R.I.P なんて言葉も頼りない
高橋幸宏が亡くなった。芸能人の訃報の数々を目にしてからというもの、私が心の底から信じている、信仰している人間が亡くなってしまったらどうなのか、と考えることがあった。とりわけ慕っているアーティストに於いては皆挙って高齢で、亡くなっている人間も少なくなかった。LPを収集し始めてからもう時期、はや2年になる。収集枚数は50枚に及び、その十パーセント程をYellow Magic Orchestraが握っている。雑多な父親の部屋から、あの頃全盛期であったウォークマンをくすねて聴いた Solid State Survivor も、今となっては一枚板になって部屋の片隅に眠っている。リマスター盤ではなく、1979年リリースの当時物であるヴァイナル。ジャケット表面には1980年レコード大賞受賞の文字が認められている。
何事においても点ではなく線として認識したいタイプであるからこそ、彼らのことをしこたま調べた。その最中に出会った人間こそが、教授と細野の不仲の仲裁に入って音楽を作り続けてきた、高橋幸宏である。YMOクリックに対して忠実に、機械のように叩いていた彼の姿はもう見られない、と思うと筆舌に尽くし難い思いがある。
今日までシミュレーションを星の数ほどしておいて、明朝目にする訃報を前に何も手につかなかった。それほどに、人の死は儚い。脳腫瘍を経て療養をしていた、というニュースは頭に入っていたが、ずっと何処かで生きていると信じていたのである。ひょっとすると、数ヶ月前に表舞台を去っていった教授の方が先にこの世を去るのではないか、と思っていたばかりにこの幕引きはあまりにも切ない。
ニュースを見てから早速Wikipediaで彼の名を検索にかけるとなるほど、没年月日が早くも記されていた。楽曲を引っ張り出して聴いていると、彼がまだ何処かで生きているのではないかと錯覚してしまう。布団から出られない休日の朝、サラヴァのリマスターをしこたま聴いた。リリース時の声色より数段色っぽくなった晩年の歌声の方が私は好きだった。ヴァイナルの購入には至っていない。その裏側には何より生きているという事実が根付いていたからであって、逝去してしまった後に購入するとなるとより " 死 " を認めているようで手が伸びにくい。その反面、ここまで手にして来なかったことへの後悔も滲む。そう遠くないうちに、音楽殺人やら、サラヴァを手に取るべきではなかろうか。
今夜は静かに哀悼の意を表しながら、スネークマンショーのA面3曲目、「今日、恋が」を聴いて眠ろうと思う。終盤のバックで遠く聴こえる彼のコーラスが心地好く、寂しい。幾度経験をしても、この手の話ばかりは慣れていかないのであろう。誰やらがTwitterで呟いていた言葉を少しばかり拝借してここに書くなら、彼の天までの道が寂しくないといい。思い出は笑顔のままで、どうか、安らかに。
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