時宜と選択
東急線沿線でSALUSというフリーペーパーが配布されています。
そこで掲載されている、理学博士の佐治晴夫先生の連載を愛読しています。
先日もらってきた4月号の連載では、旧約聖書のコヘレトの言葉が紹介されていました。記事で紹介されていた訳文とは違いますが、ネットで見つけた新共同訳から該当箇所を抜粋します。
すべてに適切な時が与えられている。
そしてその一瞬一瞬だけでなく、過去から未来にかけての長い時間を感じる心も、我々は持っている。
なんと贅沢なことかと思います。
この聖句を引く前に、佐治先生はこんなことを書かれています。
歩んできた過去と、これから自分が選びとる未来。
その時間を感じながら、今をどう生きるかを選択することの積み重ねが、生きていくということ。そしてその選択は各自が自由に行うことができるし、逆にいえば、誰も代わりに選んでくれない。
その選択の先にいるのが自分。
そういうことなのでしょう。
今を生きる指針として、佐治先生は、この記事を優しくも厳しい一言で締め括っています。
今を否定しないことも、自分を好きになることも難しいです、佐治先生。
でも、身体の中があたたかくなるような言葉ですね。