「害虫:フィロキセラ」のヨーロッパ侵入の真相とは!? 《ブレンディッド史⑤》
■ブレンディッド・ウイスキーの歴史:5話目
スコッチ・ウイスキーがいかにして、「スコットランドやアイルランドの田舎の人が飲むダサいお酒」から、フランスやイングランドの貴族も嗜む「イケているお酒」へと駆け上がったのかをご紹介する5話目です!
◇前回までのおさらい
メデタシ メデタシ。
って、これにて今回の話が終わるわけではなくて、タイトルの「害虫:フィロキセラのヨーロッパ侵入の真相とは?」について、深掘りしてみたいと思います!
■フィロキセラはいきなり誕生したのか?
フィロキセラは、1863年にワインの本場:フランスのコート・デュ・ローヌ地方で初めて確認されると、アッという間にフランス全土、そしてヨーロッパ全土へと広がってしまったと言われています。
世界中のブドウを襲った害虫「フィロキセラ」とは? | エノテカ - ワインの読み物 (enoteca.co.jp)
で、その害虫フィロキセラは、アメリカ系葡萄の樹を、ヨーロッパに持って来る時に、一緒に侵入してしまいました。
実は、ワイン生産が盛んなヨーロッパでは、昔から「アメリカ系葡萄の樹」が持ち込まれていました。
では、このフィロキセラという害虫は、1860年頃、突如として北米大陸で誕生し、ヨーロッパへ持ち込まれてしまったのでしょうか?
■フィロキセラは昔から北米大陸にいた
答えからいうと、フィロキセラは昔から北米大陸にいました。
前述の通り、アメリカ種の葡萄の樹はこの害虫に耐性があるので、共生していたのです。
一方で、北米からは昔からヨーロッパへ葡萄の樹が持ち込まれていました。
では、なぜ1860年頃になって、害虫フィロキセラの影響がヨーロッパに及ぶようになったのでしょうか?
■産業革命の影響
これには、産業革命が大きく影響しているのです!
社会の授業で習ったと思いますが、産業革命はイギリス発の「18世紀半ばから19世紀」にかけて起きた『産業の変革』と、それにともなう『社会構造の変革』のことです。
その中でもとりわけ大きな変化を持たたせたツールが「蒸気機関」です!
この蒸気機関が18世紀後半に発明されると、移動手段に革命がもたらされます。
ただ、同時進行で帆船の改良も行われており、スピードを増した帆船が同じ時期に誕生。
地上の蒸気機関車は一気に普及しましたが、海上の蒸気船は帆船というライバルと並行しながら進歩して行ったという違いがあります。
■そして、1860年代
蒸気船はよりスピードアップします。
そして、その蒸気船がアメリカ系葡萄の樹(withフィロキセラ)を積んで、ヨーロッパへとやって来るのです!!
ということは?
それまで、長い船旅で航海中に死滅していた害虫フィロキセラが、元気なままヨーロッパに到達するようになってしまったのです!
次回へ続きます。
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