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漢詩『暮に立つ』白居易(白楽天)

漢詩『暮に立つ』白居易(白楽天)

黄昏独立仏堂前

こうこん ひとりたつ
ぶつどうのまえ

満地槐花満樹蝉

まんちのかいか
まんじゅのせみ

大抵四時心総苦

たいてい しいじ
こころすべてくるしくも

就中腸絶是秋天

なかんずく はらわたのたつは
これしゅうてん

【前置き】

たまには知的なネタを書いてみる。

私は白楽天(別名白居易)の漢詩が好きである。

白楽天とは平安貴族に愛された「香炉峰の雪」のあの人であるが、私は白楽天のネアカな詩も、政治を語る詩にも、全く興味はない。

ひたすら前のめりに根暗な詩だけが好きなのだ。

この「暮に立つ」なんてとっくの昔に自然に完全暗記してしまっている。

白楽天、最高か。

だからやろうと思えば職場でこの漢文読み下し文を朗々と唱える事もできるが、

巨乳アラフィフの上品天然ほんわかキャラの奥様が、こんな根暗な漢詩を暗唱し出すのは、ひょっとしてひょっとするほんのちょっぴりキモいかもなので、まだ唱えた事はない。

【摩詠子による『暮に立つ』のねちっこい日本語訳&補足】


(暑い日中を避けて)夕陽が差す黄昏に、俺は1人で寺の前にぽつねんと立っている。

境内にエンジュの木が見える。

夏に無数に咲いていた、あの愛らしい黄白の、やさしい甘い香りがかすかにする花々は、花首からぼきりぼきりともげては、ぼたぼたと無惨に散り落ちているばかりだ。

(現地ではどこの民家の家の前にも植えられていて、ほのかな甘い香りの薄緑がかった白黄色の花を一面に咲かせて、快適な木陰を提供してくれた、あのエンジュの木陰。花咲くエンジュの木陰と言えば楽しい恋の歌によく登場する場面だ。)

(ところが、秋の始まりの今はエンジュの木陰は快適な場所とは言い難く、ぼたぼたと無数の花首が上から降ってくる鬱陶しい場所になっている。)

(だから作者はエンジュの木陰、ではなく、仏堂の前に立ち、外側からエンジュの木を眺めているはずだ)

木陰の下はエンジュの花の亡骸が降り積もって無数の黄白の花首で埋め尽くされ地面が見えないほどなのが、無惨でもあり美しくもある。

その上、いまやエンジュの幹には無数の蝉が木肌が見えないほどにびっしりと幹に張り付いて、耳鳴りが凄まじく大きくなったような、あの、独特の大音量で力一杯鳴いている。

(夕焼けのオレンジ色の光はみるみる終わって、寺の御堂も、エンジュの木も、全ては青い薄闇の中に沈んでゆく。エンジュの木陰に入ることもせずに突っ立っていた自分にも、秋のひんやりとした風が吹いてくる)

おおよそ四季のどの季節だろうとも心は常に苦しいものだが、

とりわけはらわたがちぎれるような心地になるのは、秋。

【どこがどうイイのかを前のめりに批評する】

力一杯に、前のめりに、常識はずれな勢いで、堂々と自分の個人的な苦悩を歌っている。そんな白楽天がとても好きである。

ここまで後ろ向きになられると一周まわって爽快なのだ。

自己卑下の恥じらいもなければ、
他者批判に絡んだ醜いプライドもなく、

そこには、虫にすら共通しそうな、原初的な苦悩だけがある。

花々は首を刎ねられたようにぼたぼた落ちてゆく
蝉は気狂いのように哭いている
俺の目には世界までもが苦しげに見える
そうだ生きるとは苦しいのだ
俺は、苦しい!

ああもう、白楽天、暗い!前のめりに暗い!むしろここまで暗くなれるって明るパワフル!暗すぎて一周回ってエモーショナルエッロぃ!!自然の無惨美が迫ってくるゥゥウ!

思想も無く、プライドも無く、ひたすらシンプルなココロで、世界と対峙し、「カナシイ…」とか「オイシイ…」とか「アツイ…」と虫でも解るような感情、それだけ。

シンプルである。

白楽天が何千年もの間、あらゆる人種国籍の人に愛されているのは、このシンプルさゆえであろう。

ところで。

「秋ははらわたがちぎれるほどに格別に苦しい季節」と白居易は言い切るが

どんなに悲しい気分だったとしても、悲しい気分だけでそう簡単にはらわたがちぎれる訳が無いのである。

なのに生きる事の苦しさを「はらわたがちぎれるんだ」と過剰な台詞で白居易に(エンジュの花と蝉まで無理やり味方につけた上で)認めて貰えると、

むしろ胸をかけめぐるざわざわとした苦しみややるせなさが【切なさ】という後ろ向きな官能的な快楽へと変換されてゆくのである。

夕暮れの人気のない寺の境内で、ようやくひんやりと過ごしやすくなった風を感じながら、蝉の苦悩の叫び声に包まれたエンジュの木と散り敷かれた花首の山を眺める、そこには【苦しみという喜び】【無惨の美】が発見されてくるのである。

現代資本主義社会では苦しみは「無能」である事の証明つまり「恥」と蔑まれている。つまり資本主義の令和では、苦しみは「隠すもの」であり、「存在すべきで無いもの」なのだ。

しかし実際は苦しみとは本能が教えてくれる大切なセンサーであり、苦しみを味わい抜くのはどんな生き物にも残された最後の権利であり、生命力であり、闘いに向かうための力の源泉であり、翻って苦しみとは快楽とどこか似た感覚であり、いや、ハッキリ言おう。

苦しみとは一種の快楽なのである。

そもそも蝉の気味の悪い絶唱も100%が苦悩の叫びだけであるとも限らないではないか。あれは愛の歌、あまりの官能に咆哮している姿かも知れないではないか!

という訳で、白楽天の詩集、暗い気分の時に、不思議な生への活力を、昏い官能の喜びを与えてくれる素晴らしい詩がいっぱい入ってるので、とてもオススメである。

皆さまもとびきり辛気臭い詩を暗記するほど読みこんで、会社の同僚やPTAの人の前で朗々と暗唱して困惑させてみてはいかがだろうか(私はそんなKYな事はしませんけどネ!)

どっちかだけ買うなら、シビれるような暗さといい、世界に真摯に対峙しているフレッシュさといい、なんといっても上巻だ。上巻を強く推す。

下巻の年齢になってくると、あまり変なこと言うと左遷されるとようやく悟っていろいろと日和って言葉を選んでしまって居られます。まぁそんな目を泳がせて中央政府を賛美したりするややいんちくさくなった白楽天もまぁ…それはそれで…うん…

【おまけ】

↓こちら、【ビッチ姐さん山田詠美のレビュー】かと思いきや実はァアアア!むしろ【白楽天の詩の良さについて無駄にアツく語ってる記事】なのであります!白楽天に興味が出たらぜひとも!ぜひとも!お読みくださいませ!!


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