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ピンクグレープフルーツ

己のキャパシティを超えた労働による疲労、不規則な生活、精神の不調が常に並行に進む形で生活は続く。成長曲線の如くこのまま並行状態を保っているならば何よりいいことかと思うが、期待も虚しくそれぞれの波形は限りなく不安定で密かに漸近している。この3つが綺麗に重なるのは一年のうち丁度秋頃で、私は毎年秋になると風邪をひいていた。現にたった今も中間症状に悩まされているところで、37度の微熱と鼻道から垂れ続ける雫に悩まされているところである。
夏の始まりはコロナウイルスに罹患し夏の終わりを食中毒で締め括った経験から、食べることに関してなかなか消極的になってしまった。この頃は青果物すらもまともに口にせずに、基礎体力の無い身体に鞭を入れようと刺激物ばかりを流し込んでいた。当然、心身も精神もすり減り続ける一方で、何事も良い方向に向かうはずがない。ひと夏で質量が4キロ分軽くなり、これで3年間の差分は16キロに上る。現在の体重は高校入学当時とほぼ同一であることを考えると、どれほど恐ろしいことなのかが分かる。

何かを切り替えるには、何かを始めることにする。野菜室にゴロゴロと転がるピンクグレープフルーツは、祖母から貰ってきたものだった。果皮の部分を丹念に洗い、キンキンに冷やしておいたそれをカウンターに載せる。無数の艶を発しながら、表面にうっすら汗をかいている。ビタミンが欠乏する習慣から逸出するため、私はグレープフルーツを剥くことにした。
爪の先で少し押し込むと同時に感じられる、跳ね返るような弾力。詰まった鼻の隙間から微かなリモネンの香りがする。風邪を引いていなかったらより強い芳香を捉えられるのだろうと考えると勿体ない、が仕方ない。
ひとり暮らしをしていた頃、人に振る舞うことを考えて月並みな切り方をしていた。房の中間を一太刀すると、果肉が露になって見栄えがよく見えるから、グレープフルーツを手に取る度にそうしていたが残念ながら、今私はひとりなのである。人前では極力見栄を張る癖があった。料理を作って相手に出すなら、いつだって盛り付けの綺麗な方を、形の良い方を宛てがう。それが私なりに練り上げた優しさだった。実家暮らしになった身であるから露見していないだけで、歳を幾らか食った私もそうした部分は変わらないのかもしれない。

ヘタの部分に包丁の刃先を突き立てて、果実を傷つけないように十字に切込みを入れる。こうすると厚い果皮を剥がしやすくなる上に、房の型崩れを防ぐことが出来る。幼い頃、料理が達者な母が教えてくれた囁かな知恵だ。後は切込みを這うように指を入れ、分割面を4つ作るように剥くだけ。するとびっしりとアルベドに覆われた中身と対面することができる。
房の皮を開いて、下顎の力でもって無数に連なった砂瓤を口に運ぶ。指先につつくような痛みを感じるのは、果実から漏れ出た液体に絶えず指先を浸しているからだった。そんなことも構わず、グレープフルーツを口に運ぶ。あらゆる苦味を捨てて、本当に美味しいところだけを食べ続ける。誰かに教えたいが、教える相手も出来そうにない。薬を飲んで2日、まだまだ風邪は治りそうにない。

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