パワハラを受けてばかりの人へ、「輝き合い人権宣言」
自分に「どうせ」、
という気持ちがあると、
つまり、
人から対等に扱われなくたって良いよ、
惨めな低い立場で良いよ、
を自らアピールして、
認めてしまっている事になる。
だから、
バワハラを受けたり、
支配されたり、
人生を
自分以外の人間に奪われたり、
他人の承認次第で、
人の目に振り回され、
社会でも家庭でも、
友人や愛する相手にさえも、
支配を許し、
生き死にまで決められてしまう。
「支配と依存の癒着(共依存関係)」
その関係性を避けよう、
回避しよう、
逃げる事も最高に役立つ使い途を
とうとう見つけたよ。
『輝き合い人権宣言』
本来、魂の価値を誰にもひけ取らず、
十分に持つ自分は、
「どうせ」
なんて表される様な価値の低い魂ではなく、誰からも自然と尊い存在と尊重され、
大切にされる魂の持ち主です。
どんな者にも、他より低く見積もられたりする事はなく、
たとえ自分の意識からでさえも、
「どうせ自分は、~と比べて」等、
偏った価値基準を基に、
不等な扱いを受ける事、
人に対して、
「あんなやつ、どうせこいつは」等、
不等な扱いをする事も一切拒絶します。
何事にも自らの犠牲を必要とせず、
たとえ不等な扱いを受けた時にも、
自尊心の欠落の危機を即座に感知し、
スルリと回避し、
心地好く居られる対等に戻します。
魂の本来の価値や輝きに対して、
雑に扱われない器量を持ちます。
そして、
他の存在も雑に扱ったりしません。
決して、何者からも魂の輝きを貶(おとし)められたりせず、
たとえ、隣にどんなに自分よりも大きく、強く見える存在が並ぼうが、
自分の唯一無二の魂の価値を譲らず、
下げず、
遠慮もせず、
どんな独創的な色、
違いを持っていたとしても、
美しく、
等しく、
自然体で居られます。
たとえ、
自分が持たない長所を持つ、
どんな存在と接しても、
臆せず、
妬みません。
また、自分よりもあたかも弱く、
小さく、
足りない、
短所や伸び代を感じる、
または一つの基準点において、
低く見える存在に接したとしても、
自分は決して傲(おご)らず、
侮らず、
遠ざけず、
見下さず、
勝手な理想を押し付けず、
理論武装で醜いマウントの取り合いもせず、自分や、その人本来の魂の、
すでにある価値を見落とさず、
見落としそうになったとしても、
必ずあると信じる視点に戻り、
新たに何度でも、
その人のオンリーワンの尊い価値を見つけられます。
誰からの自己犠牲もご機嫌取りも要求せず、必要としません。
自分に無い価値、
人にある価値、
過去に無かった価値、
あったら良かったと思う価値にも、
必要以上に執着しません。
今、これから先の自分、
そして大切にするとより良くなる関係、
未来への希望に着目し、
優先し、
集中します。
同じ生きとし生けるものとして、
互いに、良いね、と、
唯一無二の価値を真心から素直に認め合い、貴んで、
謙虚に穏やかに、
しなやかに、
等しく大切にしながら、
ほっこり自然な微笑みが湧き出す関係性を、
絶やす事なく輝き合い続けて行きます。
私はここに宣言します。
2024年11月19日