完璧主義で心配性な私へ
ときどき、ひどく自分に嫌気が差すことがある。
ひどく自分を傷つけてしまうことがある。
そして、いつも決まって最後には、周りの人にできるだけ心配させないように空元気で振る舞って、それのおかげでなんとか普段通りの自分に戻すことができる。
私は、完璧主義である。
友達との時間は守る。
旅行に行くときは必ず電車の時間・泊まる場所・観光地・ご飯を食べる場所を隅々まで調べる。
任された仕事は全て完璧な状態でやり通す。
一度立てた目標は何が何でも達成まで持っていく。
あまり人前で言うことではないが、私はかなり人と比べて要領が良いため、結構重い負担がのしかかってしまったとしても気合いでやり切ることができる。
そして、そういう風に完璧にこなす自分に対して誇りに思っているし、自分に対する自信にもつながっている。
私は、心配性である。
一度カバンの中に入れてチャックまでしたのに、ちゃんと入ってるかな?ってもう一度チャックを開けて確認してしまう。なんなら、家を出る前にもう一度確認してしまう。
今期忙しすぎて、出席点のある授業でおそらく出席不足で単位を落としそうである。もう、レポートを出してしまっているから今から足掻いても仕方がないのに、結果がわかるのは来月なのに、フル単が取れるかどうか心配してしまっている。
日程が事前にかっちりと決まっていないと、予測できない事態が起こるんじゃないかとひどく心配してしまう。
心配をしていないでのほほんとしているときは、トイレの電気をしょっちゅう消し忘れてしまう、ゴミを出し忘れるなど、結構抜けが多い。
我を忘れてしまうと、友達にすら口が悪くなってしまう。
だから、すごく自分にも周りにも気を遣う。
そして私は、人に期待していない。
自分でやったほうが早いから、自分でやってしまう。
こんな性格の人間がどうなるか?
良い側面はたくさんある。
1つは滅多なことがない限り、失敗をしないこと。
実際私は今まで受験で一度たりとも不合格になったことがないし、単位も落としたことがない。繊細な振る舞いがあらゆる失敗の可能性を消し去ってくれるのだ。そしてそれは心配性と相まってマメな人間として還元される。
もう1つは人に愛されること。
中学のときも高校のときも多くの先生から愛されていたような気がする。
そして今でも数こそ多くはないが、大切にしたい友人がいる。
でも、ある致命的な悪い側面がある。
それは、しっかりと計画を立てたのにそれがうまくいかなかったときに、些細なことですらひどくイライラしてしまう。自分に対して。
人に対して期待をしていないから、怒りの矛先が人に向くことはないけど、感情がひどく不安定になって自分に何度も何度も矢を刺してしまう。壊れてしまうくらいに。
そして、それが滲み出てしまって周りに心配をかけてしまう。
完璧にこなさなくても世の中大抵がうまくいく、場合によっては完璧にやろうとしないほうが上手くいくことも頭ではわかってる。
でも、でも、でも、、、、、
大きな失敗をしたことがない自分は、これ以上ないくらい自分を傷つけてしまうのではないかとひどく失敗を恐れて完璧にこなそうとしてしまう。
前回のブログで書いたメンタルのキャパオーバーは、物理的にキャパってる自分に対して仕事を舞い込ませてきた、そして非協力的だったという面で相手側に問題点があったとは思う。
でも、4割くらいはこの自分の性格に難があったせいだと思ってる。
キャパっているなら人を信頼して仕事を押し付ければ良かっただけだし、相手が自分たちの意見に寄り添ってくれないのならば、万人が安心できるものでなくても自分の意見を貫き通してしまえば良かったのだ。
できなかった。
そのせいで、メンタルが崩壊してしまった。
私は、サークルを辞めた。去年まであれだけ大好きだったサークルを。
これでいいのだろうか?答えはまだわかっていないけど、きっと誰かが正解だって言ってくれると信じてる。
ときどき、ひどく自分に嫌気が差すことがある。
ひどく自分を傷つけてしまうことがある。
でも私は、完璧主義を抜け出す第一歩を踏み出した。
世の中多少失敗しても大丈夫だよ、と自分にわからせるために。
そして、自分をもっと幸せにしてあげるために。
きっと私は多分幸せになるための費用や時間すらも、削るべきものだと思ってしまっていたのかもしれない。
これからはもっと自分を労ってあげよう。もっとやりたいことをやらせてあげよう。
そして、そんな自分をちゃんと受け入れてくれる人を大切にしよう。
今はブルジュハリファ並に高い壁かもしれないけど、乗り越えて振り返ってみたらきっとただのガードレールぐらいの壁だよ。
さあ、楽しんでいこうぜ、人生!!
P.S.
あの人が今でも時々夢に出てくる。
半年間非常に深い関係だっただけに、その傷は今でもマリアナ海溝以上に深い。
いつになったら癒えるのかな。