#022 ~音楽を始めたきっかけ 業界お披露目〜 ~
前回からの続き〜
そうしてA-JARIはデビューに向けて動き始めた。
本当に覚えていないんだけど、どうして東芝EMIになったのか?!
更に、デビュー曲がオリジナル曲でなく、作詞:秋元康 作曲:林哲司
になったのかも覚えていない。
ただ、その楽曲がドラマ セーラー服反逆同盟の主題歌になったという事実は
ある意味凄いことだ。
私の記憶だと、我々のやりたい音楽が素直に出来なかったっという記憶が若干ある。
この当時は、
バンド名を変えよう〜!とか、
メンバーを入れ替えようとか、
なんか、政治が強かったような記憶がある。
バンドよりも、メーカーが強かったのだろうか?!
秋元さんはその当時はおニャン子クラブで有名だったけれど、そんなに興味はなく、
林哲司さんは結構憧れていた作曲家だった。
Shadow Of Loveという楽曲を作って頂いたのはとても嬉しかったけれど、正直
うちのバンドの楽曲とは言えなかった。
とはいえ、その楽曲がデビュー曲になったのだ。
その頃、ファーストアルバムのレコーディングを東芝のスタジオでやっていた。
セーラー服反逆同盟のドラマが初めてテレビで放映される時、
レコーディングを中断して
テレビを付けて、間もなくすると
Shadw Of Live が流れた〜
いやぁ、感動したなぁ〜
19歳でA-JARIのキーボーディストとしてデビューした時の話しだ。
その当時、バンドがデビューすると、業界を相手に発表会的がイベントをよくやっていた。
六本木NOMADというレストランライブハウス的なお店でA-JARIのお披露目会が開かれた。
ステージの私のキーボードの横に、スモークを炊く担当の人がいて
なんで俺がここでスモーク炊かなきゃいけないんだ〜って ブツブツ言っている人がいた。
まだ、業界慣れしてない私は
なんて怖い人なんだ〜
って思った記憶がある。
それがその後、6年後位に同じ現場になる舞台監督の金子さんだとは、想像もつかない。
また、この後私の人生を変えてくれる人なんて、その時は思ってもいなかった。
そして、ライブは大盛況で終わった。
11/21 A-JARIはデビューをするのだ。
バブル真っ盛りの素晴らしい時代だった。
つづく〜