☆グループ☆
いつだか仏陀が言っていた。
「この世で会った人とは魂レベルで500回は会ってる」と。
袖振り合うも多生の縁。
最近はすっかり乗る機会がないが、
以前は電車内の様子で自分の調子を捉えたりしていた。
表現が難しいのだが、
たまに、この世のものとは思えぬ妖怪か化け物かって波動の車両があったりする。
うっかりそこに乗り合わせてしまった時には気を引き締め直す機会を頂き、
また時に、モデルかジャニーズかってキラキラ華やかな空間に招待された際は有難く褒美として頂戴していた。
自分の調子以外も偶然的な集合には様々な光景がある。
窓際に一人の女性が立っており、
一人の男性が乗って来た。
背中合わせの見ず知らずの男女。
振り返る事もなく同じ空間で過ごす暫しの時間。
私には完全にペアに見えた。
お節介占い師のような気持ちでひっそりと見守っていた。
お節介したい衝動を抑え守護天使のように見守っていた。
ドラマでよく見るシーンのよう。
近くにいるけど気づかない。
全体が見えてる視聴者は、
「気づいて!振り向いて!」と、感情移入したりする。
何度も擦れ違っているのに気づかない二人。
「初めまして」と対面する時、
実は初めてではない事はよくある話。
電車同様大好きなサウナにも数ヶ月行っていない。
ある時スパで出逢った82歳の女性。
御自分で仰っていた為数字として憶えているが、
思い返すとその年齢の印象は一切ない。
サウナや岩盤浴の前に少しだけ温泉につかる。
湯舟はあまり得意でない為少しだけ。
大浴場の端の方に遠慮気味に足を入れ肩まで浸かったその瞬間、
その女性に声を掛けられた。
「この前もお会いしましたね」
私がそのスパに行ったのは一年ぶり。
「会ってないですw」
振り返った首を元に戻しながら同時に気づく。
前に会ったな。ずっと前。この前ではない記憶にない程ずっと前。
多生の縁。
再び振り返り話を繋げた。
「よく来られるんですか?」
「はい。今日で四回目です。」
私は自宅から最寄りではないそこのスパには滅多に行かない。
オープン以来通算で四度目だった。
その女性と同じく四回目。
よく来るという認識と、
滅多に来ないという認識。
この前とずっと前。
時の概念は一致しないが面白い。
彼女と私は一気に話が盛り上がり途切れる事が無かった。
長湯も忘れ毎日一緒にいる友のように盛り上がった。
裸で。
初対面らしい状況で。
流れるようなやり取り。
内容は思いつくまま。
龍神、観音、聖母等、
到底バッタリ会った初対面の者同士の会話では無かった。
様々な私と似た体験をしてる女性だった。
職業も遠からず、鍼灸師だと。
私自身理解してる私の存在理由のような事をつらつらと伝えて来た。
まるで守護霊からの伝言のように。
クラスメイトが「来週提出のレポート忘れてない?」と忠告してくれてるようなイメージだ。
彼女と私はソウルメイトだ。
魂の繋がり。
私の母がお寺でお地蔵さんの絵を描くサークルのような会に毎月参加している。
そもそもその会の発足は、
80代のとある女性がある時啓示のようなものを受け自宅からは距離のあるそこのお寺を訪ね生徒さんを募ったとか。
母は先生に一目置いており、気安く話せる存在ではないようだった。
ある時先生から直接電話がきたと母が驚いていた。
丁度父が体調を崩していた時期で、
「御主人にこれを食べさせると良い」等、助言をくれたらしい。
有難い。
同時に、
「娘さんはあまり肉を食べない方が良いですね」と言ってくれたとか。
私は元々あまり肉を食べない。
食べられないわけではないが自然と食べる事が減り今ではほぼ食べていない。
母は私の話をした事はなく当然私も面識のないお方。
だがおそらく私の事を知っておられるのだろうと、
いつか父のお礼も兼ねて御挨拶したいとその時思った。
そしてある日母が終わる時間に合わせお寺に出向いた。
邪魔しないように覗いてみると、
教室を終え、皆さんでお茶会をされていた。
そーっと覗いて母にアイコンタクトをすると同時に、
先生が私の存在に気付いた。
不思議な瞬間だった。
入り口に立つ私の元へすーっと近づいて来られ、
母が私を紹介するよりも前に私と彼女は自然に手を取りハグをしていた。
完全に知ってる存在だと実感した。
師匠みたいな先生に、私は最初からちゃん付けで名前を呼んだ。
十数名の生徒さんと囲むお茶のテーブルに特等席のように席を用意してくれ、久しぶりに遊びに来た孫のように可愛がってくれた。
そう言えば母が、母の母、私の他界した祖母に雰囲気が似ていると先生の事を言っていた事を思い出した。
確かに似ている。
似ていると思ったのは後付けだ。
顔を見るより先にハグをしていた。
その日は母よりも、初対面の彼女に親しみを感じていた。
あの日の光景を思い出すと、
上座に座る彼女の横に好待遇の私がいて、
そこから最も遠くの席に母がいる。
他人感が強い。
普段は仲良いが、
あの日の感覚は他の生徒さんの中の一人だ。
人生の千秋楽を迎える度役柄を脱ぐ。
役どころを変え生まれ変わる。
あの日は次元間のヴェールが薄く、
パラレルの混在と言うか、
「この世は創られたストーリーである」という事が、
明確に実感できる体験だったと、今見直してそう思う。
[他人感]
有難い感覚が蘇った。母がいつも私にしてくれてる他愛もない事の数々。他人様にこのような事をして頂くとは誠に有り難い。これからは改めて感謝の想いを伝えよう。
視点の違い。
母が母親役をしてくれてる事は理解していた。
それ故、生意気ながら「出来が悪いぞ」という指摘ばかりしてきたw
「台本読んで出直せ」的にw
私は女優様になんという扱いをw
他人感の蘇りで今気づかされた。
これからは彼女のシナリオを尊重しよう!
「私の母親」に寄せないで良い。
自分の母親像で生きればいいし、
母親として生きなくてもいい。
自分の生きたいように生きればいい。
というか、
元々彼女は自分の生きたいように生きているとも言える。
勝手に忖度していたのは私かもしれない。
他者との統合にはこのような擦り合わせが時に必要なのだろう。
一つの物語の最終話をどうHAPPY ENDに向かわせるか。
誰一人我慢する事のない手放しの解放☆
気に留め目に留め読んでくださりありがとうございます☆