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『ゴースト・バスターズ/アフター・ライフ』『ゴースト・バスターズ』らしさとは

監督:ジェイソン・ライトマン
出演者:キャリー・クーン
    フィン・ウルフハード
    マッケナ・グレイス
    ポール・ラッド


 昨今、エンターテイメント映画のフランチャイズ化が過度に進み、観客への「ファン・サービス」に特化した劇映画作品が現在のビッグ・バジェット超大作の大半を占めている。
 2019年に完結した『スター・ウォーズ』シークェル三部作や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』をはじめとするMCU作品などが記憶に新しい。

『ゴースト・バスターズ/アフター・ライフ』もそのような「ファン・サービス」エンターテイメントの大波に乗っているという意味では最先端を走っているといえるだろう。


「旧作で誰もが愛したあのアイテムやあのキャラがスクリーンの中で目白押し!!!どれもこれもファンのノスタルジックな感性を刺激する!!!」


果たしてこれらの感動が「ゴースト・バスターズ」そのものの面白さと直結するのであろうか?

答えは「ノー」だと僕は思う。

この『ゴースト・バスターズ/アフター・ライフ』は作り手が強迫観念的に『ファン・サービス』を強調しすぎたせいで、おためごかしの「らしさ」を見に纏った歪な作品となってしまった。

一作目を大まかになぞるストーリーや、どこかで見たような田舎町のジュブナイル・ストーリーの組み合わせには、『ゴースト・バスターズ(1984)』一作目と、心機一転女性を主人公にした2016年リブート版に匹敵するフレッシュさが全く感じられなかった。
シリーズ最大の長所でもあり、「らしさ」でもある、NYを舞台にした(2016年版では女性が大活躍するような)「コンテンポラリーな愉しさ」があるドタバタ・コメディ感を今作では微塵も感じ取れなかったのは非常に残念だ。


 そして、ストーリーの骨格である主人公たちのミドルエイジ・クライシスやジュブナイル・ストーリーは、監督のジェイソン・ライトマンの得意分野でもあり見応えはあるが、彼が定めるシリアスで地に足のついた作劇トーンと、『ゴースト・バスターズ』の魅力の一つでもある終始陽気でふざけたトーンとの間で、面白みが乖離しているように感じられたのは否めない。



だがしかし一方で、監督ジェイソン・ライトマンが送る、父・アイヴァン・ライトマン(『ゴースト・バスターズ(1984)』の監督)と、旧作でイゴン博士を演じ、2014年に惜しくもこの世を去ってしまったハロルド・ライミスへのラブ・レターとして、とても感動的な映画であるのは間違いないだろう。
僕も正直その部分に関しては涙ぐんでしまった。
(映画そのものの「面白さ」として食い足りていないのが非常に残念ではあるが...)


今後もフランチャイズを継続していく案があるらしい『ゴースト・バスターズ』シリーズ。
NYの街を跋扈する巨大マシュマロマンを初めて観た時の、可笑しすぎて唖然とさせられる感動が単なる虚妄で終わらぬよう、健闘を祈るばかりである。

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