![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153225145/rectangle_large_type_2_2920b71acde472a37f6573dc9cee171b.jpeg?width=1200)
短編小説 「ジャンル違いの君と」
※以前に趣味で執筆していた短編小説です。
元々はお題にそった短編小説なので、原題は「元気」という作品になります。
---------------------------------------------------------
キラキラずっと眩しいものは太陽だけだと思ってた。
けれど、私の知らないところで太陽とは違った光で、小さくキラキラと煌めいているものは世の中にたくさんあった。
それを教えてくれたのは他の誰でもない、ジャンル違いの君でした。
【ジャンル違いの君と】
神様なんて死んじゃえばいい。
たとえばブラックホールが現れて、見たこともない怪獣がグラウンドとか学校を攻撃してくれればいいのに。
練習場も練習してるやつも、全部めちゃくちゃになればいいと願っている汚い私さえも、全部消えてしまえばいいのに。
本当にそう思ってしまうくらい、今の私の心は真っ暗闇だ。
「ラスト一本だよー!!!」
キャプテンが高らかに声をあげる。
ギリギリの精神力を振り絞って返事をした陸上部員たちが、ギリギリの体力で最後の一本へと向かった。
かたや私は何をするでもなく見学をしているだけだ。
ついこの間まで私もあの中にいたことを思うと、動けない今の自分がますます惨めでしょうがなかった。
使い物にならなくなった足を見るたびに思う。
私、ここにいる意味あんの?って。
もしかしたら前に戻れないんじゃないの?
……あの場所に立つことは一生叶わないんじゃないかと思えてしょうがない。
「アイザワ、無理すんなよ」
俯く私に声をかけてきたのは顧問のハリモト先生だった。
先生と言っても年は全然若くてみんなのお兄さんみたいなもんだ。
その投げかけに、私は「大丈夫です」としか答えようがなかった。
先生は怪我をしたときも病院まで付き添ってくれて、足の状態や今後の事もうちの親以上に親身になってくれた。
みんなからも慕われてて信頼のおける良い先生だと私も思う。
だけどそんな優しさや親切でさえも今はしんどい。
それなら部活には顔を出さないほうがいいのだけれど、行かなくなってしまえば私だけ取り残されてしまう気がした。
それに完全に顔を出さないのも部活メンバーに気を遣わせてしまいそうだったし。
けれど実際は何にもできないので、グラウンドにいるだけでどんどん心が病んでいきそうだった。
好きでいるはずなのにこんな気持ちになるんなら最初から来なければよかったと、今日だって何回も後悔していた。
「アイザワ、次の病院はいつだ?」
そんな私の気持ちを汲みつつ、先生はさりげなく足の様子を聞いてくれた。
「今日の6時からです。だからそろそろ帰ります」
「そうか。医者はその後何か言ってなかったか?大丈夫か」
「何も。とにかくムリしないこと。一ヶ月以上運動全般禁止のまんまです」
「……オーバーワークは俺の責任だよな」
「部活程度ならオーバーワークになんないですよ。先生のせいじゃないです。むしろ足のこと黙って個人練習をすごくしてたからで、自業自得なだけ」
そう言ってハッと小さく鼻で笑ってしまった。どこまでも可愛くない。
先生はそんな私を見て、きっと扱いづらいに違いないだろう。
そんな態度をしても見放さないハリモト先生は「先生」なんだなって心の底から思った。
「……お前、ほんとくれぐれも無茶すんなよ。靭帯やってんだから、悪化すると手術だからな」
「……分かってるよ、そんなの。それに今日は精密検査の結果聞きに行くんだし」
手術なんて冗談じゃない。そこまで悪くなってない。
もしそうなったら、みんなみたいにああやって跳べないもん。
小学校の陸上大会がきっかけで走り高跳びに出会って、中学からずっと一筋でやってきた走り高跳びができなくなるなんて、それこそ絶望的だ。
私は脚に負担をかけないようにゆっくり立ち上がる。
「病院あるんで行きます。お疲れさまでした」
先生に会釈をしてグラウンドを離れる。
帰る私に気付く数人の視線すら痛くて、ますます自分の怪我が憎くて仕方なかった。
夏の大会は目前なのに。ベストな状態で駆け抜けたかったのに。
こうして帰っている今でさえも、制服がせっかく夏服に変わったのに、風をきって気持ちよく走れないことは何よりも辛かった。
それなのに、そんなことは関係ないかのように、ゆっくり歩く私のそばを夏の風が駆け抜けて行く。羨ましいほどに。
桜が咲く少し前から、膝下に違和感があった。
痛いような気がすると思ったら日に日にちゃんとした痛みになってきて、けれど時間を置いたりマッサージすると痛みが消えたから騙しながらやっていた。
レギュラーも奪われるのだけは嫌だったから、部活のメンバーにも先生にも相談なんかできるわけがなかった。
だってそれをすれば大会には絶対に出させてもらえないから。
自分でも「こんなのへっちゃら」と思いながらも、隠れて汗がでるほどの痛みがだんだん濃くなってきて、さすがにこれはまずいんじゃないかと焦りを感じた。
それでも嘘をつきながら跳び続けていたら、とうとう練習中に痛い目を見ることになった。
それもみんなが見てる目の前で。
踏み切った瞬間、今までにないくらいの激痛に跳ぶどころじゃなくなり、着地マットにそのまま突っ込んで膝を抱えることになった。
動けないほどの激痛に、救急車はくるわ学校中プチ騒ぎだわ、血相変えた親が病院にすっ飛んでくるわで大変だったけれど、それでも私の頭の中は「皆の前でこんなことになって、絶対にレギュラーから外された」しかなかった。
もちろん現実はレギュラーから外されるどころじゃなかった。
オーバーワークで膝のお皿を包んでいる靭帯がおかしくなった。いわゆる膝蓋靱帯損傷ってやつだ。
一ヶ月以上運動禁止で、夏の大会なんてもってのほかだと言われてしまった。
来年の夏は受験生だしもう今年しかないと思ったところで「今じっくり治せば来年は絶対跳べるから」と意味のない励ましを医者からもらったけれど、全然元気なんかなれるわけがない。
安静にしてればすぐに治るわけでもなく、元々無茶をしていただけにそれでも痛むようだったり、また無茶をした場合は手術になるというのもすぐに告げられた。
「手術なんてしたら、いつになるか分かんないじゃん……」
乗ったバスの窓に流れる景色を見て、何となく呟く。
安静にしていなきゃいけないのは分かってる。
だけどこの焦燥感すら、それ以上の大きな虚無感のほうに押しつぶされそうで、いっそのこと全部消えてしまえばいいのにって私は思うようになっていた。
「お前、なんで昨日何も言わないで帰ったんだよ」
翌日の昼休みにわざわざ声をかけに来てくれたのは部活仲間のクワタだった。
クワタは棒高をやっていて、高跳び繋がりで何だかんだ話しかけてくれる良い奴だ。
このお節介がありがたい時と疲れる時があって、今日のそれは今の私にとっては完全に後者だった。
私はクワタの顔をあまり見ずに答える。
「だって病院にギリ間に合うかって感じだったし。それにみんな真剣にやってんだから、私だけ暢気に見学してて暢気に帰りますーって言えないじゃん」
自分で言っておきながらなんて卑屈なんだろうと思ってしまう。
けれどクワタは鈍いのか全然気にしていないようだった。
「お前、ホント隠れて筋トレとかすんなよ。靭帯なんだからヤバかったら手術だかんな」
「ハリモトと同じ事言うなし。そんなん分かってるよ。てかそれだけのために来たの?」
「いや、お前のはついで。ミサいないの?」
ミサちゃんはクワタの彼女で美術部の副部長だ。
そう言えばさっき美術室に昨日忘れ物したから取りに行ってくると言っていた。
ミサちゃんには悪いけどちょっとばかしクワタが煩わしかったので知らないふりをした。
クワタは当然気付かないまま教室をあとにし、これ以上部活の話をしなくていいと思って少しホッとしていると、また私の名前を呼ぶ声がした。
今度はクワタでもなくて物理の先生がやってきた。
「アイザワ、怪我してる時に悪いんだけど、今日の放課後居残りな」
「は?何でっすか」
「レポート提出忘れたろ。昨日までで出してないのお前だけだからな」
「あ!!!!!」
「……お前正直な」
思い出した。こないだ書きかけで寝て、そのまんま物理のノートに挟んで忘れていた。
半分は書いてあるから残り半分まとめておけばいいだけなので何とか今日中には出せそうだ。
それに、それを口実に部活を気にしないで済むとほんの少しだけ思う。
「途中まで書いて忘れました。じゃあ今日中に仕上げて持ってきまーす」
「職員会議で俺いないから、できたら教科部屋の俺の机に置いとけな」
「あーっす」
「お前女子なんだからその運動部挨拶やめろ」
「はぁーい」
午後の先生には申し訳ないけれど5限と6限をフルに使って完成させることにした。
レポートは目論見通りに午後の授業で完成させることができて、教室とは別になっている教科棟へと向かう。
いつも帰りのHRが終われば真っすぐに部室に行きユニフォームに着替えてグラウンドへと繰り出していたから、放課後の校舎がこんなに賑やかで自由で活気に満ち溢れていたなんて今までは分からなかった。
最初は「自分の居場所じゃないな」と感じていたその音も、今では悪くないなと思える。
部活がある私じゃなくて、何にもないただの生徒の一人である私でいれる気がした。
化学とか物理の先生専用の資料室に行くと案の定、鍵は開いていて先生のデスクを探す。
うちのクラスのレポートファイルが置いてあるデスクを見つけてこれだと思い、レポートをそのファイルの上に置いた。
せっかくだから先生の机を観察してみると、まぁ何とも色々な書類やノートがパソコン周りに乱雑にあり、おまけに全然関係のないマンガ本まで平積みにしてあった。
たぶん生徒から没収してそのまま読んでるんだろう。
職員会議中の先生が戻ってくるわけでもないので部屋を出ると、隣り合う化学室がふと気になった。
普段なら全然気にもしないのだけれど、手持ちぶさたになってしまった今、化学室の中にいる一人の生徒が何となく目に入ってしまったのだ。
たぶん物理化学部の人だろう。
化学室にいる男子はルーペでひたすら何かの塊を観察している。
何を見ているんだろう……。
そんなことを思うなんて、きっとそのまま帰るのには足がためらったからかもしれない。
こんなに早く用事が済んでしまい何だかんだ帰りがけに陸部メンバーに声をかけられて、フォームの確認とかで見学を余儀なくされそうだと思うとまっすぐ帰るのには気が進まなかった。
どこの学年だろうかと思って見ると、意外にも同じクラスの……名前なんだっけ。
おとなしい男子で、いわゆる草食系ってやつ。
同じクラスだけれど正直会話もあんまりしたことがない。
……絡んだことのない奴と話したって大して面白くなさそうだし、そもそもジャンル違うし気にしても仕方がない。
やっぱり帰ろうとしたその時、ふいに彼がこっちを振り向いた。
おまけに目が思いっきり合ってしまったものだから、向こうは私がクラスメイトなことに気が付いたのか遠慮がちに会釈をしてきたので、そのままシカトするわけにはいかなくなってしまった。
……面倒くさいけれど、このまま部活に顔を出すよりかはマシかもしれない。
静かにため息をついてから、私は思い切ってドアを開けた。
「一人?物理化学部だっけ。何見てんのさっきから」
私が遠慮なく言いながら近づくと、彼はびっくりしたのか席を立って「えっと、その……」と口ごもりながらうろたえ出した。
化学室を見渡すと、整理された薬品棚や元素記号が壁に貼ってあったりして、整然とされていてとても静かだった。
彼が手に持っているものを見ると……石?
机を良く見ると他にも小さなケースに入った粒みたいなのや、手に持っている同じようなただの石と、色のついた石も転がっていた。
彼は慌てながら私に説明する。
「コウブツです」
「え?好物??」
「えっと……」
彼は黒板のほうへ行きハッキリと『鉱物』と書いた。
それを見て「ただの石じゃないの?」と聞き返すと、彼はちょっと困ったようにしてから「まぁ石なんだけども……」と答えた。
じゃあ石でいいじゃん。てか石見て何になんの?
石ずっと観察とかキッショ。わけわかんない。
「えっと……」
私が名前を思い出せないでいると彼のほうから「ハヤミです……アイザワさん、だよね」と言ってくれたから助かった。そうだ。ハヤミだ。
「ハヤミは部活一人でやってんの?」
「……いや、他にも部員いるけど……まぁあんまり来ないかも」
「石見て何してんの?」
「……こないだの休みに採集に行ったから、集めたやつの観察と、標本作るのに整理してるとこ……」
「は?石の標本?石なんか標本にしてどうすんの?」
私の言い方が強かったのかハヤミは一瞬びくついた。
これくらいでびくついてんじゃねーよって内心思う。けど無駄に強く言いすぎた私も悪かったので小さくゴメンと付け足した。
ハヤミは近くにあった本を広げて私に見せた。
鉱物をまとめた本で、ただの石が載った本かと思ったら鮮やかな色した石が沢山のっていた。
石というか、石の割れ目だったり結晶になってたり。
宝石みたいなのにどこか荒々しくて原始的でつい見入ってしまう。
私が本をめくりながら釘づけになっているとハヤミはぽつりと喋ってくれた。
「石は石なんだけど、たくさんの自然の条件や環境が重なって、色んな化学組成で生み出されたのが鉱物であって、宝石なんです。宝石に興味があるわけじゃないんだけど、ただの石でしかないのに石ではない何かとして存在してるというか、主張してるというか……」
「ふーん。……ごめん、難しいことあんまよく分かんない」
「あっ……うん、そっか。いや、俺こそ勝手に語ってすいません……でした」
「てかクラスメイトなんだから敬語使う必要なくない?」
「あっ、うん。そうですね」
「直ってないし」
「ははは……癖で……」
饒舌に語ったかと思ったら照れて赤くなったり口ごもったり、忙しそうだ。
「あの、アイザワさんって陸部だよね?」
「それが何?」
しまった。反応しすぎた。
ものすごく感じが悪かったと思ってハヤミを見ると、案の定蒼ざめて黙ってしまった。何だか面倒臭いなぁと思いつつ謝る。
「……ごめん。陸上部だけど、今怪我してるから部活出てない。……八つ当たりして強く言いすぎた」
本当だ。全然関係ないハヤミにまで八つ当たりすることなんかないのに。
もうこんな自分が嫌で仕方ない。
本当に全部消えちゃえばいいのに。
……私だけいなくなったらいいのに。
日当たりの悪い化学室からは幸いグラウンドが見える事はなかったけれど、部活が私の心を占める割合がどうにも大き過ぎて、部活に顔を出さなくたって何の意味もない。
一人イライラしている気まずさが伝わってか、ハヤミはおずおずと切り出した。
「俺、アイザワさんの走り高跳び見てすごいなって思ってました」
「え?」
「実は俺も小学校の時の陸上大会で、走り高跳びの種目出てたんです。って男子の部だけど……」
「え!?そうなの!!??」
びっくりした。小学校6年生の時に行われた陸上大会は、近隣の小学校合同での陸上大会だ。
中学に上がってもまた友人が作りやすいようにと教育委員会の計らいの元で行われる大会で、実際それがきっかけで中学に上がって話ができるという事も少なくない。
けれどハヤミとは中学は別ということは、中学校の学区が若干違ったのかもしれない。
私の驚きをよそにハヤミは続けた。
「アイザワさん、あの時も女子の部で表彰台に上がってて、何かそれはずっと覚えてて。高校で同じクラスになったときに気付いたんだけど、俺が一方的に知ってただけだったし、話すアレでもなかったし。けど高校になっても走り高跳び続けててすごいなって思ってた」
「……そっか。ハヤミは陸上とか続けなかったの?」
「俺は予選で敗退しちゃったし、元々陸上は得意じゃなかったから。中学はテニス部だったけど、高校は自分の好きなことしたくて物理化学部に入ったって感じで……」
「変わってるね。……その、高校でもテニス部には入らなかったんだ?」
「何か部活でやりたいって感じじゃなくて。……何て言うか、チーム感というか、部活感というか。そういうの中学の時でお腹いっぱいになっちゃって。でもテニス自体は好きで、週末だけテニスはスクールで続けてます」
「まぁ、分からない気はしなくもないかも。……でも、ハヤミが思ってるような、私はそんなにすごいやつじゃないよ。現に怪我してるし、今年は確実に表彰台ムリだし。……ほんと意味ないよ、今までとかも」
「そんなことないよ」
「そんなことあるし!」
自分の中で、何かの糸がプツンと音を立てて切れた、気がした。
そんなことない?
簡単に言うな。
現にもう私の代わりの選手は決まっててそれが誰なのかも見てれば分かるし、今まで自分が必死にやってきたのも結局オーバーワークで足ダメにして自業自得としか言いようなくて。
でもそうしなきゃ、
練習しなきゃ、
もっとうまくならなきゃ、
もっと高く跳べなきゃ……
抜かされる気がして怖くてたまらなかった。
どんどん焦るのに、どんどん足は痛んできて、
練習出れなくなるのも嫌で……誰にも言えなかった。
言わなきゃいけなかったけど言えないよ。
胸が詰まって苦しいと思った途端、涙が溢れた。
頬に熱いくらいの雫が落ちて全然止まらなくて、流れるままにしてハヤミに向き合う。
「……あたし、ムダだったのかな?頑張ったんだよ?頑張ってきたんだよ!?なのに何で?……全然すごくなんてないよ。意地張って足故障するとか、陸上やる資格なんてないよ。表彰台なんてムリだよ……だって」
『アイザワさん、次はお母さんと来てね。……現実的な話として、手術の話をしたいと思います』
信じたくない話に言葉になんて出来なくて、だからこそ誰にもどこにもぶつけようがなかった。
昨日言われた言葉はしんしんと自分の心に積りきって、沈んで、どうしたらいいのかも分からない。
夜も眠れなかったぐらいなのに、現実をつきつけられて平気な顔で部活に行けるはずもない。
だって自分は手術をしなくちゃならないのに、大会に向けて走るメンバーを純粋に応援なんてできるわけないよ。
私の分まで頑張れなんて、どうしたら言えるの?
私の分なんかじゃない。
私が出たかったのにって言葉しか出てこないに決まってる。
話したこともないクラスメイトの前で涙が止まらなくなるほど辛いなんて……そんな状態でどうやって頑張ればいいの?
何を目指して続ければいいの?
私は腕で涙をぬぐって踵を返す。
「……帰る」
「待って、アイザワさん」
「もうほっといて。見て分かるとおり、私かなり情緒不安定ってやつだから」
「これっ!」
「慰めとかいらないし!ほっといてよっ!!」
私が言い返すと同時にハヤミは私の手に何かを無理やり持たせた。
手のひらに感じる、角が取れたようなひんやりした小さな塊。
見てみれば、中で灰色がくすぶっているような、でもどこか澄んでいる不思議な石だった。
「なにこれ」
「えーと、鉱物の水晶です。パワーストーンみたいな感じで……お守り、あげます」
「は?子供騙し?」
「子供騙しでも、何もないよりマシかもしれないから」
「何かの宗教かよ」
「……違うけど、でもあげます。アイザワさんに。元気になってほしいから」
「…………」
こんなに強引に人に何かをあげるのなんて初めてなのか、ハヤミはものすごく緊張して声が震えていた。
手のひらの石をもう一度見る。
こんなただの石をもらったところで何が変わる?
もう突き返すやり取りさえ面倒になってきたので、そのまま受け取って化学室から出た。
ハヤミはそれ以上何も言わず、次の日もそのまた次の日も、教室で会ってもお互い何も喋らなかった。
半年から一年かけての復帰を目標に、親と先生とよく話し合った。
そして入院期間とリハビリを考えて、夏休みに入るタイミングで手術をした。
手術前と終わった後に、どうしてかハヤミからもらった石を手のひらで包んでいた。
たまに眺めたり、手の平で遊んだり、たかが石だと馬鹿にはしていても、持っていると不思議と落ち着いた自分がいて何となく持ち続けていた。
それと、あの時涙を思い切り出して心が落ち着いたのか、見舞いに来てくれた陸上部のメンバーを見ても心が傷つくこともなかった。
あれだけレギュラーに固執していた自分なんて嘘のようだった。
「アイザワ、その石なんなの?」
見舞いに来たクワタが私の手にある石を見ながら、ちゃっかりと見舞い品のゼリーを食べている。
「鉱物ってやつらしいよ。水晶なんだって」
「へー。お前スピリチュアルにいったか」
「そんなんじゃないし。……ただの気休めのお守りみたいなもんだよ」
「パワーストーンってやつ?俺の腕につけてるのと同じ感じ?」
「そんなプラスチックみたいな、ちゃちなやつと一緒にしないでよねー」
「今度からスピリチュアルアイザワ、略してスピザワって呼ぶわ」
「違うっての。スピザワもやめろ」
冗談を言って笑いあう。
夏の大会は見事に全国大会に出場して、走り高跳びも棒高も表彰台には届かなかったけれどまずまずの成績を残せたらしい。
大会結果を聞いたとき、素直に喜べた。
あんなにひりついてた心が嘘なんじゃないかと思えてくるけれど、この石がある限りあの時の自分がいたのは嘘じゃないのだ。
今になってハヤミのくれたお守りは、悔しいけれど本当にないよりマシなような気がした。
退院して夏休みらしいことを満喫することもないまま新学期になった。
部活はリハビリの傍らで見学しながらみんなのフォームをチェックしたり、ちょっとした雑務とかのサポートにまわった。
何かをこなしているほうがただ眺めていただけよりも気持ちはずっと楽だった。
前と完璧に同じになることはムリだろうなってのはもう分かっているのだけれどそれは諦めなんかじゃなくて、今の自分に出来る限りの力をもってして春までには復帰するんだっていう希望と目標になっていた。
2学期になってもハヤミとこれといって会話する機会もないまま、体育祭準備が進む秋になった頃。
地学の授業中に教科書を何となしにめくっていると、たまたま水晶や鉱物のページが目にとまった。
ふと、ハヤミのことが浮かんだ。
……ハヤミは石を私にくれると言っていたけど、本当に貰ったままでいいんだろうか。
勿論その石は私のポケットの中にあるままだ。
受け取ったまま当たり前のようにずっと持ち続けていたけれど……それにあの日の事をちゃんと謝りたくなった。
今になって気付くとか遅いかもしれないけれど、手術前もピリピリしてて、手術後も日常生活を取り戻すのにリハビリに専念したりと余裕がなかったのだ。
今ならちゃんと、もちろん鉱物の事を馬鹿にもせずにハヤミと話せそうな気がした。
ポケットの中にある石に触れる。
相変わらずツルツルとなめらかでヒンヤリしていた。
その日の放課後はとくに何も予定がなかったので、ハヤミがいることを願って化学室へと向かうことにした。
放課後の化学室は静かだった。
そしてドア窓からのぞけば案の定ハヤミが一人でいた。
石とか箱を前にして小さなカードに何かを書いている。
相変わらず地味そうな作業だけれど私にはできないことだなと思った。
猫背がちな姿勢も彼らしい。ドアを開けるとハヤミは私に気がついて手を止めた。
「……なんか、久しぶり。いつも同じ教室にいるのにね」
「アイザワさんに話しかけるの、なんか悪いかなって」
「話しかければいいじゃん、って、きっかけないか。絡みないもんね」
「ジャンルが違いすぎるというか……アイザワさん、運動部の元気いい人たちと賑やかにしてるし」
「あれって何なんだろうね。野球部とかバスケ部とか陸上とかの運動だけで固まって会話しちゃうの」
教室は相変わらずしんとしていた。
私はハヤミの正面に座って彼の手元を見る。
相変わらず沢山の石と、名刺のようなサイズの紙に色々と書いてある。
英語みたいなのも書いてあって何なのか気になっているとハヤミのほうから教えてくれた。
「石の標本につけるカードです。石の和名と英語表記と、いつどこで入手したのかとか、組成表記とかも」
「ふーん。相変わらず難しいことやってんね……でも、そういうのが大事なんでしょ?」
「うん。このカードがなければ石はただの石で、価値がないのと同じだから……せっかくこの石が出来てきた歴史価値を否定したくないからこうして書いてるんです」
「……ハヤミに、これ返すね」
私は持っていた石をハヤミの前に出した。
貰った時と変わらずに滑らかで透き通っていて、でもちょっとだけ淀んだ部分もあるただの石。
すっかり私の手になじんでいるそれを、本当はこのまま貰ってもいいのだろうけれど、あんな貰い方のままじゃ納得いかなかった。
ハヤミはちょっと驚いて、私に聞き返す。
「気休めにはならなかった?」
私は顔を横に振って否定する。
「そんなことない!むしろ……あってよかった。けどあんな貰い方のまんまじゃ何だか悪くて」
「そんなことないのに。……でもアイザワさんが元気になってくれてよかった」
ふと伏し目がちに、どこか照れくさそうにしながら言ったハヤミは、今まで見た他の男子と違った気がした。
見た事のない表情に何だか緊張してしまい私も俯く。
ハヤミの指先を見ると、日に焼けた私とは全然違ってとても色が白くてなめらかで、貰った石に似てるなって思った。
私はハヤミに手術を受けた事を話した。
「結局夏休み中に手術受けた。……あの時はもう最低最悪な気分だったけど……終わったらスッキリしてた。……ハヤミは励ましてくれたのに、あんな言い方しかできなくて……ごめんね」
ずっと上しか見ていなかった。
光が当たる部分しか見ていなかった。
だけど、あんなにドロドロの気持ちになって自分と向き合って、受け入れた途端何かがするっととれたような気がして、息苦しくなくなっていた。
何でだろうかと考えた時に、初めて上以外の方向を見たからかもしれないと気付いた。
先生や部活メンバーが本当は私をすごく心配していたことや、リハビリの先生たちのこれからを目標にした励まし。
お父さんもお母さんも私を応援してくれていたこと。
今まで自分一人だと気負い過ぎていたこと。
……でも、怪我でああならなかったら私はもっと独りよがりの選手になっていたこと。
「あのね、無駄なんかじゃなかった。……やってきたこと全部無駄って言ったけど、怪我で無駄になる程度のものじゃなかったよ。……全部がだめになるかと思ってたら、全然そうじゃなかった。入院中も、ふとしたときもハヤミのくれた石を何となく触りながら、考えてた」
上にある太陽みたいな眩しい光じゃなくて、手のひらにあった水晶みたいに小さくキラリと光るようなきらめきが、いくつも私の足元にあったことに気付いた。
……自分の悪いものを見つめた後に残ったものは、けして悪い感情ばかりじゃなかった。
ハヤミは私の話を静かに聞きながら、頷いてくれた。
離れたところにあるはずのグラウンドから生徒の元気な声が聞こえる。
体育祭も近いからか、その準備や練習も慌ただしそうだ。
今までは自分はあっち側にいたのに、今はどうだろう。
今ここにハヤミと向き合っている事がすごく不思議だった。
目が合ったハヤミのメガネの奥にある瞳はすごく優しかった。
私がそっと石に触れると、今度はハヤミが口をひらいた。
「アイザワさんは、努力の人だと思う。僕にはない努力の力を持ってて、続けててすごいなってずっと思ってた。
……時間がたって意味が分かることなんて自然界では沢山あるよ。
だけど、そこに価値があるんだ。だから意味のない事なんて何一つない。
アイザワさんには不本意かもしれなかった怪我だと思うけど、そのかわりに僕や周りが知らないものを沢山得ることができて、それをもう人に伝える事ができる。
これだけははっきり言える。
見えなかったものを見る事ができたということは、何も知らないよりかははるかに価値があると思う。
無駄なんかじゃないって気付いて、今までの自分の頑張りを捨ないでくれて……アイザワさんが元気になって良かった」
ハヤミの言葉を聞いて、胸がじんと熱くなってしまった。
私が元気になったんじゃない。
ハヤミが私を元気にさせてくれたんだよ。そう思ったからだ。
今までこんなことを話す友達なんていなかった。
本当はいたかもしれないけれど、私が気付こうとしていなかっただけなのかもしれない。
こんな話をすれば照れくさかったり茶化してしまったりするのに、不思議とハヤミはそんなこともなく落ち着いて話せることができた。
どうしてだろう。
運動部の子とは違う、一人でコツコツと石が好きな子はみんなそうなのだろうか?
いいや、ハヤミだからなのかもしれない。
とつとつと語るように喋る彼の言葉が、どんどん心に沁み込んでくような気がした。
少しだけキラキラと小さく光って、私の心に散らばっていく。
それは真っ暗で真っ黒だった心に、小さな石の煌きが夜空の星みたいに広がっていくみたいに。
言葉はとても静かなのに、小さいながらも確かな光で照らされ、胸に何か温かいものが灯る。
……今日だけじゃなくまたハヤミと話がしたい。
もっとちゃんと知りたいし、ちゃんと友達になりたい。
何となくそんな想いが生まれた私は、差し出した石を再び手のひらにおさめた。
「ハヤミ。返したばっかで言うのも都合いいかもしれないけど、この石、貰っていい?持ってていい?」
気づけば自分からお願いしていた。
ハヤミはちょっと間を置いてから、それを待っていたみたいに嬉しそうに頷いてくれた。その表情に、思わず私も笑みがこぼれる。
小さなことだけれど、何だかハヤミと少しだけ距離が縮まったような気がして嬉しくなった。
「じゃあ今度、その標本カード持ってくるからアイザワさんにあげるよ」
「え~~~。そこまでは……」
「いや、それが重要なんだって」
「てか、敬語直ってんじゃん」
「あっ……気付かなかった……」
「あはははは」
自分で驚いた後に私の笑いにつられて笑うハヤミが屈託なくて、もっと近くで見ていたいと思う。
私とは全然違うのにハヤミと話すたびに私の足らない部分のピースが不思議と埋まっていく。
全然私とは違うけれど、どうしたらもっと仲良くなれるんだろう?
どうしたらキラキラ光るような言葉を生み出せる君をもっと知れるんだろう?
口にするのは何だか恥ずかしいような気もして、そう思ったらどうしてか緊張で目の前が少しだけチカチカして、本当の星がちりばめられたみたいだと思った。
何でこうなるのかも分からないけれど、きっと友達になってくれたなら分かりやすく教えてくれるかもしれない。
そのとき西日がちょうどほのかに差して、私の手のひらにあった石がキラリと一瞬輝いた。
それを小さなエールにして、もうひとつだけ、ハヤミにお願いしてみる。
声が震えないように、私は息を吸い込んだ。
「ねぇ。……ジャンル違うけど、今度から教室でもフツーに話しかけても、いい?」
( それでもちょっとだけ、最後の声が震えたのに君は気づいただろうか )