映画『バブル』を最高に楽しみたいアナタへ 劇場版バブル徹底解説【ネタバレ有り】
映画『バブル』が2022年5月13日(金)より全国公開される。本記事では『バブル』が最高に楽しめるように、試写会に参加した筆者が徹底解説!初見では難かしい部分も、この記事を読めば、きっと納得感を持って楽しめます。
ストーリーは?結末は?気になる部分についても解説します。ネタバレもありますが、事前に確認すると安心して作品を楽しむことができます。損をしたくない、自分に合っている作品か知りたいという方は必見です。
「にんぎょ姫」でも、悲しい物語ではない
『バブル』は「にんぎょ姫」が題材となった作品です。「にんぎょ姫」のストーリーについてザッと確認すると、こんな感じ。
「にんぎょ姫」のストーリーから、『バブル』も悲しい物語と思うかもしれません。ですが、『バブル』は決して悲しい物語ではありません。
視聴後の気分は心地よく爽やか。むしろ、晴れやかで走り出したい気分。
(試写会の日は雨が降り、風も強かったのですが、それでも気分は晴れやかでした)
題材は「にんぎょ姫」ですが、決して悲しい物語ではありません。ではどんなストーリーなのでしょうか?
王子は心を閉ざした「パルクール」のエース
「にんぎょ姫」でいう王子のポジションになるキャラクターが、「パルクール」チームのエース、ヒビキ。パルクールとは簡単に言うと、障害物競走。建築物などを障害物に見立てて、街を素早く駆け抜けるスポーツだ。
ヒビキは特殊な聴覚を持っており、色々な音を聞き取ることができる。この特徴と過去の出来事からコミュニケーションが苦手。群を抜く「パルクール」の実力はあるものの、クールな変わり者というところだ。
ひとりでプレイ中に海へ落下した彼を、ヒロインのウタが助ける。ふたりが出会ったことで物語が動き出す。
東京に起きた異常
舞台は東京だが、私たちの知る東京とは異なっている。この作品では降泡現象という泡が降ってくる現象が発生。東京タワーで原因不明の爆発が起きたことで、東京は巨大な泡に包まれてしまう。東京内の泡は水に変わることで、東京は浸水。その後、日本は日常を取り戻したものの、謎の泡に包まれた東京のみが閉鎖されたままだった。
この東京に入り込む若者たちが現れる、彼らは降泡現象による災害の孤児たち。ヒビキもその一人だ。彼らは互いの生活物資を賭け、パルクールを元にしたチーム戦、バトルクールに興じていた。
謎の泡で満たされ、海に沈む建物が点在する東京は異質だ。その中でも特に異質なのが、東京タワーである。東京タワーの展望室は、どんなカメラや機器でも観測できない空間となっている。
この空間を観測するには、直接たどり着く以外に方法はない。そのため過去、この東京タワーに挑戦した者たちもいたが、展望室にたどり着いた者はいなかった。
ヒビキもひとりながら、この東京タワーへの挑戦を続けていた。その挑戦中に、海に落ちてしまう。そこで、助けに現れたのが、ヒロインのウタであった。
ウタはどんな娘?正体は?
(この項ではウタの正体について解説するので、ネタバレ有りです。ご注意ください。)
ヒビキを助けたことで、仲間となるヒロインのウタ。本作における人魚姫のポジションとなるのが彼女である。
ヒビキがたびたび聴いた、正体不明の歌声は彼女のものである(正確にはバブルが出している音)その歌声を聴き東京タワーに一人、ヒビキは挑戦していた。
ウタはネコのような振る舞いで、興味の向くままの行動をする。沸騰する鍋に手は突っ込むし、卵も割って楽しければ割る。ただ言葉をしゃべらないため、名前が分からない。
そんな彼女をヒビキはウタと名付けた。彼女はそれを気に入り、徐々にだが言葉を話すようになってくる。ちょうど子どもが大人のマネをして、言葉を覚えていくように。
ヒビキは最初こそ、わずらわしそうにするものの、徐々にウタに心を開いていく。ヒビキの花園(庭園)での出来事から、心がどんどん近づいていくのだ。
さて、ヒビキたちはウタの正体に気付いていないが、実は登場時からはっきりしている。その正体は泡つまりバブルである。意思を持つひとつの泡が、ヒビキを助けるために形作ったのがウタの姿である。ウタ自身の見た目は彼女自身のものだが、服については廃電車の広告と同じものを着ている(意識的にウタがマネしたと思われる)
ヒビキを助けるためにウタは人に近い形を取ったが、もしかしたらヒビキのそばに居たいという想いが強くあったのかもしれない。そうでなければ、人の形を必ずしもしている必要はないからだ。現に以前の爆発時にウタはヒビキを助けている。つまり二度目の救出であり、こちらではじめて命の恩人と認知されたわけである。
ウタの正体は泡であり、バブルであるわけだが、そもそもこの泡とは何なんだろうか?
泡と重力の関係は?
まず泡と東京に起きている異変の関係を整理しよう。
東京の地が水に沈んでいるわけだが、特におかしいのが重力だ。重力そのものがないわけではないが、時折渦潮のような重力場が発生している。簡単に言えば、小規模だがブラックホールのようなもの。そんなものがところどころに発生するのだ。
これは泡によるものではないか?と考えられる。東京に満ちるこの泡はそもそも世界中の研究者達ですら何だかわからないものだ。つまり、泡とは言っているが未知の物であり、それが東京の重力がおかしい原因であると考えられるのだ。
ただその辺りに転がる泡に吸い寄せられることはない。このことから、泡が集まった際、強力な吸い込む力を有するのではと考えられる(もしくは重力に干渉する性質がある?)
そしてこの泡は地球で発生した物ではなく、宇宙から降り注いだものであると作中からわかるのであるが、結局この泡の正体は何なんだろうか?
泡の正体は宇宙人?
この泡はウタをはじめ、ウタが姉と呼ぶ泡の存在から何らかの意思があるように思える。このことから宇宙人とも考えられる。ただ宇宙人というより、宇宙生物といったところだろうか。ともかくこの泡は未知のものであることは間違いない。
ここから推察だが、この泡たちはそれぞれ意思があるというわけではなく、集合意思ではないかと考える。つまり本来、統一された意思(人格)しかなく、生命が教えられなくても実行できるような動きを繰り返してるのではないか(例えば、細胞のひとつひとつに脳はついていないが、彼らはプログラムされているかのように動く)
そこに発生したイレギュラーがウタである。ウタは幼いヒビキと出会ったことで、自分というものを認識した。しかしそれは本来、統一された意思に反することである。
ヒビキがウタを連れ戻すため展望室に到達し、過去を思い出すシーン。ヒビキは幼い頃、泡であるウタに出会った際、泡たちの怒りに触れたと考えたがあながち間違ってはいないように思う。
ウタも姉のところに戻らなければ、と考えたのもこの意思が関係しているだろう。ではウタの姉は何者なのだろうか?
ウタの姉は存在していない!?
ウタの姉は、実際には存在していないと考えられる。正確にはウタが姉だと認識している、ウタ以外の泡である。
この泡たちはひとつの意思によって動いている。それは渦のように寄せ集まって、弾けるということだ。このいわば泡たちの統一意思であり、唯一意思であったが、ウタの存在によって、そうではなくなった。
泡はウタを含め元々は統一されたひとつの群体だったのではないかということだ。集合無意識だとか、全てはひとつ、オールワンなどの概念に近いのではないだろうか。つまり元々は同じ者であり、仲間であったわけだが、そこから離れ、人の元へと向かってしまったのがウタである。
ということはウタの姉、統一意思にとってはウタは取り込む対象(引き戻すべき対象)であり、ヒビキたちはそれを妨害する邪魔者である。
ウタは爆発の予兆と姉が呼んでいると感じ、姉の元に向かったが、実はかなり危険だったように思う。おそらくあのまま、姉の元に帰る、ひとつになってしまえば、ウタの意識は消え、爆発してしまっていたのではないだろうか(弾けるのが泡の意思であるなら)
だが、助けにきたヒビキの存在でその事態は回避した。ウタはヒビキを助けることを選んだ、このとき泡、バブルの統一意思はウタによって変わり、姉という存在も霧散したのではないだろうか(元々、ウタが姉だと認識していただけですし)
つまりウタの姉とは、ウタ以外の統一意思を持つ泡を、ウタが姉と定義したものであったもの。姉とのやり取りは、ウタの意思と統一意思のせめぎ合いだったのではないかと考えられるのだ。
バブル舞う、そして結末は?
泡はウタの意思とひとつになり、降り注いだ。ウタの体は泡で出来ており、人と触れ合うことはできない。けれど仲間たち、そしてヒビキとの出会い、心のふれあいは確かにあった。
宇宙から降り注いだ泡は、とけて舞い上がり、泡が巻き起こした一連の事態は終息していく。
本来、出会うことすらないはずのふたり。泡と人、なにもかもが違うふたり。しかし、奇跡的に出会い、そしてウタとヒビキは心通わせることができた。それは十分すぎる奇跡だった。
ラストシーンでは、復興に向け動き出す東京を疾走するヒビキたちが描かれている。そんな彼に寄り添うように、先を駆けるようにバブルの姿がある。
実は本作の題材にもなった、にんぎょ姫のラストは泡になって消えて終わりではない。作品や訳にもよるのだが、風の精霊となり空に舞い上がるというものがある。
解釈にもよるが、これからもヒビキたちと共に空を駆けていくのではないかとわたしには思えた。きっと、この空と共にずっと一緒にいられるのだ。
心地よい気分で映画は終わる。
映画バブルとは
重力が壊れた東京を舞台に、泡である少女と心を閉ざした少年、そして仲間たちの交流が描かれた。
にんぎょ姫が題材ではあるものの、悲しい物語ではない。ラストシーンと演出のおかげで前向きに、気分は心地よく爽やかに視聴を終えることができる。
世界を舞うような体験と、泡のように光輝く映像美に目が貼り付く体験は、劇場ならでは。『バブル』を最高に楽しむためにもぜひ劇場へ。
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