#032 ~音楽を始めたきっかけ そして解散へ~
解散した年は忘れもしない平成元年
この年のお正月はマネージャーの工藤ちゃんの実家に遊びに行った。
場所は長野県の佐久市だ。
目的はスキーだったんだけど、昭和天皇の病状が悪化していて全国的に自粛モードだった。
いくつかのスキー場に連絡をしてみると、殆どのスキー場が自粛で営業をしていなく困っていたところ、
菅平スキー場だけが営業をしていた〜
開いているとは、なんと不謹慎な!と思ったけど、結局そこに行った私も不謹慎でした、すみません。
リフトに乗って他の友達を待っていると、知らない男子が近づいてきて
A-JARIのチャーリーですよね?! と、
なんてマニアックな男子だ!と思い、笑顔を返して先に滑って逃げた。
そして、昭和天皇は崩御された。
それから数カ月後に、大和か厚木あたりの大きな公園でイベントのゲストでライブをやった。
このライブはもう解散が決まっていた後にやったライブで、A-JARIでやったライブの中で一番つまらなかった記憶がある。
そして、6月に新宿にあった日清パワーステーションでラストライブを行った。
私がA-JARIに参加して、5年後の事だった。
最後というパワーが後押しされ、めちゃ盛り上がった。
あっという間の5年間。いま53歳だけど、この5年間の人生の内容の濃さは未だにNo1である。
2016年11月に30周年ライブを渋谷EggManで開催したんだけれど、30年も経っているのに、殆ど譜面を見ずに演奏が出来るっていうのが、その濃さの象徴でもあると思う。未だに覚えているのだ。
その後のアーティストのサポートキーボーディストとして参加した楽曲は、譜面が無いと思い出せないものばかりだ。
そして、解散をしたのは良いが、これから私は何をしようか?! 路頭に迷う日が始まるのである。
A-JARIの話しは基本的にこれで終了するのだが、最近はSNSが発達していて、A-JARIメンバーでメッセンジャーを活用している。
先日も新橋に飲みに行ったり、今も仲良く連絡を取り合っている。
コロナの影響もあり、音楽業界は沈んでいるが、音楽制作はテレワークでも出来る。
ということで、新曲を作ることになった。
今日、ギターの藤尾氏が歌詞を書いてくれている。とても楽しみだ。
30年も経てば、私は嫌なことよりも、楽しい記憶しか残っていない。
やはり、A-JARIは私の青春そのもの〜 (ユーミンの歌詞はやっぱいいなぁ)
このブログをここで終了するか?! 22歳からの私の音楽生活の話を続けるか?!
悩んでいます〜
おしまい もしくは、 つづく〜