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10-4 爺はマーヤに「めっ」されたい 小説「女主人と下僕」


前話

もくじ


かざり ツタ 女主人と下僕

ザレンの書斎。

(この小娘…!)

(今頃どうせ家でベッドの中に閉じこもってピイピイ泣きべそかいているとおもいきや、わしの元にひとりで乗り込んで来て『一切の手出しは無用ですわ』と言いよるとは)

ザレン爺は目の前の、打ちしおれた様子の、可愛らしい小娘を、ちょっと呆然としたような顔で数秒見て、そして半分以上白髪になった髪を掻き上げるようにして、小さく吹き出した。

「いやはや、ちょっと想定外だった」

マーヤは、そんな、ザレン爺の様子には一切気づかず、話を続けた。

「そ、そ、それと、そのっ…もうひとつ、わたくし、ザレンのお爺さまに、言わなければならないことが、そのっ」

マーヤは自分の、薄灰色のシルクのボウタイブラウスの首のリボン結びの部分を両の指先で弄りながらひと呼吸してから、ちゃんと手を下ろして行儀の良いきちんとした姿勢に立ち直し、そして、切なげな潤んだ瞳を真っ直ぐにザレン爺に向けて、続けた。


「もう二度と、私を抱きしめないで下さいませ」


(ほう!)

ザレン爺の眉が再びピクリと動いた。

苛立ちではなく、面白いモノを見つけた喜びと好奇心で、ザレン爺の目はギラと光ったのだ。

「あ。いえそのっ、違うんです!いえっ、そのっ、ザレン様のことが嫌で申し上げるわけでは無いのですわ。ディミトリさんの目の前でディミトリさんの許可の上で、抱きしめなさるというのならば、話は別で、全然構いませんの。でも、たとえこのままディミトリさんと別れる事になろうとも、その、別れると完全にハッキリするまでは、わたくしはディミトリさんに操を立てたいのです」

ザレン爺を見つめながら、マーヤの脳裏には、マーヤがこのランス国に亡命してから、シーナ国の陶器やら香辛料やらの商売を始めてからの、この数年間の、ザレン爺とのやり取りが浮かんでいた。

マーヤはシーナ国人であるが、小さい頃からシーナ国の貴族として西洋かぶれな贅沢な暮らしをしていたせいであろう、マーヤには、並のシーナ人商人とは違い、ランス人の感覚にぴったり合う洒落た陶磁器やら贅沢な装飾品やらを、シーナのエキゾチックな品物の中からじょうずに選りすぐって見つけ出す才能があったのだ。

だから、ザレン爺が商売の右も左もわからないマーヤに親切丁寧に色々教えて育ててやったのは、単なる親切だけではなく、ザレン爺にとってもある程度は、理にかなった面もあった。

だが、それを計算に入れて差っ引いても、それでもザレン爺がマーヤにだけは特別待遇で対応してくれている事に変わりはなく、マーヤは不思議に思いつつも、いつも感謝していた。

数限りなくやり取りした、ザレン爺からの手紙。

その中には、商売のコツだけでなく、あらゆる古典の警句やら詩の一節やら、そして機智に富んだちょっとした甘い言葉が書いてあって、それは、社交界の求婚者たちが送ってくる魅力のないラブレターなどとはまったく違ったものだった。

マーヤはどんな求婚者達の手紙より、ザレン爺の商売がらみの手紙ばかりをいつも楽しみにしていたのだ。

「こんな事申し上げるのは、しゃくですから、ずっと言わなかったのですけど」

「?」

「じつはザレン様から頂いたお手紙は1通たりとも棄てずに、大切な思い出を取っておくための箱にしまってありますわ…

その中の、古い詩が書かれた一枚なんて、額に入れてずっと寝室に飾ってありますの。

…パーティーで年頃の殿方達から頂いたお手紙はどれも一切取っておいたことなどありませんのにね」

そして、マーヤは顔を上げて、ザレン爺に話を続けた。

「ですから、わたくしが、ディミトリさんをお慕いする前に、誰か男の人にはじめて淡い恋をした事があるとすれば、それは…ザレン様なのでございます。…ですからそんなわたくしがこれからもザレン様にベタベタとするのは、ディミトリさんに対して、本当に、本当に、いけない事なんでございます。わたくしはただただディミトリさんに嫌な思いはして欲しくないだけですの」

「振られたな」

爺が微笑した。

「ザレン様…」

「いやはや、わしも老いたもんだよ。髪に触れた程度とはいえ、つい3日前にあれだけ雌の声で鳴かせた女から、『昔ちょっと恋してた…』などと平気で口に出されるとは!こんな事は、長い人生で、今回がはじめてだ。しかもこれだけ枯れ果てていても、まさか、たかがこんな事に胸がちくりと来るもんだとは...!忘れていた感覚だ。懐かしい。なんというか、甘い、痛みだな」

ザレン爺はちらとマーヤに目線を呉れつつはにかんで、微笑した。

「あの、わたし」

ザレン爺は威圧感を与えぬよう優しくマーヤの方を向いて、陽気な顔に戻って頷いた。

「それでよいのだ。それで正しいのだぞ。おまえがここまで賢い子とは思っていなかった」

ザレン爺は、マーヤの細いなで肩に大きな両手をがっしりと掴んで続けた。

「決めた。今日からはお前は大事な大事なわしの孫だ。墓に入る直前になって、まさかの係累ができた。しかもこんな利発で美しい孫が」



「ザレン様…!」

勝気なマーヤの瞳から涙が一粒こぼれた。


と。


マーヤとの可愛らしいやり取りをしながら、ザレン爺は腹の中では、自分が思い付いた新しいアイディアにぞくぞくと喜びに震えていたのである。


(使える…!この自制心と機転、この小娘は、これは本気で使えるぞ…!)

(たしかに、わしの企みにぴったりな上にわしに顔まで瓜二つな男なんて、ディミトリ以外にはこのランス国中にもまず見つからないだろうが)

(だが!)

(姿がわしに似ているかどうかななんて本質的にはどうでもいい事だ)

(この美しい小娘をわしの養女として磨き上げ、社交界でおおいに見せびらかせば、ディミトリを超えるような、新しい操り人形を探し出せる可能性もあるのではないか…!?)

(なにより、わしは、ディミトリに『お前なんぞいくらでも替えが効くのだぞ』と常に牽制し脅しをかけるための『切り札』が欲しかったのだ。これはいいぞ…ディミトリをさらに操り易くなる…!)

(そしてもし、どうしてもディミトリが命令に従わなくなった場合は)

(もしくは、ディミトリなどよりも、よほど素晴らしい『新しい後釜』が見つかったときは)

(ディミトリは秘密裏に殺し、新しい後釜をこの小娘の婿に充てがえばいいのだ…!)

と、そこでザレン爺は、その一瞬の想像から醒めると、涙をこぼす、大切な大切な…美しいチェスの駒を急いで慰めた。

かざり ツタ 女主人と下僕

次の話

ドキドキなワイルド系過去記事

やらしくもなんともない記事が続くのでやらし目の過去記事を。。。

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