小学校の卒業式で考えさせられた合唱の力
先日、小学生の息子の卒業式に参加しました。
厳粛な雰囲気の中、いつもの私服とは異なる正装をした子供たちを見ていると急に大人になった印象を持ちました。
小学校一年生の頃から同じ学校に通っていたこともあり、我が子だけではなく、一年生時の記憶も残っている子供も多い中、この6年間の子供の成長の早さには本当に驚かされます。
校長先生も原稿を読まれることなく、自分自身が卒業文集で書いたこととその後のご自身の人生の歩みを小学生にも分かりやすく話をされていて、とても素晴らしいスピーチでした。
後方の保護者席に向かって、「旅立ちの言葉」と言われる短いセンテンスで小学校の思い出を生徒全員が一人ずつ大きな声で話すのを聞いていると一人一人の個性も感じられます。
とても素晴らしい卒業式ではあったのですが、自分自身の卒業式とは少し異なる印象を持ちました。
私が見た限りですが、感動して泣く生徒や目を潤ませる保護者の姿がありませんでした。
普段、涙もろい私も心を揺さぶられることがありませんでした。
何が欠けているんだろうと私なりに思ったのは歌の力ではないか?と思いました。
まん延防止等重点措置が解除されていたとは言え、学校側としては感染防止を第一に考え、君が代、校歌は歌を聞くのみで、歌うことはありませんでした。卒業式で歌われるいわゆる定番曲(仰げば尊しなど)の合唱はありませんでした。
卒業式において、最後にみんなで声を合わせて合唱することが感動を生み出してきたのではないか?と思いました。
そう思った一つの理由は3月11日のNHKの朝の番組(おはよう日本)の放送中、ロシアによるウクライナへの侵攻が始まってから、SMAPの楽曲「Triangle」が売れているというニュースで音楽の力を思い起こすことがあったためです。
実際にその歌と共にウクライナの被害の映像が流された際に、普段は冷静な桑子アナウンサーが途中涙声になりながら、楽曲についての紹介をしていました。
私自身もウクライナの被害状況は普段ニュースで見ているものの、音楽と一緒にその映像を見ていると思わず涙が出てきました。
その時感じたのは音楽の力でした。
合唱が卒業式の感動を生み出してきたというのはあくまでも私の仮説にすぎませんが、なぜ今まで卒業式で合唱が行われてきたのか?合唱の価値とは?を改めて考える良いきっかけとなりました。