よろこばれる
往年の工業デザイナー秋岡芳夫氏の「暮らしのためのデザイン」を再読しています。
高専在学当時の必読書だったのですが、私がデザインを勉強していたときは折からのポストモダン旋風のまっただ中で、機能合理主義的なデザインというのものの価値が軽んじられているときでした。
そういうわけですから、この本の内容も一昔二昔前の古くさいテキストに感じていて論文制作用くらいにしか考えていなかったのでした。
どういうわけかこの本に古本屋で再会しぱらぱらとめくってみると、掲載されているモノクロ写真の民芸品や古い道具たちがいかにも魅力的に思えてまた購入したという次第です。(たぶん実家の書庫にはもう一冊あるはず)
一言でいってしまえば「温故知新」といった内容なのですが、その中で心に響くことばがありました。
東北地方に伝承される雪が歯の間にとどまらずに、雪中でも歩き易い下駄を紹介する項に「この作用を利用して現代のビジネスマンの革靴のウラに装着できるスパイクなどを製造すれば…」と書かれ「…きっとよろこばれるはずだ」と結んでいるのでした。
まぁ、アイデア的には古くさいもので、今では既に製品化されていることには目をつぶるとして、私は文末の「きっとよろこばれるはずだ」という記述に感銘を受けたのです。
読書をする際にはだいたい次にどんなことばがくるか予測しているものですが、お恥ずかしい話、私の脳みそには「きっと売れるはずだ」という予測がなされていたのでした。
もちろん、思考の簡略で「よろこばれる」から「うれる」んですが「よろこんでもらう」という思考が欠落していることがショックでした。
今朝は初心にかえることができていい気分です。