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10-5 マーヤ、爺を「めっ」する 小説「女主人と下僕」




女主人と下僕 ツタ


と、そこでザレン爺は一瞬の想像から醒めると、目の前の、涙をこぼす、大切な大切な…手に入れたばかりの美しいチェスの駒を急いで慰めた。



「!マーヤ!おい!おい!なぜ泣く!それは変だろう!どう考えてもここはお前が泣く場面でないぞ?全く!」

ザレン爺は泣くマーヤを抱き寄せ、力強くがっしりと抱きしめ、背中を優しくぽんぽんと叩いた。



「だ、駄目!!!ですから!もう2度と抱きしめないでと、たったいま申し上げましたのに!!!」



マーヤは、驚いて真っ赤になって焦って抵抗した。が、がっしりと骨太で大柄なザレン爺の腕は老いさらばえても、びくともしない

「はは、馬鹿いうな。そこに関してはわしは全く納得いかんなぁ?義理の爺いが大事な孫を抱いて何が悪いか。ほうれ、自分の身体に耳をすませてみろ。明らかに、前の時と違う抱きかただろうが。ん?これからはもうこういうのだけしかせんから」

どこもかしこも柔らかいマーヤが、先日の事を思い出して小刻みにぷるぷると震える様子を、ザレン爺は慈しむように眺めた。

「でも!」

ザレン爺は、少しかがんで、おびえるマーヤを怖がらせぬように、そっとマーヤの耳元に自分の横顔を寄せるようにして、顔を合わせずに静かにマーヤをなだめた。

「こないだの事があるから、それを思い出して、いまお前はちょいと身体がドキドキしてるかも知れん…だが…それだけだ。ほら、昂らんだろ?落ち着いてきたろ?」

「えっ?…えっ…でも…たしかに…暖かい大きなソファーに抱きしめられてるような感じだけど…でもけじめが…」

「つまり、この世には『女を雌にさせる触り方』というものがあるんだよ。わしは若い男と違って、『女を雌にさせる触り方』と、『孫に触る触り方』を、完全に区別してやっておる。しかも自分の雄の身体はもうよぼよぼで死んだも同然だ。これが本物の孫を抱く抱き方でなくてなんだというのだ?」

「で、でも…」

「今日からお前はわしの孫だ。爺いが孫を抱いて何が悪い!」


するとマーヤは、一瞬考え込んだ顔で黙り込んだが、ザレン爺の腕の中にあった自分のしなやかな腕をするすると解いてザレンの背中に回し、まるで母が子にするかのように、ザレンの背中までその華奢な腕で覆うようにして、そしてザレン爺の胸板に自分の顔を押し付けて、

ザレンを、一回だけ、強く、ぎゅう、と抱きしめた。



だが。

話はそこでは終わらなかった。

マーヤはすぐに自分の腕を解いて、ザレンの腕の中に捕らえられたままで、自分より頭2つも大柄なザレンを真っすぐに見上げてこう命令したのだ。


「ザレン様。今すぐに腕を離してお下がりなさいませ」


ザレンは、ちょっとびっくりして、抱く腕を解いて一歩だけ下がって、両の手のひらをマーヤの両肩に載せた状態のまま、ほとんどポカンとして目の前のマーヤを見つめた。

「え」

マーヤは真っすぐにザレンを見上げて、一度微笑み、優しい慈愛のこもった落ち着いた声で、だが断固として再び命令した。

「肩の手をお放し。そして下がりなさい」

ザレン爺はぽかんとした表情でマーヤの肩から手を放して二歩後ずさった。

女の言外の機微など完全に熟知しているはずのザレン爺が、まさか、このように女から面と向かって『手を離して下がれ』と言われるなんて、まさに数十年ぶりの珍事である。

「??マ…マーヤ?どうしたんだ…怒った、のか?」

マーヤは優しく微笑んでザレン爺を見つめて言った。

「もう!違いますわ。全く怒ってはおりませんのよ?あの、ザレン様のご理屈もごもっともですけれども…ですから、ディミトリさんのために、固く拒否させて頂きますの」

ザレン爺はぽかんとマーヤを見つめた。

マーヤは悪戯っぽく笑って、デュラス街区の大妖怪と恐れられる、あのザレン爺の額に手を伸ばして

「めっ!」

と冗談めかしてザレン爺の額を白い指でそっと小突いた。

「ザレン様がお悪いのですよ?ザレン様があんなどぎついやり方でディミトリさんを虐めてしまった以上、いまここで私達が隠れて抱き合ったらそれはもう、一 種 の 不 倫 ですわ?…ええ、ええ、ディミトリさんの目の前で、ディミトリさんの了解のうえで、祖父と孫として抱き合うならば、ちっとも構いませんのよ。とにかくディミトリさんの許可ありき、という事ですわね」

「えーと。あー。いや」

マーヤはザレンの言葉を半ば無視して付け加えた。

「それからですね、今、わたくしがダメと申しますのにザレン様が強引にわたくしを抱きしめなさった今のこの件は、あとでディミトリさんにきっちりと 全 部 報 告 させて頂きます」

「お、おいマーヤ!」

「だってこんな事、秘密にしておいてあとでバレたら、それこそややこしくなるに違いないわ?…ふふ、ザレン様ったら、やたらといつも『わしはとっくに枯れた、枯れた』と、決まり文句のように、うそぶいていてらっしゃいますけどね、まだまだザレン様がどれほど危険な男であるか、それが先日の一件でわたくしが解らないほど、そこまでわたくしが救いようのないお馬鹿さんの女の子に見えて?…ですからわたくしのわがままは笑ってお許しになって下さいましね?」

ザレン爺は、一瞬ぽかんとしたが、

(この小娘…!面白い!)

と目を見開いた。

(そうだ、わしのチェス盤の上で上手く踊らせるには、ちょっとした男の強引な態度に流されて自分を見失うような女では困るのだ。決して男のペースに流されず、それでいて、どぎつい雌の色香をあたり一面に発散させ街中の男達を狂わせる…ただし、ただし、表面上は上品極まるあどけない令嬢…そういう、そういう令嬢が、秘めたる毒の花が、そういうチェスの駒をわしは長年探していたのだ!もちろん、まだ、まだ、この小娘は野暮ったい原石でしかないが…ことによると…ことによると、この娘、うまく磨けば…!)

(…気に入った、気に入ったぞ!マーヤ!)


悪だくみを成就させるための危険な玩具を手に入れたぞくぞくする禁忌の喜びと

遠い昔に失われた懐かしい家族を再び得たようなしみじみとしたあたたかい喜び、という、

全く違う、溶け合うはずもない、二つの喜びが、まだらに混じり合いながら、ザレン爺の肚の中を巡った。



ザレン爺は、目の前の小柄な歳若い小娘をじっと見つめて頷いた。


「了解した。マーヤよ。わしはお前の命令に従おう。

今日からわしはお前の義理の祖父であり…お前の今後のきらびやかな恋愛遍歴のなかの、お前に弄ばれて棄てられた、名誉ある第1号となったようだな。

そして、ディミトリが第2号か。

いやはや、これから可哀想な男達が何人増えてゆくことやら」


ザレンの悪だくみなど知らぬ可憐な娘は、すっかり安心した様子で、能天気にふくれっ面で言い返した。


「もう!ザレン様ったら、言い方!ですから!わたくしはディミトリ様ひとりに貞節を誓っております!」


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昔々ロシアっぽい架空の国=ゾシア帝国の混血羊飼い少年=ディミトリは徴兵されすぐ敵の捕虜となりフランスっぽい架空の敵国=ランスで敗戦奴隷に堕…

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