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どんな言葉よりも
最近読んだ本から、印象に残った一節をご紹介します。
フランネルさんがご紹介くださった、アン・モロウ・リンドバーグ著「海からの贈物」。
人や物、なすべきことに囲まれた生活を離れ、一定期間、離島で一人きりで暮らした著者が、島の中で、時折、友人と過ごした時間について述べた部分です。
しかしこの島では、私は友達と黙って一日の最後の薄い緑色をした光が水平線に残っているのや、白い小さな貝殻の渦巻や、星で一杯の夜空に流星が残す黒ずんだ跡を眺めていられる。話をする代りに交感するのであって、そのほうがどんな言葉よりも私たちを力付けてくれる。
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生活の場には、言葉が満ちています。
言葉が持つ力に魅力を感じつつ、言葉が空回りするように感じること、沈黙を埋めるために言葉を発することも、ままあります。
でも、ある程度、言葉で語り合った後は、人と人との間に媒体となる言葉はいらなくなる。ごくたまに、そのような出会いが人生にはあるような気がします。
一人でいること。
誰かとやりとりすること。
それらをいくたびも積み重ねた先に、共に時を過ごすことの幸せを、心から感じられる瞬間が与えられる。
そんな気がします。
おまけ
一人暮らしをしている息子が、昨日帰省しました。
久しぶりに家族に囲まれ、怒涛の弾丸トークを繰り広げます。
静かな時間が5秒と続かない、賑やかな環境が、久しぶりに戻ってきました。
「うちはこうじゃなくっちゃね。」
と長女。
言葉があふれる環境も、愛おしいものです。