今だから伝えたい、営業・販売職のやりがい
「死なんで良かったね」
今、チャオカフェが出店しているJR鹿児島本線折尾駅でお隣出店されている唐揚げキッチンカー大将の言葉です。
ホントそうだ…。
チャオカフェキッチンカーデビューの日、店主は熱中症で倒れました。
(↓詳細noteです)
今だから言えますが、実は店主危機的状態でした。人生で初めて死を意識しました。
その時に思ったのが、
『自分が存命なうちに次の世代の人に伝えたい事がある』
でした。
言葉は大袈裟ですが聞いていただけると幸いです。
店主、初めての社会人はアパレル系広告代理店営業職でした。
画像はこの頃、雑誌のスナップに掲載された店主です。
この時代は、バブルが弾けた後です。
大きな金額が動く大企業広告が縮小を重ねていました。
その為、各企業の規模が小さい為注目されてなかったアパレル産業に、中小広告代理店が活路を見出そうとしていました。
文化服装学院を卒業後、アメリカNYに留学していた店主はバブルをあまり経験せず帰国、同級生からかなり遅れて初就職しました。
そしてなぜか、入社早々新規開拓係に任命されてしまいました。(NY帰りでクソ生意気だったのでしょう。上司は社会の厳しさを教え、懲らしめてやろうと考えたそうです。かなり経ってから聞きました。)
新規開拓係と言えば聞こえはいいですが、飛び込み営業を新入社員が1人でやるという無謀な挑戦です。
むろん、先輩社員・上司も飛び込み営業などやった事がありません。
飛び込み営業のノウハウ、テクニックどころか、どうしたら飛び込み営業が始められるか、社内誰も知らないという状態でした。
しょうがないので、ファッション誌巻末にある協力メーカー一覧(衣装の貸出協力してくれたアパレルブランド一覧です。)
を見て、『あ』から順番に記載されているアパレルブランドさんを訪れ、「○○(←ファッション誌名)に広告出しませんか?」と行商さながら、それこそ飛び込みで営業をやっていました。
するとすぐ仕事がとれました!
おそらく1ヶ月経っていなかったと記憶します。
なぜとれたのか?
後から分かったのですが、オシャレを気取っていたのか広告会社の皆さん、誰も泥臭い飛び込み営業などやらなかったのです。
お仕事いただけたアパレルメーカーさんは、こちら↓
ガングロギャルで一世を風靡した『アルバローザ』さんです。
ファッション誌巻末協力企業一覧『あ』から始めていますので、アルバローザさんには、意外と早く出会えました。
この後、アルバローザさんの紹介でギャル系セレクトショップ『ミジェーン』さんのお仕事もいただけるようになりました。
文化服装学院卒業のモード系少年だった店主、いつの間にかガングロギャルアパレルブランド業界広告を1人で担当していました。
不思議な会社員スタートでした。
そんなチャオカフェ店主が、今の若い人がやりたがらない営業・販売職のやりがい&成績の伸ばし方を記していきます。
チャオカフェキッチンカー営業記と同時進行していきますので、飛び飛びになります申し訳ありません。
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