。

序盤、ゴッホがオーヴェールで生活する様子が描かれる。青年に「肖像画を描いてよ」とせがまれる。ゴッホはコクっと頷くのだが、次の場面では家から出てくるところが捉えられる。仕事は既に終わっているのだ。

また、大草原で絵を描く場面がある。絵の具の質感にフォーカスを当てる。そこへ青年が現れ、再び肖像画を描くことになるのだが、青年のポーズを決めると、次のショットでは絵が完成しているのだ。そして、この一連の流れは本作唯一といっても過言ではない、画家と絵の具との関係性を描いた場面である。

「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」

次に「ピアノを弾くマルグリット・ガシェ」を描く場面がある。ここは、本作におけるゴッホの特性を捉えた重要な場面でありながらユニークな撮影となっている。マルグリットとゴッホが対話する。彼女はゴッホに関心を抱くのだが、彼は彼女に対しオブジェクトを見るような眼差しを向ける。実際にマルグリットのピアノの上手/下手には興味がないと発言している。そして構図が決まると、絵を描き始めるのだが、映画は切り返してその過程を映すことはしない。完成した作品が無造作に床に置かれることでもって完成とするのである。このマルグリットとゴッホのアンバランスな関係性は終盤における列車での喧嘩の伏線として機能している。

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