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ウイスキー/アイルランド起源説 まとめ 《歴史の授業⑧:最終回》
■ウイスキーの発祥を探る旅
ついに「ウイスキーの起源」についての最終回です!
◇ウイスキーはどこで発祥したのか?
《世界5大ウイスキー》
・スコッチ
・アイリッシュ
・アメリカン(≒バーボン)
・カナディアン
・ジャパニーズ
アメリカ・カナダ・日本は、ウイスキーの歴史が浅く、アイルランドかスコットランドの影響を受けて、ウイスキーづくりがはじまっている。
では、アイルランドとスコットランドのどちらでウイスキーは誕生したのか?
◇スコットランド発祥説の2つの根拠
①大麦の蒸溜酒製造について最古(1494年)の『文献記録』が残っている。
→公式にはこれが最古の記録!
②琥珀色へ『木樽熟成』させる工程を発見したのはスコッチの密造者。
→偶然&密造なので記録はないがスコッチの密造者が、「中身品質向上」のため木樽熟成を始めたのは事実らしい。
◇アイルランド発祥説の2つの根拠
①1172年前後のイングランド兵の「アクアヴィタ」と「オスケバウ」が飲まれていましたよ!の報告
《疑念1》原典が不明
《疑念2》蒸溜酒の原材料が不明
②状況証拠
歴史の変遷や、文化の伝播を考えた時に、
スコットランドよりも、アイルランドの方が、
「大麦麦芽の醸造酒」を蒸溜して飲んでいたのは、早いのではないか?
チャーリーとしては、アイルランド説(状況証拠)を支持します!
■すべて、はじまりはエジプト!
紀元前後の古代エジプトに「ビール」「蒸溜技術」「キリスト教」が存在ました。
このエジプトの「ビール」「蒸溜技術」「キリスト教」はヨーロッパ全土へ、そしてアイルランドやスコットランドといった島国へも伝来します。
一方で、エジプトでは「ビールを蒸溜したお酒=ウイスキー」は誕生しなかったのです。
<理由①>
蒸溜技術は錬金術のために体系化されていったので、「お酒」にそれを用いる考えはなかった。
<理由②>
大麦など農産物に恵まれた土地だったので「醸造酒」を蒸溜して保存性を高める必要がなく、そのまま醸造酒として飲んでいた。
<理由③>
お酒を蒸溜するにしても、ビールはあくまで庶民のお酒。王族が飲むようなイケているお酒がワインだったので、蒸溜するならワインだった。
■蒸溜酒の誕生(定説)
《4~6世紀》ビール(的な大麦の醸造酒)が伝来
ゲルマン民族の大移動で、アングロ・サクソン人が海を越えてイングランドへ流入し、ビールも伝わった。一方で、すでに住んでいたケルト人がアイルランド島や大ブリテン島に追いやられた。
《5~6世紀》キリスト教が伝来
432年:聖パトリックがアイルランドへ布教
563年:聖コロンバがスコットランドへ布教
《11~13世紀》
蒸溜技術がヨーロッパの修道院に伝来
(十字軍の遠征によって蒸溜技術がアラビアからヨーロッパへ)
《14~16世紀》
蒸溜技術が修道院から一般民衆へ伝わる
(宗教改革による修道院解体で、蒸溜技術が民間へ流出)
↓
ヨーロッパ各地で蒸溜酒が誕生。
・フランス:ブランデー
・オランダ:ジュネヴァ
・ロシア:ウォッカ
・アイルランド:ウイスキー
(熟成させていない透明なもの)
■蒸溜技術の伝来(チャーリー説)
キリスト教がエジプトからヨーロッパ本土に伝わり、更に北方の島国へ伝播したわけですが、そのキリスト教の伝播とともに蒸溜技術も、各地の修道院に伝わったのではないか?
◇キリスト教の伝播時期(定説)
《200年》イングランド(⇒ウェールズ)
《432年》アイルランド
《563年》スコットランド
したがって、キリスト教の伝播の流れと同様に、スコットランドよりもアイルランドに先に蒸溜技術が伝わったはず!
その後、しばらく修道院の秘儀として蒸溜技術が使われたが、やがて民間へ流出し、ウイスキー(大麦の蒸溜酒)が誕生したのではないか!?
ちなみに、イングランドではエールビールと蒸溜技術は結びつかなかった。
なぜなら、ヨーロッパ本土と近く「ワインがイケているお酒」という価値観があり、ワインを蒸溜することはあっても、エールビールを蒸溜することは考えなかったのではないか?
■醸造酒と蒸溜技術の融合(チャーリー説)
◇ヨーロッパ本土+イングランド
《14~16世紀》
定説通り、宗教改革による修道院解体で蒸溜技術が流出。
その土地にある醸造酒を蒸溜し蒸溜酒が誕生。
ただし、ワインがイケているお酒だったので、まずはワインを蒸溜して、ブランデー(熟成させていない透明なもの)が誕生しただろう。
◇アイルランド(これ思いっきり妄想ですが!)
《6~8世紀》
島国なだけにキリスト教の伝来後、アイルランドでは、ローマ帝国やローマ教皇からの影響を受けず、独自の進化を遂げる。
そして、ケルト独特のキリスト教文化が花開く。
《妄想:8~9世紀》
そのキリスト教文化の発展の中で、修道院内には蒸溜技術が伝わっただろう。
※古代ケルト人は文字をもたないため記録なし
《妄想:10~11世紀》
修道院から「蒸溜技術」が民間へ流出。
一般民衆がエールビールを蒸溜(透明なウイスキー)にして、『お酒』として飲むようになったのではないか?
↓
ここで、オスケバウ=ウスケボー:ゲール語「命の水」の誕生!!
(それまでも蒸溜技術が伝来したアイルランドの修道院ではエールビールを蒸溜して、キリスト教の儀式・医療行為に使っていただろうが、それはあくまで「薬」的な役割であり、「お酒」ではなかった。)
《妄想:12~14世紀》
アイルランドから「オスケバウ=ウスケボー」が、海を渡ってアイラ島あたりへ伝わった。
(アイラ島はスコットランドの西端で、アイルランドに激近!)
そして、アイラ島あたりからスコットランド全土へと広まったのではないか?
《1494年》
スコットランド王室(王:ジェームズ4世)の財務係の最古の記録。
『 王命により修道士ジョン・コーに8ボルのモルトを与えて、アクアヴィテ(ラテン語:「命の水」)をつくらしむ 』
このように、
・ヨーロッパ本土&イングランドに、宗教改革によって蒸溜技術が広まった流れ(14~16世紀)
・アイルランドで「大麦原料の蒸溜酒」が誕生した流れ(妄想10~11世紀)
は、全く別の流れではないかと思うのです。
■アイルランドのケルト人だからこそ
・ワインができない北の大地。だからこそ、当時、ヨーロッパ本土では、ワインに比べ地位の低かったエールビールが飲まれていたという地理的背景。
・土着宗教のドルイド教と融合しながらケルト流の独自進化を遂げ、ヨーロッパ全土でもトップレベルのキリスト教文化が花開いていた文化的背景。
・北方の寒冷なエリアだけに、(体を温めるために)アルコール度数の高いお酒が好まれたという生理的背景。(ロシアのウォッカと同様)
・蒸溜酒による深い酩酊は、ローマ・カトリックとは別の流れの中で隆盛を極めた「ケルト系キリスト教」への信仰心と結びつき、ある種、ケルト人のアイデンティティを形成したのではないか?という精神的背景。
このように
アイルランドのケルト人だからこそ、
『大麦を原料とする蒸溜酒=ウイスキー』が誕生したのではないか!?
と思うわけです!
ただし、木樽熟成を高度化させたのは、スコットランドにおいてだとチャーリー的には思っています。
なので、『大麦を原料とする蒸溜酒+木樽熟成』をウイスキーの誕生とするなら、「スコットランドがウイスキーの発祥」ということになるでしょう。
■結論
本当に長々お伝えしてきた「ウイスキーの起源」の話ですが、正直、今回の1話だけでOKですね!
というか、やっと終わりまでたどり着けました。。