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映画レビュー

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見た映画の感想です。ミニシアター系が中心です。
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記事一覧

濱口竜介監督『何食わぬ顔』の、肌に触れるまでのサスペンス

 大阪・十三の第七藝術劇場で開催中の濱口竜介特集「映画と、からだと、あと何か」の中で、濱口が東大映画研時代に撮った8ミリ映画『何食わぬ顔 (long version)』(2002)が上映されていた。筆者の鑑賞は3回目である。  動いているものを見る喜び、人の顔を見る喜び、人が人に視線を向けているのを見る喜び等々、映画を見ることで得られる喜びのうち重要ないくつかが8ミリの粗い画面に凝縮されていて、得も言われぬ感動がある。  中でも最初の鑑賞から強く印象に残っているのが、劇中

映画『きみの色』評/心的な動揺が不可視化された現代を描く問題作

(山田尚子監督/2024年/日本/100分/カラー/アメリカンビスタ)  長崎のミッションスクールに通う高校生トツ子、中退して古書店で働く少女きみ、医学部進学のため長崎の塾に通いつつ内緒で音楽活動をしている離島の高校生ルイの3人によるバンドの物語。  きみにとってもルイにとっても、最大の関心は、周囲の期待をいかに裏切らずに生きていくかということに向けられている。自我を内面に閉じ込めて、いかに体裁を整えるかにエネルギーを使い、疲弊している。このあたりは、現代の思春期世代のリ

映画『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』評

(小森はるか監督/2023年/日本/70分/カラー/16:9)  東京電力福島第一原発事故により避難を余儀なくされた高齢者のためにつくられた、福島県いわき市の復興公営団地「下神白(しもかじろ)団地」で、ドラマー出身の文化活動家アサダワタルらが取り組んでいるコミュニティーづくりの活動「ラジオ下神白」を記録したドキュメンタリー映画である。  2016年に始まった活動は、居住者に元々住んでいたまちと音楽の思い出をインタビューしてラジオ番組風に編集したCDを、団地内で配布する取り

映画『空に聞く』評/「後になってからわかる」までの時間

(小森はるか監督/2018年/日本/73分/カラー/ビスタ)  東日本大震災後の岩手県陸前高田市で、2018年まで運営されていた臨時災害放送局「陸前高田災害FM」で、2015年までパーソナリティーを務めた阿部裕美さんを主人公とするドキュメンタリーだ。  阿部さんの自宅のシーン。画面右側にテレビ台、左端に部屋の扉がそれぞれ半端に映り、その間に、陶器でできた人形や犬の置物がほんの小さな白い台に載っている。テレビ台のほうには高齢の男女の写真が立て掛けられていて、その前に菓子とビ

映画『夜明けのすべて』における職場についての書き残し

 三宅唱監督作品『夜明けのすべて』(2024)については、すでに記事を書いているが、書き残していたことをあらためて記しておきたい。そこでは、三宅のフィルモグラフィーを背景に思ったことを書いたので、省いたことがあった。  公開以来、幾度となく劇場で見たが、少し間がたったゴールデンウイーク中に、帰省中の知人と一緒に京都・出町座で見るという機会があった。その知人はこの種の映画をもともと見るようなタイプではないので、解説を求められ、その際に話した内容を中心に書き残しておきたい。

『こわれゆく女』『ラヴ・ストリームス』~早稲田松竹「ジョン・カサヴェテス特集」から

『こわれゆく女』(ジョン・カサヴェテス監督/1974年/アメリカ/147分/カラー/ビスタ)  カメラのピントがずれようがカットがつながっていなかろうが、問題とはしない。そういう態度で撮影され、編集されるからこそ、俳優とカメラとの相克がそのまま、映画内世界における人物と空間との相克として、観客に受け止められる。ピントのズレは空間の不安を意味し、唐突なカットの切り替わりは空間の混乱を表す。  しかし圧力は必ず開放路を(ときに暴力的に)こじ開けるものである。(ここで「水は低い

映画『悪は存在しない』評/”半矢”は逃げる力を失う

(濱口竜介監督/2023年/106分/日本/カラー/ヨーロピアン・ビスタ)  印象的なセリフを2つ挙げたい。  グランピング場建設計画の住民説明会を前に、事業者への不信感むき出しの青年に、町の区長・駿河(田村泰二郎)が諭すように言う「避けられるけんかはするなよ」というセリフ。  そして、別の場面で、町の“便利屋”巧(大美賀均)が言う「逃げる力がなければ、戦うかもしれない」である。巧は、建設予定地が鹿の通り道であることを、事業主体の社員・黛(渋谷采郁)に話す。鹿は人を襲う

映画『君の名前で僕を呼んで』/鮮烈なオープニング、ショット、音楽

(ルカ・グァダニーノ監督/2017年/イタリア、フランス、ブラジル、アメリカ/132分/原題 "Call Me By Your Name")  さまざまな裸像彫刻の写真を背景に、黄色い走り書きのキャストクレジットが画面に映り、ジョン・アダムスの『ハレルヤ・ジャンクション第1楽章』が流れる。鮮烈な印象を刻み付けて始まるオープニングがカッコいい。所在無き知性と性的欲求に満ち溢れた少年がこれから迎えようとする動揺の季節を、予告している。  1983年の夏を、17歳のエリオ(ティ

映画『成功したオタク』

(オ・セヨン監督/2021年/韓国/85分/カラー)  韓国では、2019年頃から男性のトップアイドルによる性犯罪が立て続けに明るみになり大きな社会問題になったそうだ。当時のニュース記事をネットで拾ってみたが、性的暴行や売春斡旋、性行為の盗撮動画の拡散など、ひどい話が次々に出てくる。  このドキュメンタリー映画の監督や登場人物たちは、そうしたアイドルたちをかつて「推し」ていた女性たちである。  アイドル本人が手を下した悪質極まりない犯行であり、事件報道が、彼らを「推し」

映画『オッペンハイマー』評/「区分」が揺れる世界

 「区分化」というキーワードが頻出する。原爆開発に関する情報を、それぞれの当事者がどの範囲に共有するかは「区分化」されなければならないと軍人は言う。科学者はそれを守ったり守らなかったりする。  区分をどこに見出すかを巡っても対立は起こる。ファシズムの前ではソ連もアメリカの仲間なのか、共産主義である以上は彼我は区別するのか。簡単に割り切れるものではなく、変化し得て曖昧である。  本作のハイライトの一つである核実験のシーン。大気に引火して終わりなき連鎖反応を引き起こす可能性は

『悪は存在しない』と『GIFT』(ロームシアター京都ライブレポ)

 音楽家石橋英子が、ライブ・パフォーマンス用の映像制作を映画監督濱口竜介に依頼し、その過程ででき上がった映画が、ベネチア国際映画祭で銀獅子賞を獲った106分のトーキー『悪は存在しない』(4月26日劇場公開予定)であるが、元の石橋の依頼に応える形で作られた「シアター・ピース」が、74分の無声中編『GIFT』である。  この『GIFT』のライブ・パフォーマンスは、国内では昨年11月23日の東京フィルメックスでしか行われていなかったが、2月24日、ロームシアター京都ノースホールで

映画『夜明けのすべて』評/「一時の幸福」を超え、三宅唱監督は新たな時間世界を描出した

 これまでの三宅唱監督作品に映る幸福な時間は、永遠に続くことのない一時の祝祭的な時間でもあった。  『きみの鳥はうたえる』(2018年)の「僕」、佐知子、静雄の3人の享楽的な時間の終焉。『ケイコ 目を澄ませて』(2022年)でケイコの寄る辺となってきた老舗ジムの閉鎖。スクリーンに映る素晴らしき時間は、常に終焉を示唆する緊張感も漂わせていた。  三宅映画に感動しながらも、どこかで寂しさを覚えるのはこの点による。束の間の幸福な時間が、のちの人生を支えるのであろうことは示唆され

映画『熱のあとに』評/予想もしなかった人生にある悲惨と希望

 愛したホストを刺した女の6年後の話と聴けば、狂気や激情をイメージするが、この映画はそういう作品ではない。むしろ自らの理性に従って信じるものを信じ貫いた結果そうなってしまったのが、主人公・沙苗(橋本愛)であった。  彼女にとって、生きることすら絶対ではなかった。木野花演じる精神科医に「全てを捧げるからこそ愛は永久不滅で、そのほかは愛に近いもの」と語る一方で「当時の自分にとって、生きることと死ぬことはそこまで変わらなかった」ともいう。だから愛の形が、生によるものか死によるもの

映画『春原さんのうた』評/風と湿度が同居するショットに生を見る

 モノローグはおろか説明ゼリフも一切ないショットの連なりは、まさに「映像詩」の名に相応しい。じっくり見ていく中で、主人公が喪失を受け止めようとしていく過程にあることが分かる。  ハッとさせられるショットがいくつかあるが、白眉は真っ暗な部屋で眠っていた主人公が起き上がるところだ。白い枕の沈み込みに、間違いなく主人公が「生きている」という実感が表れる。まるで体温までスクリーンから伝わってくるような、力を持ったショットだった。  その部屋がフェリーの船室であることが後でわかる。