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#033 ~音楽を始めたきっかけ ~ そして僕は途方に暮れる ~
*この記事の中に書かれている "打ち込み" とは、コンピューターに
データを打ち込んで、音楽の自動演奏をするという意味です。
バンドが解散になり、各々次の道へ進み始めたのだが、
私はこの時
次に何をしようか?!
という目標が無かった。
出来れば武道館でライブでキーボードを弾いてみたい!
というのはあったけれど、夢のまた夢のような話だ。
ちなみにその夢は10年後に叶うんだけれどwww
とりあえず、A-JARIの事務所を退社した私は無職になった。
今で言うプー太郎だ(いま言うのかな?!)
音楽人生の中で、一番この時が辛かったと思う。
良く、サラリーマンが退職をすると今までのキャリアが無くなり
独りぼっちになる、ってのを私も感じた。
テレビ局にしろ、ライブ関係にしろ、横の繋がりというのを
全てマネージャー任せにしていたので、解散後はただただ孤独だった。
また、ミュージシャンという自覚があったので、たまたま人の紹介でラジオ局のディレクターにならないか?!という話を頂いた事があったんだけど、それはお断りした。
しかし、とりあえず仕事をして稼がなきゃって思った時に
A-JARIの事務所には、小林健というシンガーがいて、白坂くんというマネージャーが付いていた。
健ちゃんはシンガーなのに、猿が立ちながらウォークマンを聞いていた
SONYウォークマンのCMで、ナレーションをしてその年のCM大賞に選ばれたという
面白い経歴を持っていた。
白坂くんは、こういう隙間を探すのがプロフェッショナルだった。
とてもポジティブでいつも笑顔だ。香港の写真集の時にも何故か一緒に行った。何故だろう?!
そして私は白ちゃんに、
何か仕事ないですかね〜?!
と相談したところ
働きたい日に働けるっていう、警備の仕事があるよ!
って教えてくれた。
確か、こうわ警備っていう会社で(漢字を覚えていないです)
働きたい前日に電話をして、明日働けますか?って聞くと、殆どOKという
めちゃくちゃ都合の良い会社だった。
日給は確か¥8,000位だったと思う。
現場も自宅から20分位のところにあり、とても助かった。
話しは変わるけれど、私はこの頃までは、ただのピアニストだった。
ピアノを弾くだけで、シンセサイザーや今で言う打ち込みとかには
全く興味が無かった。
シンセサイザーはRoland D-50というのを1台だけ持っていたが、ツインキーボードの相方のぶりんに音色を作ってもらったりしていた。
のぶりんの手数が足りない時だけ、シンセを弾いていたような感じだった。
そしてとある日、小林健ちゃんから電話がきた。
「チャーリー打ち込みの機材買わない?!」と。
健ちゃんはその当時では珍しい事なんだけど、新しくパソコンを買ったらしく、今後はパソコンで打ち込みをするとのことだ。
そして私は健ちゃんの中古の Roland W-30という、打ち込みが出来るワークステーションを買った。
最初は打ち込みの方法が全く分からなかったが、取説を端から端まで読みつくし、理解をした。
私は取説をちゃんと読むタイプである。
そして、先ほどの警備のアルバイトだが、何故か1時間働くと30分休憩出来るという休憩が異様に多いのだ。
そこで休憩時間は五線紙を持っていって、頭の中で作曲をして譜面に起こしていた。
帰宅したら、W-30を駆使して、昼に作った曲を打ち込んでいった。
そんな毎日を繰り返し、打ち込みも格段と速くなった。
沢山の音色が欲しくなり、シンセも買い始めた。ミキサーも買った。
ピアノの練習と同じく、のめり込むと止まらない性格が良い意味で災いしたwww
そして打ち込み人生が始まったのである。
つづく〜
PS,そのうち登場する ’かんとく’ に出会うまで、あと7年ほどだ。
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