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亀鳴く
昨日、亀の甲羅干しの話を投稿したところ、コメント欄で、根雨良光さんが、亀鳴く、という季語があることを教えてくださいました。
のどかな雰囲気が漂う亀。
子供の頃、庭に迷い込んだ亀を飼ったことがあります。亀がぐんと首を伸ばす仕草はなかなか雄弁で、首をもたげて鳴きかわす、という想像もできてしまう姿です。
実際には、亀には声帯がないため、鳴くことはないそうですが、音を発することはあるそうです。呼吸をするときに空気が鼻や気管支などを通過するときに聞こえる音は、しばしば「鳴いている」と感じられることがあるとか。
「亀鳴く」は春の季語だが、実際はカメは鳴かない、と先日の小欄に書いた。同僚から「うちのカメは鳴くぞ」と“抗議”が。実は、わが家のカメも。鼻から息を吐くはずみに「キュ」、口を開けて「グゥ」。後者はげっぷの類いか。
そして、もう1つ。これは初めて知ったのですが、亀には鳥と同じようにくちばしがあるのだそうで、くちばしを動かすときに擦れるような音をだすそうです。
こういった音を昔の人が聞き取って、亀鳴く、と称したのか、あるいは声なき声を感性で聞き取ったのか。どちらかはわかりませんが、「亀鳴く」の季語の由来は、鎌倉時代初期まで遡るといわれます。
「『亀鳴く』の由来とされるのが、藤原為家の『川越のをちの田中の夕闇に何ぞと聞けば亀のなくなり』が有力とされています。鎌倉後期の1310年ごろに成立した類題和歌集『夫木和歌抄』に収められていて、これを原典とする研究が多くなっているのです。
何かが鳴いている。ああ、きっと亀だ。
すごい想像力だと思いますが、亀が鳴いている、と思いたくなるほど、人々にとって身近な生き物だったのでしょう。
定家の歌で、もう一つ亀が登場するものがみつかりました。
たとふなる浪路の亀の浮き木かは逢はでも幾夜しをれきぬらむ 藤原定家
盲目の亀が水に浮いた木に出会うことはとてつもなく難しい。それを仏の教えにあうことの難しさにたとえた言葉「盲亀の浮木(もうきのふぼく)」が下敷きになっています。これが恋歌で詠まれると、浮木と亀は、男女のたとえになるそうです。
定家の悲恋の物語は、テイカカズラの名前にも残っていますが、逢いたい相手に逢えないつらさを表現する喩えとして、亀と浮木を使うとは、よほど辛かったんだろうなあ、と思います。出逢う確率はゼロに近いですから。
最近仕事が忙しすぎて、noteを読む時間、書く時間の捻出にも四苦八苦しています。ただ今の職場を選んでよかった、と思うことは、相方さんに出逢えたこと。職場が我々には、亀と浮木の出逢いの場になった、というわけです。
どうでもいいですね。失礼しました。