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「害虫:フィロキセラ」のヨーロッパ侵入の真相とは!? 《ブレンディッド史⑤》

■ブレンディッド・ウイスキーの歴史:5話目

スコッチ・ウイスキーがいかにして、「スコットランドやアイルランドの田舎の人が飲むダサいお酒」から、フランスやイングランドの貴族も嗜む「イケているお酒」へと駆け上がったのかをご紹介する5話目です!

◇前回までのおさらい

19世紀半ば(1860年くらいまで)は、ヨーロッパの貴族階級(フランスやイングランド)で好まれていたのは「葡萄のお酒」であり、その中心は『ワイン』。

ウイスキーは、葡萄の木が育たない北国の「アイルランドやスコットランド」で飲まれている『地酒』でした。

それが、1860年頃になると

・連続式蒸溜機の普及によりグレーンウイスキーが誕生

・モルトウイスキー×グレーンウイスキー=ブレンディッドの誕生

によって、スコットランドのウイスキーは人気を博すようになります。

その人気に追い風となったのが、葡萄の樹を枯らせてしまう害虫「フィロキセラ」!

この害虫がアメリカからやって来ると、ヨーロッパ全土の葡萄の樹が枯れてしまい、「ワイン」やワインをベースとする「シェリー・ポート・マディラ」「ブランデー」といったフランスやイングランドのヨーロッパ貴族が嗜んでいた『葡萄のお酒』がつくれなくなってしまいます。

この害虫対策の「接ぎ木」という手法が編み出されるまでの約20~30年間、貴族たちが、今まで親しんでいた『お酒』を止めることができるわけがありません。

そこで白羽の矢が立ったのが、当時、急成長していた「スコットランドのブレンディッド・ウイスキー」なのです!

今まで「ウイスキーって、北国の田舎の人たちが麦からつくるキッツイお酒でしょ?」と思われていたウイスキーは、ブレンディッド・ウイスキーの誕生=ブレンド技術(&木樽熟成の高度化)によって、格段に飲みやすくなっていたのでした。

「これ美味いじゃん!!」

こうして、

《内的要因》
・ブレンディッド・ウイスキーの発明

《外的要因》
・フィロキセラのよる「葡萄のお酒」の不足

との両方から、ヨーロッパ(当時の世界の中心)でワインやコニャックなどと肩を並べる「至高のお酒」として嗜まれるようになったのでした。

メデタシ メデタシ。

って、これにて今回の話が終わるわけではなくて、タイトルの「害虫:フィロキセラのヨーロッパ侵入の真相とは?」について、深掘りしてみたいと思います!


■フィロキセラはいきなり誕生したのか?

フィロキセラは、1863年にワインの本場:フランスのコート・デュ・ローヌ地方で初めて確認されると、アッという間にフランス全土、そしてヨーロッパ全土へと広がってしまったと言われています。

世界中のブドウを襲った害虫「フィロキセラ」とは? | エノテカ - ワインの読み物 (enoteca.co.jp)

で、その害虫フィロキセラは、アメリカ系葡萄の樹を、ヨーロッパに持って来る時に、一緒に侵入してしまいました。

ちなみにアメリカ系葡萄の樹は、フィロキセラに耐性があるので、この害虫がいても問題なく生育します。
そしてこの特徴を生かして、土台はアメリカ系葡萄の樹で、その上にヨーロッパ系葡萄の樹をくっつけちゃうのが「接ぎ木」という手法です。

実は、ワイン生産が盛んなヨーロッパでは、昔から「アメリカ系葡萄の樹」が持ち込まれていました。

では、このフィロキセラという害虫は、1860年頃、突如として北米大陸で誕生し、ヨーロッパへ持ち込まれてしまったのでしょうか?


■フィロキセラは昔から北米大陸にいた

答えからいうと、フィロキセラは昔から北米大陸にいました。
前述の通り、アメリカ種の葡萄の樹はこの害虫に耐性があるので、共生していたのです。

一方で、北米からは昔からヨーロッパへ葡萄の樹が持ち込まれていました。

では、なぜ1860年頃になって、害虫フィロキセラの影響がヨーロッパに及ぶようになったのでしょうか?


■産業革命の影響

これには、産業革命が大きく影響しているのです!

産業革命 - Wikipedia

社会の授業で習ったと思いますが、産業革命はイギリス発の「18世紀半ばから19世紀」にかけて起きた『産業の変革』と、それにともなう『社会構造の変革』のことです。

その中でもとりわけ大きな変化を持たたせたツールが「蒸気機関」です!

この蒸気機関が18世紀後半に発明されると、移動手段に革命がもたらされます。

◇蒸気機関車
1825年に、英国で初の商用鉄道が開通。
1850年頃までに、フランス、ドイツ、アメリカ、ロシアなどに一気に広まり、産業革命を大きく後押しした。

◇蒸気船
《1800年代》
初期型の蒸気船(≒外輪船)が実用化。

《1830年代》
改良型の外洋を航行できる蒸気船が誕生。

《1840年代》
さらに改良型(スピードUP・安定性UP)の蒸気船が誕生。

※1853年には、ペリーが黒船(蒸気外輪船)で日本来航。

ただ、同時進行で帆船の改良も行われており、スピードを増した帆船が同じ時期に誕生。

地上の蒸気機関車は一気に普及しましたが、海上の蒸気船は帆船というライバルと並行しながら進歩して行ったという違いがあります。


■そして、1860年代

蒸気船はよりスピードアップします。

そして、その蒸気船がアメリカ系葡萄の樹(withフィロキセラ)を積んで、ヨーロッパへとやって来るのです!!

ということは?

それまで、長い船旅で航海中に死滅していた害虫フィロキセラが、元気なままヨーロッパに到達するようになってしまったのです!

次回へ続きます。

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