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病棟実習話

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病棟実習で起こったあれこれをまとめています
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#海外生活

ドヤ顔で診断ごっこをしていたあの頃の話

世間ではコロナウイルスが猛威を振るっていますね。 みなさんいかがお過ごしですか? 学生時代の日記を見ていたら、ちょうど9年前の今日、同級生Aに、 『急性気管支炎』 と診断されていました。 その時は医学生2年目後期で、初めての内科実習真っ盛り。 問診したり、診察したり、初めて実際の患者に触れて、病気の知識がついていくのが嬉しくて、みんな鼻息が荒かった時期でした。 グループのメンバーが体調を崩すと、みんな嬉々として自分の診断を披露したものです。 あの日も実習中にゴホゴホ

ある少女の強がり

『私、Cystic Fibrosisなの。』 その日の小児科実習に定刻通り参加したのは、スウェーデン人のYちゃんと私の2人だけでした。 その日の私達が紹介された患者は15歳のブルガリア人少女でした。 思春期特有の背伸びしたい感とちょこっと強気な雰囲気をまとっているけれど、体は小学生低学年ほどでとても小柄な少女でした。 私もYちゃんもブルガリア語は大の苦手。 そんな私たちを察してか、彼女は流暢な英語で自分の病状を説明してくれました。 本当に自分の病気に対する理解が良い。

パンツくらいみせてやれ!

ドアを開けると眼前にはブルガリア人男女のイケイケボディーが!!! ブルガリアの大学病院の更衣室はなぜか男女兼用でした。 仕切りもないし、カーテンもなし。 外科病棟の更衣室には1つだけ試着室的スペースがあって、なぜかトルコ人男子Aが愛用していました。 男女共用更衣室は異文化なインターナショナルクラスの学生の中で物議を醸していました。特にムスリムの子たちは異性の肌を見る機会のない子たちもいるわけで、そういう子たちにしてみれば異性が目の前で着替えているのは、一種のポルノを見てい

ブルガリア人のワイルドすぎる優しさ

『Отворете!! (開いたよ)』両手にハンマーとドライバーを持った警備のおっちゃんが、最高の笑顔でぶっ壊したドアの前に立っていました。 朝1番の呼吸器内科の病棟実習。 いつも実習の時に荷物を置く講義室にその日も荷物を置いていまいた。 実習が終わり、荷物を回収して帰ろうと、講義室のドアを開けようとするも開かない!! 鍵が閉められてる!!! すぐに警備のおっちゃんに事情を説明し、鍵を開けてくれるように頼みました。しかし、残念な事に、警備のおっちゃんが持ってきた鍵でド

脳外科病棟ではブルガリアンジョークはジョークではなかった

ブルガリアにはラキヤ/Ракияという、発酵させた果実から作る伝統蒸留酒があります。 アルコール度数は40%以上で、飲むとのどが焼けるタイプのお酒です。 最近のブルガリア人の若者はあまり好んで飲まないようです。 ブルガリア人の友人がラキヤにまつわるジョークを教えてくれました。 多くのブルガリア人はラキヤを薬だと思っているんだ。 飲んだら痛みも忘れるし。 心の苦しみも和らげてくれる。 のどが痛んだらラキヤを飲むし。 寒かったらラキヤで暖を取るんだ… 確かに私も寒い日やスト

【続】消化器内科病棟でもブルガリアンジョークはジョークじゃなかった

いわゆるお酒にまつわるブルガリア人のジョークですね。 ブルガリアには旧ソ連時代の建物を取り壊す資金がなく、いたるところに廃墟や廃工場があります。 廃墟化された酒造工場に、エタノールが放置されている事もあるようで、こっそり忍び込んではエタノールを飲んで、アルコール依存症になる人が後を絶たないなんて話もあるほど。 消化器内科という分野は、臓器として細かく分けると、食道、胃、小腸、肝臓、胆嚢、大腸と、幅広い臓器に関する疾患を診る診療科です。 それなのに、うちの病院に入院して

ブルガリアでは溺れた人は助けない

酒は薬 ブルガリアでは酒は薬であることを何度か紹介してきました。 アルコール事情 WHOによると ブルガリア人の2.3%がアルコール依存症で 6.9%がアルコール使用障害のようです。 また State of Health in the EU Bulgaria Country Health Profile 2017には ブルガリアにおける 2014年の1人当たりの飲酒量は12L以上で EU平均のなんと6倍と報じられています。 這い上がれない医療システム ブルガリア

10年経っても思い出す電線泥棒の話

これは私が4年半の病棟実習で、重症度や社会的背景が最もえぐいと思った患者の話です。 病棟実習が始まって1年経ったある日の外科実習のこと。 その日はやけに指導医がそわそわしていて、右も左もまだ分からない学生の私たちでさえ、ただならぬ雰囲気を感じていました。 『処置を見せたいからついてこい。』 指導医の後ろについて足早に処置室に向かいました。開け放たれた処置室のドアから処置台に横たわっている患者が見えた瞬間、なぜ指導医が患者の詳細を話さなかったのか理解しました。 処置室

いよいよブルガリアで酒は薬なのではないかと思い始めた

日本で医師として働き始めてそれなりの年月が経って、改めてもう一度ブルガリアの医療を見てみたいと思うようになっています。 日本と比較してブルガリアの医療、ことプレヴェンの医療は遅れていたと思います。EU国内で最貧国の、しかも田舎の大学病院だから当然と言えば当然だったのかもしれません。 自分の過去の日記を見返していると、プレヴェンでは何かがなければ他の何かで補っていたり、医療資源が限られる中で、工夫を凝らして治療をしていたんだなと改めて気づかされます。 ある日、私とグループメ

インド人の先生達から学んだこと

私が在学中、生化学を教えてくれるインド人の若手の先生がいた。 その先生のお名前は失念してしまったので、仮にA先生としよう。 A先生はプレヴェン大学の卒業生で、当時は教師になりたてだった。 計3回しか授業を受け持たなかったのだけれど、英語に慣れていなかった私でもすごく面白くて、この先生の授業をもっと受けたいと思うくらいだった。 初めてA先生の授業を受けて2年経ち私が3年生の時、大学構内ですれ違ったA先生に話しかけた。A先生は私のことを覚えていてくれた。(日本人が少なかったから