最近、小説が読めない件について
ちゃるめらです。
最近、小説が読めない日々が続いています。
時間的にではなくて、開いても読むことができない。不思議なタイミングです。
基本的に、元気があってもなくてもずっと小説を摂取して生きてきたし、どこにいても自分が出会ったことのない感情の動きや、擬似的な経験と莫大な知識をくれる本がわたしの生きる糧であり、理由であり、何よりの味方だと思って生きてきました。
小説に出てくるキャラクターが経験することを自分も一緒に経験して、自分が知らない考え方や気持ちの動きを知って他者を理解するきっかけをくれる。それが小説なのに、今のわたしには自分以外の誰かの人生を生きる余裕がなくて、情報を入れることができないのです。
別にだから悩んでいるとかそういうわけではなくて、はてなんだか最近全然小説が読めませんね!というくらいなんだけど、なぜだろうかと考えてもこれがわからない、とちょいもやもやしています。
思考整理中(Loading…)
なぜでしょうねえ(誰も知らない問い)。
内面の問題か外面の問題かで考えると、
内面が問題であれば感情がいっぱいか思考がいっぱいかだと思うんですよね。
外面の問題であれば、単に集中力が欠如するほどに身体が疲れているのかだと思うんですけど。
大前提、エッセイとかは読めるし、雑誌も読んでる。文章は読めている。読めないのは小説なんですよ。
身体は疲れているけれど特別困ったというほど疲労は実感していません。そして、エッセイとかを読む余裕があるから体力も集中力もそれなりにあると思う。
じゃあ内面かなとなるわけですけど、思考か感情か、どちらの問題かが難しい。複合的かもしれないけれど。
たしかに最近どうしようもないいつものつまらないどういうことだろうなあという疑問を抱えてはいます。しかも、それが自分の生き方の根幹に大きく影響しそうだという直感があるから、思考が自由なタイミングでは意識的に考えるようにはしています。
感情についていえば、最近新しい人に出会ったり家族と話したり、仲のいい友達の人生の悩みを聞いたりして、たしかに自分の感情が大きく動いているかもしれない。
書きながら思考が整理されてきたけれど、そうすると今の状況は、「小説が読めないほど自分の人生に真剣に向き合っている」かつ「自分の人生が充実している」ってことだ。
知らぬ間にリア充自慢をしておりました。失礼。
それでも読みたいんじゃ
でも単純にそろそろ小説を読んで、本好きの友達に読んだ感想を送りたい。そして交流したい。新しい知識に出会いたい。
きっと自分の頭と心が落ち着いたころに、また読めるようになるのでしょう。今日はリアル充実型の人間として早めに布団に入り、ぐっすりと眠りたいと思います。何にしろ今月のテーマは眠ることなのでね。自己満で文章を綴り、悩み相談ふうにリア充自慢をしてしまったわけなので、いい気持ちで眠れそうですおやすみなさい。