見出し画像

2023秋 信州旅行記(その3完)

 卒業以来会っていなかった大学時代の友人に会いに、同じく大学時代の友人である在京の2名と信州を訪ねた、1泊2日の旅行記の3回目。2日目は乗鞍高原散策を満喫する。

2日目(2023.10.8 日)

信州に来たら確認せねばならぬこと

 5時半すぎにいったん目が覚めたが、再入眠。うつらうつらしていた6時半頃、同室のK氏のスマホからアラーム音が鳴る。

 サークル現役時代から変わらず、iPhoneのプリセット音。同期の間では、編集作業で徹夜すると、幾度となく聞かされたおなじみの不快音である。K氏は再入眠したが、私は独り、内湯へ向かい入浴した。

 7時半、朝食執行役員松本支店長に就任した。

 いまはほぼ克服しているが、長らくアレルギーで卵は口にしていなかったため、未だに卵料理は食べたことがないものが多い。スクランブルエッグも例に漏れず、初めてであった。そもそもこれがスクランブルエッグなのか、いり卵なのかすら自信がなく、この原稿を書くに当たってA氏に確認を取ったくらいである。

 夕食同様、朝食も品数豊富で満足。朝食執行役員の重任を無事、果たした。

 信州に来れば確認せねばならぬことがある。地元民放のローカルスポンサーの多さである。どういう経緯なのか、詳しくは知らないが、長野県の民放はローカルセールス枠のスポンサーの数が異様に多いことがある。

 その例の一つが『サンデーモーニング』。8時台は全国共通スポンサーだが、9時台は各放送局の営業活動で獲得したスポンサーの提供枠となる。

 この日、信越放送でのローカルスポンサーはなんと24社あった。

 前夜の思い出話と、この大量スポンサー確認をすれば、私にとっての旅の目的は果たしたようなものである。

一の瀬園地を散策

 10時にチェックアウトし、やはりH氏に運転を頼り、松本市乗鞍観光センターを尋ねる。館内の案内図を見ながら作戦会議したところ、さらに南の「まいめの池」まで車で移り、一の瀬園地をぐるっと歩くことに決まった。

 長く暑かった夏が終わり、迎えた束の間の秋。紅葉シーズンには少し早かったが、穏やかな山の空気に足取りも軽く、2時間ほど歩いた。

 周遊の途中、かつてキャンプ場があったという場所が向こうに見える。A氏、H氏、私の3人が写真を撮るため立ち止まっていたら、K氏がずんずん元キャンプ場の方へと歩いていった。

 その様子に青山真治監督『EUREKA』を思い出す。人がただ画面の端から端まで歩いているだけでも、ショットが優れていれば映画になり得る――。そういう話をA氏にしたら、おもむろにK氏の後ろ姿にカメラを向けて動画を撮り始めた。

 後で動画を見てみたら、ショットがいまいちで、映画的映像としてはつまらなかった。そりゃ青山と比べたらかわいそうだ。

 しかしK氏が絶妙なタイミングでこちらを振り向いた。これで、映像ではなく動画としては面白くなった。この違いは案外重要なことかもしれないと思ったのだった。

 元キャンプ場にはテーブルと椅子がある。A氏とK氏がテーブルを挟む位置に座って話しているのを、横から写真に収めていたら、今度はホン・サンスの映画を思い出した。

 といっても『小説家の映画』しか見たことがない。同作に私はあまりハマってはいないのだが、会話の映像には得も言われぬ魅力があることは認める。そしてA氏とK氏の並びもやはり魅力的なのだった。

観光センターで昼食

 乗鞍観光センターに戻り、1階に入る「おかみさん食堂」で昼食。4人そろいもそろって、ニジマスを背開きにした「つぶら揚げ定食」を注文した。

 ニジマスの養殖が国内で初めて行われたのが安曇野市明科だったことから、信州のご当地料理となっているらしい。骨柔らかでまるごと食べられる。甘い醤油ダレがからんで美味しかった。

 続いて隣接の「GiFT NORiKURA」でスイーツタイム。A、H、Kの3氏はヤギミルクのジェラートを注文。乳に弱いアレルギーがある私は、おやきを購入した。本当は、「ミスターどうでしょう」鈴井貴之氏が食べられなかったでおなじみ、野沢菜入りのものが食べたかったが、残念ながら売り切れていたので、おさつりんご入りのものを食べた。

番所大滝

 番所大滝へ向かう。

 駐車場に入ると、何十人もの団体客が輪になっており、車を止めにくい雰囲気。H氏が慌てながら窓を開けて「止めていいですか?」と叫び、「どうぞどうぞ」と団体客が身振りで示すと、団体客が一斉に奥の山道へ消えていった。

 滝は山道の先にある。展望台へは急階段をひたすら下りていく必要がある。先程の団体客に追い付いてしまい、またも「どうぞどうぞ」と先へ行くよう勧められて恐縮しながら下った。

 落差40メートルの滝は迫力満点だった。

 問題は帰路。今度は上りがずっと続く。K氏と私には、特にどうというものではなかったが、H氏はややつらそう、A氏はかなりつらそうであった。K氏がすたすた上がっていくのに比べて、A氏は一歩一歩かみしめるように進んでいく。私は最後列に行ったり、前に追い越したりを繰り返しながら写真撮影に興じた。

さようなら信州

 時間は15時頃となり、信州を去る時間が近づいてきた。

 H氏の運転により松本市街へ向かう。途中、道の駅「風穴の里」に立ち寄り、ちいかわグッズを見つけては違憲を指摘したりしたが(冗談ですよ)、車に戻ろうとする頃には雨が降り始めた。

 私が松本空港発の航空便で神戸空港へ、A氏が松本バスターミナル発の高速バスで、K氏は松本駅発の特急電車でそれぞれ東京へ帰る予定だった。道順の関係で、先に松本空港へ寄ることになった。

 少し早く着くので、道中の喫茶店でお茶でもしようと、空港西側の「カワノホトリcafe」へ入ったが満席のため、コーヒーのテイクアウトを注文。待っていると、別の客が入り、予約していたらしい大きな誕生日ケーキを持ち帰っていた。

 コーヒーは車の中で飲んでいると、気が付けばもう16時半過ぎ。松本空港の車寄せに着けてもらい、一同と別れた。

 18時15分発のフジドリームエアラインズ機内では松沢裕作『自由民権運動』を読んだ。途中、機内サービスとしてハラダ製茶のパック緑茶と、梨恵夢のシャトレーゼが提供された。

 神戸空港には定刻よりも少し早めに到着。50分弱のフライトだった。ポートライナーで三宮まで出て、阪神電車で東へ向かい、帰阪した。

旅を振り返って

 サークル時代には年に2回、サークル旅行が催されていたが、引退以降、当時の仲間と一緒に旅をするのは初めてだった。

 第2回で書いたようにH氏とは、サークル活動上最も印象深い作品の制作をいっしょにやった仲であるが、A氏、K氏とも重要な活動を共にしてきた。

 K氏とは1年の春から一緒に活動してきた、同期の中でも最も親しい仲間の一人であり、いわば悪友である。加えて現役時代、彼が後輩指導していた姿は、社会人となった私にとっては今も、会社の後輩に接する際のお手本の一つとなっている(あくまで「一つ」である)。

 A氏は、人が輝く姿への視線が素直で、その良さを生かした文章をたくさん書いていた。ネタが良ければ、料理のしがいがあるというもので、私の編集の腕が鳴ったものである。

 当時の作品が今も手元に残っていることは、私にとってもちろん、大きな財産である。とはいえ、私ももう自ら表現活動を行うような職には就いていない。サークルの活動とは、所詮、下手の横好きで勝手していたに過ぎない。「編集の腕が鳴る」と言ったって、たかが知れている。

 しかし、いや、だからこそ、作品以上に、作品を一緒に作った人たちと今も通じ合うことができるということのほうがよっぽど価値が大きいのである。みなに感謝したい。

 そして、この大きな価値を感じ入るには、信州の秋はあまりに良い仕事をしてくれたのだと、この記事に載せる写真を選定しながら思い至った。東京で酒を囲むのとは違う、場の共有の在り方が見えた。また訪ねたいものである。

(おわり)

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?