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時宜と選択
東急線沿線でSALUSというフリーペーパーが配布されています。
そこで掲載されている、理学博士の佐治晴夫先生の連載を愛読しています。
先日もらってきた4月号の連載では、旧約聖書のコヘレトの言葉が紹介されていました。記事で紹介されていた訳文とは違いますが、ネットで見つけた新共同訳から該当箇所を抜粋します。
03:01何事にも時があり
天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
‥‥
03:11神はすべてを時宜にかなうように造り、また、永遠を思う心を人に与えられる。‥‥
すべてに適切な時が与えられている。
そしてその一瞬一瞬だけでなく、過去から未来にかけての長い時間を感じる心も、我々は持っている。
なんと贅沢なことかと思います。
この聖句を引く前に、佐治先生はこんなことを書かれています。
考えてみれば、人生は、それぞれの出来事や他者との出会いが分岐点となって織り込まれていく織物のようです。しかも、その分岐点を、どのように受け入れるかは、各人の自由な選択に任されているわけですから、ある意味からすれば、人生とは、出会いという糧を食みながら、自分という唯一無二の作品を制作していく過程だともいえるでしょう。
歩んできた過去と、これから自分が選びとる未来。
その時間を感じながら、今をどう生きるかを選択することの積み重ねが、生きていくということ。そしてその選択は各自が自由に行うことができるし、逆にいえば、誰も代わりに選んでくれない。
その選択の先にいるのが自分。
そういうことなのでしょう。
今を生きる指針として、佐治先生は、この記事を優しくも厳しい一言で締め括っています。
今を否定しないことの先に、豊かな未来が訪れるということです。
今を否定しないことも、自分を好きになることも難しいです、佐治先生。
でも、身体の中があたたかくなるような言葉ですね。