兎、波を走る @博多座
初めて行く博多座にて観劇。
前日に当芝居を観劇した友人の感激したレビューを読み急遽予定を変更して観ることを決めた。
もう30年も前に劇団夢の遊民社の芝居を観て以来の野田作品の観劇だ。
なぜそんなに間が開いたかというと当時僕が傾倒していたコメディ芝居にのめり込みすぎていたあまり、野田作品からはわかりやすいカタルシスを得られなかったという如何にも知能指数が低い理由からなのだ。お恥ずかしい話。
で久しぶりに観た野田作品はとても当時と似た風合いを感じた。
貶している訳ではない。やはり野田さんは野田さんの作家性を突き詰めているのだなと感心した野田。
話は遡る。
僕と野田さんの出会いのことだ。
いや、直接お会いしたことはありません。
僕が初めて野田作品に触れた記憶は鮮明だった。
それは小学6年生の頃のことだ。
僕の家庭では当時中学生になるまでは20時に就寝しなければならないというローカル規則があって、幼稚園の頃はさすがに親も一度は一緒に布団に入って寝かし付けてくれたが、小学生の6年間はひとりで布団の敷いてある部屋に行きひとりで眠らなければならなかった野田。
はじめのうちは怖いし寂しいし眠れなかったが、そこは子供。知らない間に眠ってしまっていて、翌朝にはすっかりそのことも忘れているので、朝になると親に「寂しかったし怖いからこのルールやめて欲しい」と文句を言い忘れてしまうという循環を繰り返していた我ながら阿呆な子供であった。
小学生の四年くらいの時にお小遣いで小さなトランジスタラジオを買った日からひとりで布団に入るのが楽しい秘密の時間になった。
20時に布団に入ってからラジオのスイッチを入れそこからAM FM問わずいろんな番組をザッピングする楽しみを覚えたのだ。
その時に聴いたラジオ番組の脳内アーカイブは今でも宝物だ。
スネークマンショーを初めて聴いた時の衝撃、ジェットストリームの城達也のうっとりするナレーション、生島ヒロシや吉田照美や谷村新司の妙に色気のあるDJ。野沢那智と白石冬美のパックインミュージックは二人の顔を想像しまくった。クロスオーバーイレブンで大人の音楽の扉を叩き、オールナイトニッポンでタモリの存在を知る。
そんな布団内ラジオザッピングナイトライフを楽しんでいた小学生がある日そのラジオのスイッチを切り忘れたある夜半。
もう起きる時間だったのかはたまたオシッコを催したのか。眠りが浅くなったときに消し忘れたラジオから奇妙な放送が流れていた野田(しつこいね)。
それは何やら学術論文のようなテキストを甲高い早口の声で朗読し続けるという番組で、大人には内容が理解できたのかもしれないが、当時せいぜい小学6年生の僕には到底理解できる内容では無かった。
無かったのだけれど、耳はラジオに釘付けで、一言一句聞き逃すまいと完全に覚醒した脳の機能を集中させた。
ひとしきりの熱弁が終わると女性アナウンサーの声で「講師はノダヒデキさんでした。それでは番組を終わります。」と締めた。
子供の僕は「ノダヒデキ」という名前を忘れないようにすぐにメモを取った。
しかし、ネットも無い時代の小学6年生はそれで詰んでしまった。
それは後になって「放送大学」的な教育番組の体裁で構成されていたとわかったが、ノダヒデキ氏が劇団の主宰者だと分かるまでその後数年はかかったと思う。
それはたぶん「TBSラジオ後援/劇団夢の遊民社新作公演」のラジオコマーシャルでだったと思う。
しかし、中学生の僕は芝居はおろか映画ですらそこまで頻繁に観ることができる経済状況では無かった。他の趣味や部活も忙しかったし。
初めて観た芝居は草月ホールでの宮沢章夫作品「スチャダラ」だった。
それは「スチャダラパー」のポーズとシンコも同じ公演を観て衝撃を受け自分たちのグループ名にしたというほどの当時のカウンターカルチャーのボーイズ&ガールズには刺さりまくりの内容だった。
高校三年生だったかな。
観に行ったのが千秋楽だったとも知らずに、次の日も観たくて草月ホールまで行ってしまったというのは痛くて若い良い思い出だ。
そこら辺りから演劇の面白さにハマりいろんな劇団を観に行くようになる。
そこで夢の遊民社の芝居も観た。
しかし、演劇というのはいろいろなメディアの中でもアタリハズレが大きい事でも有名である。
好みが収斂していくのにそれほど時間はかからなかった。経済的にも時間的にも無限に観にいくこともできないしね。
僕はやはり初めて観た宮沢章夫作品に傾倒していくことになる。
その後メインがシティボーイズになるに連れ「シティボーイズライブ」の追っかけになって行った。
その経験の人脈が奏功してシティボーイズライブのラスト七回までの広報デザイナーとしてスタッフに名を連ねることにもなった。
話が逸れた。それ杉田。
まーそんな「野田作品と僕」みたいな前提があるとなんとなくお見知り置きください。
で本作「兎、波を走る」である。
タイトルは仏教用語で「浅い悟りに甘んじる者」と言う意味らしい。
そういった意味合いも含まれていると言えば含まれているし、そうでないと言えばそうでないとも言える。
実際の未解決事件を本案にし、「不思議の国のアリス」と「廃れた遊園地で公演する芝居」と「ピーターパン」や「ピノキオ」といった物語をメタ構成あるいはリミックスした内容だと思う。
主たるテーマは暗澹たるものだが、そうならぬように(?)配役が選ばれ演出がされているように思えたが、この解釈はハズレているかもしれない。
最近は映画三昧で芝居の観劇を怠っていたせいで、セットなどはかなり凝っていたように思えたが、それが最先端のものなのかまではわからなかった。
しかし、舞台に傾斜がついていてその真ん中に穴が空いているという仕組みは優勝級だと思った。
重要なヒントと答えは「穴蔵の言語(アナグラム)」に隠されていて、タイトルがネタバレそのものになっているが未見でこの謎を解ける人はいないだろう。
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