猫の真実はどこにある?

 私は大学に勤める宇宙物理学の准教授。研究に疲れた時は、休日になるたびに自宅近所の川まで出かけて、流れをボンヤリと眺めながら釣りをするのが日課だ。川の流れはなぜか私を癒やしてくれる。
 行く川の流れは絶えることは無いけれど、もとの水と同じではない。流れが滞っている所に浮かぶ水の泡も大きな物がいつまでも消えないわけでもなく、小さい泡がすぐ消えるわけでもない。人生とか栄枯盛衰も水に浮かぶ泡のような物だ。
 川以外で私を癒やしてくれるのは猫だ。猫と言えば、猫は粘度の高い液体であるとした論文がイグ・ノーベル賞を受賞したこともあった。
「大学受験の勉強用に読んだけれど、方丈記は読み物としても面白かったなぁ……。川の流れをボンヤリ眺めているとリラックスできるように、猫を眺めていても癒やされるというのは、猫が流動体だからという可能性もあるなぁ……あっ!」
 川の流れを眺めながらとりとめの無いことをつらつらと考えていたら、川に釣り竿を一本流してしまった。愛用していた釣り竿だが、流されてしまった物は仕方ない。釣り道具を片づけて家に帰ることにした。
「ただいまー」
「あら。あなた、お帰りなさい。そろそろご飯ですよ」
「ああ、解ったよ」
 居間でテレビを観ていると、子供のいない私たち夫婦のために姑が知人から貰ってきてくれたノルウェージャンフォレストキャットのクロが、巨体を揺らしつつ身体中ゴミだらけになって外から帰ってきた。おおかたヤブの中ででも遊んだのだろう。猫用ブラシで毛をすいてゴミを取っていると何かが引っかかった。よく見るとプラスチックで出来た釣り竿のミニチュア模型だった。
「最近の食玩のオマケや、ガチャの景品は細かい所まで凝っているね」
 しかしよく見ると、その模型は色といい形といい、先ほど川に流された私の釣り竿に妙にソックリだった。他人の釣り竿と見分けがつくように持ち手に巻いたピンクとオレンジ色のビニールテープまでソックリ同じなのだ。
「なぁ、クロや。猫は粘度の高い液体かも知れないから、川のようにどこかに繋がった流れが身体の中にあるのだろうか?」
「よく気がついたね? 固体の定義は、分子が規則正しく並んだ構造をとる結晶を意味している。しかしだね、例えばガラスの内部を見ると分子がランダムにつまった構造であるから、ガラスは実は液体なのである。この『動きが凍結した液体』のことをガラス状態と言うのだが、人類がもっと賢くなれば『分子の動きは凍結したが、生命を得る事で流動体のように動ける液体』を猫状態と定義するのかも知れないな。なぜそんなことが解るのかって? 猫の身体は宇宙中の川と知識に繋がっているからだ」
「うわあああぁぁ!」
 思わず大声を上げてしまった。クロがしゃべったのだ。
「そう大声を出さないでくれ。猫は全宇宙の川と知識に繋がっているのだから人語を話すことなど造作も無い。それよりも知りたくないか? 宇宙の真理を? 宇宙の外はどうなっているのかを? ブラックホールに入ってホワイトホールから出るとどこに行くのかを? 宇宙を作っている材料は何なのかを?」
「し、知りたい! 知っているのなら是非教えてくれ!」
「なら宇宙の真理を知る重さに耐えられる資格があるかテストをしてあげよう。今からあなたの奥さんが戸棚の奥に隠してある最高級マタタビをバレないように持ってこられたら第一次テスト合格だ」
「すぐに持ってくる!」
 私が持ってきたマタタビで気持ちよくなったクロは
「では第二次テストだ。今からブラシで私の身体を毛繕いして、最初に毛の中を流れてきた物を何が何でもブラシですくい取るのだ」
 言われたとおりにブラシでクロの長い毛をすいていると、まるで本物の川のように毛に流れが出てきたが、しばらくすいていると奇妙な感覚に襲われた。
 私の意識だけが小さくなって身体から分離し、クロの身体の上に浮かびながら移動して、轟々(ごうごう)と流れる巨大な黒い毛の流れを眺めているのだ。その位置からは私の肉体は奈良の大仏より十倍ほど大きく見えて、私自身の右手で動かしている感覚がしっかりある猫用ブラシは、パワーショベルの作業用アームの百倍はあろうかという大きさに見え、ブラシが毛の流れに繰り返し突き刺さっては掻き上げるのが、河川の浚渫工事(しゅんせつこうじ)のように見えていた。
 フワフワと浮きながら毛の流れをしばらく見ていると、上流から流れの中をとんでもない異形の化け物が流されてきた。怖かった父親、苦手だった中学校の体育教師、イヤミしか言ってこない大学の学科主任の顔が合体している上に、金属的な赤、緑、黄色で構成されて毛の生えた触手がウネウネ蠢く(うごめく)、毒毛虫の親分みたいな奴だった。
「うわあああぁ!」
 ハッと我に返ると、私の意識は元の身体に戻っていた。しかし、あまりにも嫌な物だけで出来上がっていたのでとてもブラシで取ることは出来なかった。
「馬鹿者め。今のは私が幻覚で作り出した単なる木の枝だ」
「クロ、もう一回だけチャンスをくれ!」
「もう一回だけだぞ? 今度はもっと簡単だ。私の身体をブラシで毛繕いして、最初に毛の中を流されてきた物を何が何でも無視するだけだ」
 覚悟を決めてブラシでクロの身体をしばらくすいていると、再び小さくなって分離した私の意識はクロの身体の上に移動した。浮かびながら巨大な猫用ブラシの浚渫工事を眺めていると、上流から毛の中を再び何かが流されてきた。
「あ、朱音!」
 それは私の娘の朱音(あかね)だった。娘は五歳の時に車にはねられて事故死したはずだった。流されている娘が必死の表情で私に助けを求めている!
「朱音! 待っていろ! 今父さんが助けてやるからな!」
 ハッと我に返り、戻った視線で娘をすくったはずの手元のブラシを見た。しかしブラシですくった物は娘ではなく、単なる枯れた松葉だった。
「これで解っただろう? 宇宙の真理を知ることなどお前には荷が重すぎたのだ。諦めろ」
 毛並みをブラシで手入れして貰ったクロはさっさと餌を食べに行ってしまい、それきり家の猫は二度と人語を話さなかった。私は宇宙の真理を知るチャンスを永遠に失ったのか、それとも単に幻術を使える猫にからかわれて、最高級マタタビをたかられた上に毛繕いをさせられただけなのか、どちらなのだろうか?

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