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「歌詞」という1本の短編ストーリー
音楽を聴くうえで、「曲重視派」と「歌詞重視派」の人がいる。
音の楽しみ方は人それぞれだし、正解不正解はない。
片方が優れていればいいわけでは無いし、「素晴らしい曲」に「素晴らしい詞」が乗ることで「素晴らしい歌」になる。
自分が音を楽しむうえで、どちらを重要視しているかのお話。
わたしは「歌詞重視派」
歌詞は1つの物語のようなものだと思っていて、1曲3~5分という短い時間で読み切ることができる。
曲で惹かれるということはあまりなく、逆に、詞のワンフレーズで惹きつけられることはよくある。
BUMP OF CHICKENの「HAPPY」なんてまさにそれ。
車でアルバムを流し聞きしていたとき、藤君の声で歌われた
「終わらせる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てる」というフレーズがやけに残り、今度はしっかりと、歌詞を意識しながら聞いてみた。
前職で仕事に悩んでいた時期だったということもあるだろうけど、生き辛さのようなものを感じていた私に、この歌の詞はすごく刺さった。
どんなに平気なふりをしたって辛いときは辛いし、人のやさしさすら素直に受け取れないときだってあって、自分がなんのためにがんばっているのかもわからない、呼吸を止めたくなっても、毎日をなんとなくにでも生きなければいけない。
そんな誰しもが経験したことあるような気持ちを歌った名曲。
この歌は、「悲しみ」と「喜び」をセットとして考えている。
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
悲しみは消えるよ、だけでなく、喜びだって消えてしまうんだと。
サビで出てくるこの歌詞が、なんて悲しんだろうと思ったけど、これは本当だと思う。
悲しい出来事を忘れるから前を向くことができるし、
喜びを忘れてしまうから、辛いときに負の感情に引きずられてしまう。
この歌の素晴らしいところは、この悲しい歌詞が、ラストで意味を変えるところだ。
消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を 僕と一緒に歌おう
ここでは喜びという言葉は使われていないけど、
消えない悲しみがあるなら、消えない喜びだってきっとあって
そういう経験が自分を支えていくんだろうな。
わたしが惹かれた
「終わらせる勇気があるなら、続きを選ぶ恐怖にも勝てる」
このフレーズも、最後の
「続きを進む恐怖の途中 続きがくれる勇気にも出会う」
このフレーズにつながっていて、進むことが怖い道でも、そこでしか気付けないことがたくさんあるから、勇気をもって一歩を踏み出そうと言ってくれているような気がする。
「がんばれ」と直接言わずに、寄り添ってくれるような、とても優しい詞が藤君らしい。
楽しい気分のとき、落ち込んだとき、何かに悩んだとき、
恋愛がうまくいっているとき、失恋したとき、
様々な場面に合った曲があり、わたしがそうであるように、曲にパワーをもらっている人は少なくないだろう。
詞は、聞き手によって解釈が変わるのも面白い。
直近で例えると、大ヒットしたofficial髭男dismの「Pretender」がそうだと思っている。
わたしは最初、この曲は「既婚者の人を好きになった男性目線」の曲だと思っていた。
もっと違う設定で もっと違う関係で
出会える世界線 選べたらよかった
もっと違う性格で もっと違う価値観で
愛を伝えられたらいいな そう願っても無駄だから
この部分なんて、
彼女が結婚する前に出会っていたならば
恋をするではなく、友人として出会えていたならば
そんな叶いもしない願いのように感じる。
でもこの曲を
「恋人への愛が冷めたが別れを言い出せない男性目線の曲」だという人もいる。
わたしが想像もしなかったストーリー。
それをふまえ、歌詞をもう一度よく読んでみた。
なるほど。
そう捉えられなくもない。
キーとなるのがこの部分。
それじゃ僕にとって君は何?
答えは分からない 分かりたくもないのさ
僕目線のこの曲で異彩を放つこのフレーズ。
「君にとって僕は何?」であれば、わたしの解釈のままかもしれないが、このフレーズで「自分自身でも相手をどう思っているかもうわからない」といった意味にもとらえられる。
自分でも気持ちが薄れてきていることが分かっているが、それを認めたくない…
「好きだ」という言葉も言えなくなってしまった
でも、そんな中でも君が綺麗だという事実だけは変わらないのだと。
君が悪いわけじゃない、自分が変わってしまったのだと。
そう考えると、この曲の世界観ががらりと変わってくる。
作詞をしたボーカルの藤原さんがこういう意味を込めた、と言っている訳ではないので何が正しい解釈かはわからない。
でも聞き手によって解釈が変わるのであれば、どういう気分のときに聞きたくなるかもまた、人によって変わってくるだろう。
pretendの直訳
(…の)ふりをする、(…を)偽って主張する、ふりをする、うそぶく、(遊びで)まねをする、あえてする、(…し)ようとする
https://ejje.weblio.jp/content/pretend
叶わぬ恋に平気なふりをする人か
気持ちの無くなった恋人を好きなふりをする人か
はたまたまた別の解釈か・・・
物語にスピンオフがあるように、視点を変えて詞を読めばまた違った魅力に気付ける。
この記事を読んでいる人は、どんな音の楽しみ方をしているのだろう。
作詞する人、歌う人、作曲する人、奏でる人、聴く人
楽しみ方は人それぞれ。
わたしは「歌詞を読む」という楽しみ方だ。
HAPPY歌詞↓
https://www.utamap.com/showkasi.php?surl=k-001307
Pretender歌詞↓
http://sp.utamap.com/showkasi.php?surl=k-190515-055