#046 ~音楽を始めたきっかけ 閑話休題Vol.2~
横山さん時代を振り返ると、とにかくスキルアップしたのと勉強になったのと、それが仕事だったという良いこと尽くめだった記憶があります。
本当に横山さんには感謝しかありません。
ということで、この”音楽を始めたきっかけ”というBlogというかnoteは
元々1話目に書いた、近所のスーパーで数十年振りにお会いしたピアノの先生から始まり、折角なので自分の音楽の歴史を書き留めようと始めたのがきっかけでした。
46話まで振り返ってみると、本当に音楽漬けの人生だったなぁ〜と思います。
その中で書き損じていた3つの話しを忘れる前に残しておきます。
その3つとは?!
1.夢と目標
2.EggManから東京ドーム
3.親と25歳の約束
1.夢と目標
元々私はミュージシャンになりたくて音楽を始めたわけではなく、ただただ音楽がピアノが好きでのめり込んだだけだった。
夢も目標もあとからやってきて、気づけばデビューしたい!目標も作ってみようという感じだったと思う。
プロのミュージシャンになりたい!と最初に思ったとしたら、そこから音楽漬けが始まると思うけど、私の場合は逆だったみたいだ。
とはいえ、高校生の時に横浜でバンド活動をやっていた時にちょっとだけ夢はあった。
渋谷のライブハウス、”EggMan”でライブをやってみたい!と。
キャパ入れまくって400人位のライブハウスだったけれど、サザンオールスターズやメジャーになっていったバンドはほぼEggManに出演していた。
EggManでライブやったら気持ちいいんだろうなぁ〜 という高校生だった。
それが2年後にA-JARIで夢が叶ったのだ。最高に気持が良かったのは今も覚えている。
中野サンプラザは夢を超えた話で、ヤマハの大会であるEastWest’84決勝で神奈川・山梨の予選を何故か勝ち抜き出演が出来た。この辺りはバックナンバーをご参照下さい。
そして、次の夢と目標を作ろうと思った。
EggManの向かいには、渋谷公会堂がある。キャパは確か2000人位だったかと。
そこで、目標を渋谷公会堂にしてみた。
それも2年後ほどにA-JARIのワンマンライブで叶うことが出来た。
その次に思ったのは、更に向かいにはNHKホールがあるではないか?!
キャパは確か3500人位だったかと。
流石にこんな大きなホールでライブをやるなんて〜
ってもちろん思っていた(笑)
それも、渋谷公会堂から5年後に、横山輝一さんのライブで叶ったのだ。
余談ですが、その後NHK pop jamや紅白歌合戦に出演したので、何度ステージに上ったかは覚えていないです。
そうすると、やはりミュージシャンとして、最後の夢は
日本武道館
ここしかないだろう〜
しかし、どうやって武道館の出演に行き着くなどとは想像がつかない。
それが、インペグ屋さんからオファーが来たのだ。
名前は言えないけれど、当時人気だったアーティストの全国ツアーのオファーを頂いた。
スケジュールを見てみると、最終日がなんと!
日本武道館ではないか?!
焦る気持ちを押さえつつ、是非ツアーに参加したいという気持ちがよぎったのだが、
当時の私は今よりも若干性格が尖っていて、
このアーティストのツアーで武道館に出演して良いのか?!
と、悩んでしまった。
自分が心から納得出来るアーティストでステージに上がりたいという
今の私がそこの自分の前にいたら頭を引っ叩いてたかと思うが
結論、インペグ屋さんにお断りの連絡をしてしまった。
もしこのツアーに参加していたら、27歳で初の日本武道館出演だった。
それ以降、流石に武道館のスケジュールは回ってこなかったけれど、30歳の時に武道館ライブのオファーを頂いた。
その時はアーティストというよりも武道館に立てるという優先順位が高かったので、引き受けてしまった。
武道館のステージから見る客席はとても感慨深いものだった。
ここで何が言いたいのか?!
目標を持って行動をしていたら夢は向こうからやってくる!という事なのだ。
だから、夢を持つ、目標を持つというのは人生にとってとても大事なことだと思う。
2.EggManから東京ドーム
これは1の”夢と目標”の延長の話である。EggManから日本武道館までは話してしまったが、今ここで全て言うと、次話が書けなくなるので楽しみに取っておいて下さい。
3.親と25歳の約束
これもバックナンバーに書いたことだが、25歳までにミュージシャンとして確立していなければ、音楽を諦めると親にコミットしたのだが、横山輝一さんのツアーに抜擢されたのが25歳だった。
間に合ったのだ。
そして今53歳の私がいる。
人生は本当にあっという間に歳を取る。
これだけは自覚しておいて欲しいです。
ミュージシャンを目指すあなた!
応援しています。頑張ってね。
つづく〜